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超えた一線は引き返せない-呼称における心の機微②-

前回に引き続き、今回も呼称に垣間見る、人の心に関してです。
今回は、よそよそしい、他人行儀と思われがちな敬称の2人称Sieのメリットについて、また体験談を交えながら書こうと思います。

のっぴきならなぬ状況で

ドイツで独立した後の話です。
ある時、長年のビジネスパートナーから、私より年上の、ある方を紹介されました。
私とその人は、紹介者である私のビジネスパートナーの前で、お互いに苗字で名乗り、自己紹介をしました。

その後、私のビジネスパートナーだけが別行動、数時間後の夕食時に再合流ということになりました。

この時はリトアニアにいたので、馴染みのない土地で、土地の言語ではないドイツ語という共通言語で雑談したり街を案内してもらう中で、私たちはお互いすっかり打ち解けることができました。

しばらくすると相手がおもむろに「Bin Andreas!(アンドレアスと呼んで)」と言いました。

はい、前回お馴染みの、目上の方からの親称の2人称duへのオファーですね。もちろん私はそのオファーを快諾しました。

までは良かったのですが。

実は、

私は長年の付き合いで気心も知れているビジネスパートナーとは、敬称のSieを使う関係でした。
私のビジネスパートナーとAndreasは親称duの関係。
私とAndreasは今日知り合ったばかりですが、くだんの流れを経て親称duの仲です。
しかもそのことを、席を外していた私のビジネスパートナーは知りません。

その日の夜は、3人で会食をすることになっていましたので、正直ちょっと面倒なことになったなと思っていました。初対面なのに親称duで呼び合う仲になっちゃって(?)、長い付き合いのビジネスパートナーになんとなく申し訳ないような気になっていたのです。

さて、食事の場について間もなく。

まずAndreasが、私たちが敬称Sieで呼び合う関係であることに気づきました。会話をすれば動詞の活用から、親称か敬称の関係かは瞬時に白日のもとにさらされますから(笑)。

するとAndreasは、私のビジネスパートナーに心なしか申し訳無さそうに、
「実はさっき、僕たちduの関係に。。」

この背徳感、何とかならないかしら( ̄▽ ̄;)。。

すると、私より年上だったビジネスパートナーが、すかさず私に手を差し出して、

「oh, dann bin Daniel! (ほんならダニエルって呼んで)」

いや、無理しないで下さい( ̄∇ ̄)。。

前回に続き、これまたのっぴきならない感じで、半ば強制的に距離が縮みました(^^;;。

距離が守ってくれる

私は、ビジネスパートナーとは長年、敬称Sieの関係のおかげでとても仕事がやりやすかったので、内心「やれやれ」と思いながらオファーを受け、
相手も半ば強制的にオファーをせざるを得ない状況の中でのオファーであり、これまた「やれやれ」だったことでしょう。

敬称のSieには、親称のduでは表わせない相手への敬意を含んでいますし、仕事における数々の場面においては、この絶妙な距離が緩衝材になって、時にかなりストレスフルなビジネス上の様々な交渉ごとにおいても、人間関係を円滑にする、この場合はビジネスライクで個人的にならないというメリットがありました。

必ずしも、フレンドリーな親称のduの関係が歓迎される場面ばかりではありません。

デジタル世代の2人称のココロ

さて話は少し飛びますが、スゥエーデン語の2人称は、ほぼ親称に統一されていて、その辺をドイツ人は単純明快で実に羨ましいと思っているようなのですが、唯一使われる敬称というのは基本的に、王室で目上から目下の人に話しかける時に使われる特殊なものです。

ところが、日常生活において一般人が使用することのない、スェーデンにおけるこの稀な2人称の敬称を、若者たちが日常で使用するようになってきたという現象がありました。

メールやLINE、WhatsApp などでコミュニケーションを取る事が当たり前のデジタル世代、ITによってもたらされたコミュニケーションツールの変化が、若者の間で2人称の距離の感覚を変化させたのは当然のことなのかもしれません。

3次元のリアルな相手とよりも、2次元キャラクターとの親和性が高い。2,5次元くらいまでがせいぜい。。かどうかは別として、存在しない敬称を駆使してまでスェーデンの若者たちは、3次元の相手から距離を取ろうとしています(笑)。時代に合った他者との心地よい距離を探っているということでしょうか。

さて次回は、今まで見てきた敬称Sieから親称duへの、縮まる心の距離ではなく、親称duから敬称Sieへと関係が遠のく、そんな心の動きをみたいと思います。何やら不穏ですね(^^)。

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