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犯人は誰だったのか

前回の記事の「どっち?」ですが、これはあと2〜3回に渡って書きたいなと思っています(需要のないところに、得意のシリーズ化です)。

少し難しかった〜なんてこともあるようなので、今日は息抜きに違うテーマで書こうと思います。

失敗


ドイツ語が分からなくて失敗したことについて、です。
恥ずかしながら、このテーマなら話題に事欠きません(noteでドイツ語のテーマに迷ったら、大体失敗談を書いていくことになりそうです)。

さて、失敗には大小あるものです。
私の失敗の大小の定義は、その失敗からいかに自分に学びが多かったか、ではなく、この失敗による影響の範囲で測られます。どの失敗からも痛いほどの学びがあるので、そこは失敗の大小にあまり関係ないかな、と思っています。
そんな私の失敗の大小の分布図ですが、正直に申し上げますが、自分一人が困った、というような(被害の)微小なものから、他人に迷惑のかかる、それも犯罪級(!)と思われるものまであるのですからそのポートフォリオは多岐に渡ります(汗)。

はい、色々なところで失敗してきました。

しかし日常やプライベートでの微笑ましい失敗は、ドイツ語や現地の生活に慣れるにつれ、あまりなくなります(あっても図太くなっているか)。本当に笑えないのは、言語を生業にして失敗したほうです。通訳には正解がない為、多かれ少なかれ程度の問題になってきます。現場では時に、許容範囲に収めるということもまた大切です。
今回は読んでいてハラハラさせられるようなものは書きませんので安心して最後までお読みください(笑)。

一冬の挑戦

ドイツ語が初級レベルだった頃のことです。

その日、私のある挑戦は終わりました。

ドイツの秋の夜長があまりに深く感じられたからなのか、あるいは冬の静寂があまりに長かったのか。今となっては、その冬の私の無謀な挑戦の動機を根拠づけることは困難です。
私の手には読み終えたばかりのドイツ語の推理小説が握られていました。その顔には、スリリングな事件の一部始終を読み終えたばかりの興奮冷めやまぬ表情が浮かんでいました。不可解さだけが滲み出ており、その頭の中ではある疑問が。

「犯人は誰だったのか、いや、そもそも事件は起きたのか?」
と。

語学の理解力がここまでないのにも関わらず、なぜ最後のページまで字面を追えたのか。こんな不毛な挑戦は若さ故だったのでしょうか(笑)。

今となっては、ドイツ語の推理小説は私の最も好きなジャンルの一つですし、好きな作家の作品は私の日常生活の一部ですらあるのですから、分からないものです。

続ける、ということの先にある景色を、この先も分野を問わず見てみたいな、なんて思います。

Schritt für Schritt 一歩ずつ。

最後まで読んで下さりありがとうございました。


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