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超えた一線は引き返せない-呼称における心の機微①-

今回は、呼称に見る心の機微についいて書こうと思います。

以前他の媒体に載せていたものに少し手を加えています。

人間関係が決まる

ドイツ語会話においても、相手の呼び方は状況や相手との関係によって変わります。しかし、尊敬語や丁寧語、謙譲語が日本語ほどに複雑ではない分、習得するのはそれほど難しくはないと思います。
ドイツ語には、敬称のあなた(Sie)と親称のきみ(du)という二つの呼称があります。

ざっくり申し上げますと、
職場の上司や目上の人、学校の先生など、上下関係のはっきりしている間柄では、敬称とよばれるSieを使って苗字で呼びあいます。自己紹介も「Schmidtです」、「Muellerです」となり、家族や友人などの親しい間柄では、親称と呼ばれるduを使ってファーストネームで呼びあいます。自己紹介は「Wolfgangだよ」、「Annaよ」となります。

しかし恋人同士は別れるものですし、親子でさえ、例えば成人した我が子に対する親の呼びかけは、その子が未就学児だった頃のそれとは違うものでしょう。
このように人間関係は変化する故、呼称も流動的になります。
ここに人間社会の中で生きる哀しいかな人間の、心の機微が見えてくるわけです。

そんなわけで今回は、この呼称から見えてくる心の動きにフォーカスして、言葉が決定する人間関係について書こうと思います。

文法の話ではないですよ😁

例えばここに、敬称のあなた(Sie)の関係で呼び合う二人がいます。この呼称が変化する時、それはその二人の関係性の変化を表しているとも言えるわけです。

その関係が変わる時

この二人が親称のきみ(du)で呼び合う関係になる時、そこにはある儀式が用意されています。
例えるなら戴冠式、成人式、お葬式のような儀式と思ってください。

最終的かつ不可逆的なものです。

敬称のあなた(Sie)で始まった関係は、その後に二人の関係の親密さが増すと、年上もしくは立場の上の人から、相手に対する親称のきみ(du)へのオファーがきます。

はて?

まだドイツの企業で勤めていた時の話です。
わりとアットホームな社風だったからか、上司以外とは、親称で呼び合うきみ(du)の関係が出来ていました。ただ一人とを除いては。
その女性とはどういうわけか、敬称のあなた(Sie)で呼び合う関係のままです。親称のきみ(du)へのオファーは通常、目上の人、立場の上の人からと決まっていますので、相手の方が年上でしたから、私からは何も言えません。

あるとき、社内の懇親会があり、ホテルで食事を終えて多少アルコールも入った一向は、今度は船を貸し切ってのライン河下りへと宴の場を移しました。夏の夕暮れは遅く、各々シャンパンを片手にデッキへ出ては、その後夜遅くまでお互いの親睦を深めることになったのですが、そこでくだんの彼女とも職場とは違う空気の中で色々なことを話す機会に恵まれたのでした。

さて、週末を挟んだ翌週の月曜日。

職場でその彼女が私にいきなり「Sabineよ」と手を差し出してきました。

存じ上げておりますが( ̄∇ ̄)。。?

3年近くも毎日一緒に働いていれば、下の名前だって当然知っています。それをいきなり、今日初めて会う人への自己紹介のように(笑)。

そう、これがまさにduのオファーなのです。

キタ-(゜゜)---
すかさず差し出された手を取って、
「喜んで、Shinoよ」
とこちらもファーストネームを名乗って握手。
お酒が縮めた距離ですね。

縮め(させ)られた距離は

しかしこれ、実はフレンドリーな関係になれて良かったねというだけの単純な話ではありません。

想像してみてください。

今までずっと苗字にさん付け、もしくは役職名で呼んでいた立場や年齢が上の相手を、ほぼ強制的に、ある時から突然、時期は相手都合、呼び捨て、タメ口を利かなければならないのです。

壁、高いですね"Д"!

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、親称のduのオファーを受ける側にとっては、このオファーは、不撤退の決意で受けて立つ覚悟なしに、いい意味で存在する相手への心の壁を打ち砕くことは容易ではないのです。

このように、オファーを受けたら大事なのは

「超えた一線は引き返せない」

ということです。親称duで呼び合う関係になった瞬間に、私たちの関係は根底から変わったのです。このオファーを断るということはふつう、ありません。

ある古い映画に、ファミリーネームで呼び合っている、つまり敬称のSieで呼び合っている男女二人が、場面は変わって翌朝、ファーストネーム、親称のきみ(du)で呼び合っているというのがありました。ドイツ語は、敬称のSieで会話をする時と、親称のduで会話をする時では、動詞の活用が異なってくるので、2人が常にお互いを呼び合っていなくても、動詞の活用をまたガラリと変えて会話していることからも関係の変化は聞き取れるわけです。
どちらが何と言って親称のきみ(du)へのオファーしたのかは分かりませんが、ベッドを共にしたことはわかるのですね。

ここでもやはり、一線超えてますね(笑)。

次回も呼称について書きたいと思います。

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