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ドラゴン桜観てたら手放し方がちょっとわかった話

排卵日調べない40歳妊活記#49
前回は依存の罠について書きました。

依存しない為に、手放す生き方は重要だなーと思っていて。
そのために最近考えた話をしてみます。

手放すについてはコチラ
https://note.com/nhr_erimama/n/nfd37a0c32457

受験のテストとスポーツの試合

「ドラゴン桜」という漫画・ドラマはご存じでしょうか。
2005年版も大好きだったのですが、2021年版が間もなく最終回です。
偏差値の低い学校で東大受験を目指していく内容なのですが、この前受験当日に実力が出せない人がいるという件がありました。

自分も高校受験と大学受験を経験しているのですが、こと受験に関して、実力が出せないって意味がわからなかったんですよね。
テストってそのままの実力しかだせないでしょ!って思っていて、知ってること、わかることを書くだけでわからなかったらそれ知らないってことなので出来ないだけだと思うんですよ。
だからテストで自分は実力が出せなかったということもないし、もちろん緊張は少しするけど始まってしまえばそんなことほとんど感じることなくメンタルに左右されずに出来たという感覚があります。
ここまで書くとちょっと嫌な奴ですね・・・

で、反対に僕としてはスポーツではこの「実力が出せない」ということについてわかりすぎるくらいわかるんですよ!
小さな頃から野球少年で、高校まで野球部で頑張りましたし、大学でもテニスを一生懸命やっていました。野球部ではピッチャーをやっていましたが全くストライクが入らないなんて場面を何度も経験しました。テニスでも大事な場面でサーブが入らないことやチャンスボールを決めれないなんてこともめちゃめちゃありました。
どっちかというとプレッシャーに弱くメンタルに左右されまくった経験があります。

確かに、テストは答えが決まっている。スポーツは相手がいて何がくるかわからないということはある。
今まではそれで片づけていたんですけど、テストのときの自分の精神状態は良いわけだから他の場面でも何か活かせるかもしれない。
ということで、なんでテストは出来て、野球やテニスは出来ないんだろうと考えてみました。自分の中で何が違うんだろう?と。

テストで出来てスポーツで出来ていなかったこと

3つ思いつきました。
① 出来るまで練習をする準備が出来ているか出来ていないか
② 目の前の結果に囚われないか、囚われるか
③ その先の結果にも囚われないか、囚われるか

まず①は、受験は答えがわかりやすい気がしますが数学などは幅広く、どんな応用問題が来ても対応できるかみたいな練習も必要です。ちゃんと潰しておかないと合格できないとわかったら、そういったことをしっかり準備していたなーと思いました。
一方野球やテニスでは、練習のときにそこまで詰めてやったことがありませんでした。自分の得意や苦手をしっかり分析して、こういうときは出来るとか出来ないところをつぶす練習をするとか・・・たまたまうまくいったらそこで練習をやめてしまっていたので、本番もたまたまに頼るしかないということになってしまっていたんだと思います。

ここからが精神的な部分かと思います。
②は、今から投げるボールストライク入るかなーって不安になっちゃう現象で、それに囚われてしまうことです。ボールになってしまったらとか、真ん中にいって打たれてしまったらとか、そんなこと考えてしまって感情に支配されてしまいます。
テストのときは、この問題解けるかな~なんて考えたことありません。なんで考えなくて済むんだろうか・・・
①でしっかり準備が出来ているから。それもあるかもしれません。
でもなんか既に割り切っている感じがしました。出来ても出来なくてもしょうがない。いまわかることを書くだけ。という前提で向き合えていたように思います。テストで出来るかな~出来なかったらどうしようなんて思うのあほらしいって思えてるわけですから、「ストライク入らなかったらどうしよう」もあほらしいと思えるはずな気がしてきました。

で、②のように至る要因は③にあるように感じています。その結果、試合に負けるとか、自分がカッコ悪い姿をさらしてしまうとか、なんかそういうもう少し先の結果に対してすごく執着しているということです。
スポーツでカッコ悪い姿をみせたくないというのが強いのでしょうか。プライドというかカッコよくありたいみたいなのがめっちゃある気がします。
テストはけっこう結果どうでもいいって思えてることの方が多かったです。落ちてもいいししょうがないとか、大学受験もまあ浪人したらいいやって思っていたし、ダメならダメでそれが実力って受け入れていたんですよね。ハナから結果への執着をあまり持たずにいけた。
この差ってただの癖な気がしてきました。その他にも色々な場面で、結果とかに囚われてカッコつけようとしたときと、無くなってもいいやろ!とかどうなってもしょうがない!とか思えているときの方がうまくいった経験がたくさん思い出されました。

なんかちょっと手放し方わかったぞ

まとめると、準備ちゃんとして、当日はこだわらない・手放す・捨てる。
活字にすると普通の話になってしまいました笑
自分の中ではめっちゃしっくりきて、これ全部に応用できるやん!と興奮しています笑

やっぱり、執着って言葉も使いましたが、執着は依存につながりますよね。依存する生き方は辛いです。それを手放すってことですよね。
算命学でいうと納音(なっちん)なんていう言葉がありまして、例えばそのような年が誰しもやってきたりするんですけど、そういうときは色々なものを捨て去るチャンスなのですね。物理的な物を捨てるのもいいでしょうし、腐れ縁みたいな人間関係を整理するのもいいです。精神的な自分の執着や習慣なんかも捨てるにはバッチリのタイミングで、人生のチャンスになるときです。

そして鑑定などさせてもらっていたり、自分自身のことを思うと、この納音かどうかに関わらず現代人は多くのものを持ちすぎているなーとか、持っているモノに対してすごく執着があるなーと思うんです。これを捨てられたらすごく幸せに近づくと感じています。
自分も今回の考察によって笑
結果とかカッコよさの執着を捨てて、なるようになる精神をいつでも使えるようにしたいなと思いました。それとちゃんと分析して準備をすることも両立させる!も大事ですね。
そんなお話。

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