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”思い出作り”という言葉に違和感を感じてしまう話

タイトルのままですが、「思い出作り」というワードに謎の違和感を感じてしまう。

その理由は、思い出を作るために出かけたり、人と会ったりするというのが何だかちょっと違うのでは?と感じてしまうから。

思い出って毎日の積み重ねで、そんな普通の時間が過ぎていったときに、ふと「あんなことあったな」とか「あれ、楽しかったな」とか思うものであって、「さあ、今から思い出を作りましょう」とはならない気がしているし、そうやって作った思い出が必ずしも記憶に残るとは限らないのでは、と思っている。(こういうの考えてしまうの、ちょっと面倒な性格だなと我ながら思います)

日常の何でもない生活がベースにあって、その上に出かけたことや、いつもとは違う体験、人との会話や共感が積み重なって、時間が経ったときにふと思い出すのが思い出なのかなと思っている。

もちろん、普段できないことをあえてするのは大好きだし、それを一緒にやりたい人だって誰でもいいわけじゃない。”今”これをやりたくて、”今”この人に会いたい。

”今”の気持ちを大事にして行動することが、結局はいつの日か思い出に変わるかもしれないし、そうはならずに気がついたら忘れているかもしれない。

だけど、そうやって”今”を積み重ねる日常全部が思い出の種になる。

未来のために思い出を作るんじゃなくて、”今”にしっかり目を向けていたいと思うから、いつかのための”思い出を作る”という表現にちょっと違和感を感じるのかもしれない。

意図的に作らなくても、”今”が全部思い出になって、そうやって時間は流れていくんだろうなと、ふとそんな風に思った。

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