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中国語を話す私と日本語を話す私

使う言語によって感情表現の方法が違う自覚がある。

私自身、中国語を話す時は語彙が不十分だと感じているから、そこを補うために感情表現を分かりやすくしようとする意識が働いているんだと思う。だから、中国語で話す私は日本語を話している時よりちょっと明るいし、たぶんテンションもちょっと高めだと思う。

中国語のみで会話をする友達の前では使う言葉はストレートだけど、その分表情も豊かで分かりやすい感じになっている。きっと、日本語の私の倍くらいいい人っぽい感じになってると思う。

語彙力が不十分な言語で話すと、言いたいことを100%言えないストレスは確かにあるけど、その分、感情を一生懸命伝えようとするから、その部分ではちょっとだけ開放的な気持ちになる。

うれしい、楽しい、分からない、好き、嫌い。シンプルな言葉を感情表現というオブラートに乗せて相手に届けるから、自分自身でも自分の気持ちをはっきりと知ることができるし、奥歯に物が挟まるようなモヤモヤ感も残らない。

日本語で話す時は考えることと話すことがほぼ同時で、発する言葉にどの感情を乗せるかも無意識で選択している。だから、目に見える形の感情表現よりも言葉で説明する感情表現になる。相手が日本語ネイティブならその感覚はより無意識になるし、言葉だけで伝わることを前提に話している。だから、時々自分でも何が言いたかったのか分からなくなったりする。

最終的には感情をそのまま言葉にできるように語学力を上げることが一番なんだけど、習得途中の言葉だからこそのシンプルな感情表現を楽しむのも案外悪くない時間のような気がする。


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