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ちょうちょ記者、ついに”貴婦人”ブータンシボリアゲハと遭遇したけど「おまえが叫ぶな!」

幼少期からチョウを追いかけてひょんなことからNHKの記者になり、取材でつかんだ「幻のブータンシボリアゲハ」の生息情報に、興奮した勢いで専門家による調査隊を自ら結成。周囲のありがたい手助けでついにブータンに降り立ったという、はい、斎藤基樹です。

(前編の記事はこちらです)


8月4日 みんなそろって首都出発!

2011年7月に羽田を発ち、ブータンに到着してからの数日は関係機関との取材交渉に追われました。というのもブータンシボリアゲハが生息するとみられる谷は中国やインドとの国境近くにあり、外国人の立ち入りが厳しく制限されていたのです。

交渉は難航しましたがなんとか許可されたのは、私とやりとりしていた農林大臣が調査の重要性などを内務省に直にかけ合ってくれたおかげだと聞きました。感謝です。

そして調査隊のメンバーや番組の取材班も、ビザ発給のドタバタもあったりしつつなんとか全員入国して8月4日、私たちは首都ティンプーを3台の車で出発しました。

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ティンプーのホテル前に集合した調査隊のメンバーです。出発の朝は、気持ち良い晴れでした。これからの旅に期待が高まります。

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NHKの取材班は左から内山ディレクター、森山カメラマンと、私。ともに新卒で沖縄局に赴任した同期の3人組です。

さて目的地の谷まで車で約500キロ。

「まあまあ遠いなぁ。1日か2日はかかるかな」と思ったあなた!

ここはブータンなんです。

国を横断する幹線道路は当時も今も「1本」だけ。途中に3000メートル級の峠がいくつもあって、深い霧が立ちこめる断崖絶壁を縫うように走らなきゃいけません。

こんな感じ!

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転落死亡事故が多発していた場所では地元の人が「幽霊が多すぎてここは夜に運転したくない」と話すとか。

途中で「ブータンの研究機関を表敬訪問」などもあったりして、目指す谷の近くの町まで4日もかかりました。

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道中泊まったホテルからの眺めです。深い森に包まれた山の斜面に白亜のゾン(城郭)が見えます。うーんはるばるよく来たなぁ。

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よく見かけた紫色のかわいいサクラソウの一種。ヒマラヤには黄色、ピンク、紫色などさまざまなサクラソウが自生しています。この頃はまだ花に目をやる余裕がありました。

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到着した町では装備や道具をととのえて体力回復につとめます。RPGみたいに。

8月10日 キャラバン隊の出発

いよいよ幻のチョウが生息するという谷まで1泊2日の行程でキャラバンを始めました。

・・・にしても羽田を飛び立ってからここまでですでに2週間近く。移動するだけで大変です。それで思い出すのは大学生のころにとった、南米・アンデスの古代史の講義。斯界では高名な教授が「飛行機がない時代の調査は日本から船で行って現地まで1か月もかかったので、着くころには何をしに来たのか忘れていた」と話していましたっけ。

8月11日 この森にいるのか…?

川に隣接しただだっ広い草原に張ったテントで目覚めました。雨期の晴れ間で太陽がのぞいています。

キャラバンは調査隊メンバー、森林保護官などブータン政府職員、取材チーム、ポーター、荷物を運ぶウマ。

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まるでシルクロードの隊商みたい。

最奥の村に続くトレイルは、雨期で増水した沢の岸を縫うように奥へと続いていました。集落が終わるあたりから、周囲にはうっそうとした原生林が展開し始めます。

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調査隊のメンバーはいずれも世界各地で調査経験の豊富な猛者ばかりで、森の「樹相」を一瞥すれば、そこにどんなチョウが棲んでいるか想像できてしまいます。

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いつブータンシボリアゲハが飛び出してきてもおかしくないと、緊張の様子が伝わってきます。こちらも突然出てきたら撮影をどうしようかと、私も気が気ではありません。

しかし残念ながらそれらしい影は現れないうちに、雨期お決まりの厚い雲が湧いてきました。雷鳴とどろき雨も降り、黙々と歩くだけです。

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激しい雨で足元はぬかるんでどろどろ。牛糞と馬糞と泥が混じった果てしない泥濘の道をただ歩いていきます。

みんなずぶ濡れで歩き続け、谷の入り口からなかなか標高が上がらぬまま3時間も歩いたところで、突然出くわしたのがこの古い仏塔。

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苔むし朽ち果てそうなたたずまい。ひょっとして78年前にブータンシボリアゲハを発見したイギリスの探検家たちも、この塔を見たのでは…?という貫禄でした。

そろそろ辺りも暗くなり、滞在予定地の村まで標高差100メートルほどを一気に稼ぐ登りになりました。

吸血ヒルがやたらと多く、取材班の森山カメラマンは背中をやられてTシャツが真っ赤に。いやらしいことにヒルは静かに食いつくため気づきにくいのです。

黙って血だけ吸ってくれればいいのに、血液の凝固を妨げる物質を注入するから血がなかなか止まりません。

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あえぎながら急傾斜を登っていくと突然、巨大な建物が現れました。何と滞在する村の家屋らしいのです。

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特に家財道具はありませんが40人くらい泊まれそうな大広間がありました。なぜこんなへんぴな場所に立派な建物が?ともあれ快適に滞在できるのはありがたい。その日はみんな疲れて、夕食を終えるとすぐ眠りに落ちました。

ブータンの食リポします

一番よく食べたのがブータンの人が愛してやまないソウルフード、トウガラシ。ブータンの言葉で「エマ」と言います。日本人にとっての「みそ汁」みたいな料理が、エマ・ダツィというトウガラシのチーズ煮です。

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ブータンの人はほぼ毎日食べていて、私たちも現地でいただきました。辛いものが苦手な人にブータン旅行はなかなかつらいかもしれません。

秋、村々の家の屋根や壁は真っ赤に染まります。冬に備えてトウガラシを干すのです。どことなく懐かしくなるようなのどかな風景です。

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8月12日 「お前が叫ぶな!」

早朝に気持ち良く目覚めました。周りを起こさないようそっと外に出ると、周囲には日本でも見られるミズナラによく似た広葉樹が茂る森が広がり、チョウ好きにはたまらない環境でした。思った以上に素晴らしい森です。

調査に同行した森林保護官の話では、ここはすでにブータンシボリアゲハの生息地だということです。きょうも天気は晴れそうで期待が高まりました。

朝食を済ませて出発を控えた午前9時前。準備を終えて待ちきれない隊員たちは、宿舎の周囲に散らばってチョウを探していました。すでに強い日差しが照りつけて木々の葉の露がキラキラと輝いています。

唐突に隊員の悲鳴に近い声が森に響きました。
「ブータンシボリが飛んでいる!」

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反射的に声の方向に目を向けると、大きな黒いチョウが林の縁を滑空して近づいてくるのが飛び込んできました。思わず私も

Over There!(あそこだ!)」

と絶叫していました。絶叫でした。

烏の濡れ羽色とでも表現しましょうか、漆黒の翅が太陽光線を受けて妖しく光沢を放っています。今思うと羽化したばかりの個体だったのでしょう。みずみずしい光沢がそれを物語っていました。

黒くて大きなチョウというと、日本でカラスアゲハやクロアゲハをご覧になった方なら、あの素早い不規則な飛び方を想像されるかもしれません。ところがこの黒いチョウは、まるでグライダーのようにほとんど羽ばたかずに高所を滑空するのです。

まるで敬虔なチベット仏教徒のブータン人が仏塔を参拝するかのように、ゆっくりと時計回りに宿舎を旋回し、まもなく森に消えていきました。

「きれいねぇ」と、隊員の五十嵐夫人がため息と共に漏らしたことばが今も鮮明に耳に残っています。

外での大騒ぎを聞いて飛び出してきた内山ディレクターから「調査隊のファースト・コンタクトの表情が大事なのに、お前がいち早く見つけて興奮してどうする!番組を台無しにする気か!」といきなり大目玉を喰らってしまいました。

その時は自分のプロ意識の欠如に「誠にすまんかった」と悄然としましたが、あれほど焦がれ続けた幻のチョウが本当に目の前に出たのだから興奮するなというのが無理というものでしょう。ちなみに後日放送された番組では私の興奮した声がしっかり使われ、緊迫したその瞬間の空気をよく伝えていた、と思います。

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いきなりの本命出現に調査隊の期待は一気に最高潮に達し、案内人の森林保護官の先導で、一行は奥のポイントに向かいました。

歩くこと2時間。「花に来ている!」と隊員の一人が駆け寄ってきました。ガマズミの仲間の白い花に、黒くて大きなチョウが止まっています。

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特徴的な三つの尾に大きな赤い紋。まぎれも無くブータンシボリアゲハそのものでした。

間近で見るその姿は、大英自然史博物館の標本写真のものに比べてはるかに黒く、そして赤い紋は鮮やかに見えました。

「ヒマラヤの貴婦人」とはよく名づけたものです。高貴なドレスを身にまとい、美しく化粧した艶やかな女性のイメージです。

隊長の原田基弘さんが捕獲を試みて間一髪で逃げてしまいましたが、まもなく後ろで叫び声がしました。

「採った!」

見事にブータンシボリアゲハを採集したのは、進化生物学研究所主任研究員、青木俊明さん。”採集の達人”の腕前はさすがと一同感嘆したのでした。

捕虫網の中のチョウをみんなで集まって見つめます。

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まさしく去年、画像を見てイスから転げ落ちそうになった、あのチョウに間違いありません。このブータン最東北部の谷に、確かに幻のアゲハチョウは息づいていたのです。

じつはこの日、8月12日は、奇しくもちょうど78年前にイギリス人によって初めてブータンシボリアゲハが採集された日でもありました。

ほかにも飛んでいないかと一行は周辺を広く探し回りましたが、山の天気は目まぐるしく変わり、やがて激しい雨が降り出しました。もうチョウは飛びません。

調査初日にしてブータンシボリアゲハの成虫確認という大きな難関を突破した調査隊。その日の夜のミーティングは大いに盛り上がりました。次に目指すのは、ブータンシボリアゲハの生態の解明です。

そう、私たちは発見だけをしに来たわけではないのです。どこに卵を産み、幼虫は何を食べて育つのか。その生態の解明なしには保護することもできません。

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8月14日 群れの生息ポイントを発見

成虫の確認に成功した2日後、もう1人の”採集の達人”で進化生物学研究所主任研究員の山口就平さんが、新たなポイントを見つけました。

ベースキャンプの裏山を登り切ったあたり、ちょうど耕作地と原生林が交わるような地点に、幼虫が食べる可能性の高いウマノスズクサというつる草が繁茂していて、多数のブータンシボリアゲハの成虫が樹上を優雅に舞っていたのです。

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初めての場所でまったく生態もわからないチョウを相手に、これまでの経験を総動員して生息ポイントを見つけ出してしまう。今さらながら調査隊の高い能力に目を見張る思いでした。

・・・そういう感動も分からないのが取材班の内山ディレクターでした。あろうことか、

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群れ飛んでいる幻のチョウを目にして「モンシロチョウより多いじゃないか。俺の人生で一番多く見たチョウだ」などとおそれを知らない暴言を吐く始末。ありがたみが分からないというのは本当に恐ろしいものです。

それはともかくこれだけ数が多いなら、ブータンシボリアゲハの交尾や産卵などを観察でき、生態の解明にも成功するかもしれません。

とはいえ残された調査期間はあと4日しかありません。調査隊は果たして幻のチョウの生態に迫れたのか。後編はこちらをご覧ください。

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食リポ第2弾・ブータンで一生分の「マツタケ」をいただいた話

ブータンは場所によって広大な松林が広がっていて、じつはマツタケの宝庫でもあります。でもブータンの人たちは日本人ほどありがたがっていないようで、「なんで日本人はマツタケと言うと目の色を変えるのか」と冷静だったりします。
 標高の高いブータンでのマツタケの旬は7月下旬から8月いっぱいくらいで、ちょうど今回の取材期間と重なっていました。

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ブータンのマツタケ、とても美味でした。

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なぜか講演した村の小学校の校長先生らと記念写真!いつか再会を願って…

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