ネットメディアから放送局に転職した私 怪しい情報の「ファクトチェック」をしていて感じる深刻な危機とは
「能登半島地震は人工的に引き起こされた」
「クエン酸重曹水を飲むと、がんと戦う細胞ができる」
「新紙幣の発行で古い紙幣が使えなくなり預金封鎖される」
私のSNSアカウントのタイムラインは、このような明らかな嘘や根拠の無い情報、あるいは「陰謀論」や「ヘイト」しか流れない、「フィルターバブル」そのものになっています。
本当かどうかよくわからない情報の中から影響が大きそうなものを見つけて、真偽の検証、つまり「ファクトチェック」をして正確な情報を伝える。記者としてそんな仕事を続けてもう8年になります。
「新聞記者」からキャリアを始めて「ネットメディア」に転職し、去年からは「放送局」で、職場や媒体は変わっても取り組んでいることはだいたい同じ。
「変な情報ばかり見ていてしんどくない?」と聞かれることもあります。でも感じているのは「しんどさ」よりも、誤った情報が大量にあふれる今の社会への危機感なんです。
「ファクトチェック」って必要なの?
「ファクトチェック」ということばが日本で知られるようになったのは、2016年。
4月に起きた熊本地震で「ライオンが逃げ出した」とする偽画像がツイッター(当時)で拡散し、発信者が逮捕される事態になりました。
同じ年の11月のアメリカ大統領選では、大量の「フェイクニュース」がネットに氾濫し、偽情報を信じた人物が銃撃事件を起こしました。
「フェイク」が現実社会にまで大きな混乱を起こすようになったこの年、私は勤めていた朝日新聞から、アメリカ発のネットメディアの「BuzzFeed Japan」に転職。
新しいテーマに挑戦していく中で、「まとめサイト」や「フェイクニュース」の問題に注目し、「ファクトチェック」報道に本格的に取り組むようになりました。
マスメディアでファクトチェックに取り組み続けている記者は日本ではまだ少ないともいわれますが、なぜそんなことが必要なのか。
例えば前に挙げた「熊本地震でライオンが逃げ出した」という偽情報も、「信じる人がいるの?ちょっと見たら偽物だってわかるんじゃないの」と思われるかもしれません。
あの地震のとき、まだ私は朝日新聞の熊本支局に勤務していました。取材でわかったことですが、地震が起きて外に避難した人たちの間では「ライオンが逃げたらしい」という情報が確かに広がっていました。
外は危ないからと、もし自宅に戻って、そのとき大きな揺れが襲っていたら。誰かの命が失われていたかもしれません。
ライオンの偽情報を流した人物は、神奈川県に住む会社員(当時)でした。
被災地から遠く離れた無関係の人が、「悪ふざけのつもりで」(供述より)流した偽情報が、被災地混乱を引き起こしていたという事実に、有事の際の偽情報対策の必要性を痛感しました。
有事の際の「デマ」が起こした惨劇として忘れてはならないのは、関東大震災の時の朝鮮人殺害事件です。101年前、「井戸に毒を入れた」などというデマが事件を引き起こしました。
デマに起因する惨劇は今の日本でも起きかねないと、私は本気で危機感を持っています。
日本に住む外国にルーツを持つ人たちの中には、今も日常的にヘイトスピーチや脅迫などにおびえ、恐怖を感じている人たちがいます。
実際に2021年から22年に、関西で在日コリアンをねらった犯罪(「ヘイトクライム」)が立て続けに起きました。いずれの事件も起こしたのは20代(当時)の男性で、ネット上のデマを信じて抱いた「嫌悪感」や「正義感」から犯行を起こしていました。
そして今年イギリスでは、ある事件の容疑者が「イスラム教徒の移民だ」などとする誤った情報が引き金となって暴動が全土に広がり、1000人以上が逮捕されました。
誤った情報はときに人を傷つけるばかりか、暴力の連鎖を呼び、人の命すら奪いかねない。
私がこれまでファクトチェック報道に取り組んでいるのは、「最悪の事態を繰り返してはならない」という思いからなんです。
ネットメディアからなぜ放送局へ?
朝日新聞から移った「BuzzFeed Japan」でニュース記者をしていた2016年5月からの約7年間に、私が取材執筆や編集を担当したファクトチェックの関連記事は、400本以上にもなります。
例えば、
「新型コロナワクチンが不妊症や流産の原因になる」は誤り。
「韓国人による日本人女児強姦事件の犯人が無罪に」は虚偽。
「乾杯は戦後につくられた言葉」は誤り。
といった記事です。
「ファクトチェックのような硬い記事はネットメディアではあまり読まれないのでは?」
そう聞かれることも少なくありませんが、実際はPV数でもシェア数でもトップコンテンツになることが多く、関心の高さを常に感じていました。
でも去年(2023年)春、「BuzzFeed」のニュース部門が経営判断で突如閉鎖に。
キャリアをどうするか悩みに悩みましたが、やっぱり報道に携わっていこうと、10月からNHK報道局の記者として、引き続きファクトチェック報道に携わっています。
今年に入ってからも、能登半島地震の際の「偽の救助要請」や、拡散した記事にむらがる「インプレゾンビ」の問題などをはじめに、さまざまな記事を担当しています。
誤った情報に関する取材は尽きることがありません。
記者12年目にして「新聞→ネットメディア→放送局」というキャリアなので、職場文化の違いをよく聞かれます。
100年以上の伝統がある新聞は、膨大な知の蓄積と全国の取材網に支えられた強い媒体です。ジャーナリズムの基本をみっちりたたき込まれましたし、紙からデジタルへの変革の中でさまざまなチャレンジもできました。
一方でどうしても、記事が読み手に届いていないようなもどかしさを感じていました。
そして飛び込んだ、ローンチしたての外資のネットメディアは、まったく異なる世界と当時感じました。記事制作における自由度の高さ、働きかたの柔軟さ。
そして何より、さまざまなデータをもとに、多くの人に記事を確実に届けることを常に意識していました。
業務のやり取りにチャットツールが当たり前に使われ、世界各地の様々な職業のメンバーがすごいスピードでやりとりしていたことに衝撃を受けたことを、今も覚えています。
私がいた日本のニュースチームの人数は多い時でも十数人で、風通しもよく小回りが効き、ファクトチェックをはじめ新しいことにどんどんトライすることができましたが、少人数ゆえの限界もあって、組織を持続可能なものにしていく難しさも知りました。
7年にわたって関わってきたチームがいきなり解体されるという、つらい現実にも直面しました。
「それで、どうしてNHKに?」とよく聞かれます。
経験したことがなかったテレビの世界に興味があったこともありますが、やっぱり映像の力は強いです。特に今のネット空間では。
そしてNHKに入って驚いたのは、ひとつのコンテンツづくりに関わるアクター(人員)の数です。
人数が多いことで組織の縦割りや意思決定の複雑さなどもありますが、少人数では気づかなかった視点や、おもしろいビジュアル、伝え方も生まれています。
災害報道の影響力の大きさや寄せられる信頼の厚さにも、中に入って改めて気づかされました。
そしてテレビとネット、ラジオや外国語の放送など多くのチャンネルと番組があることで記事が届く先もぐっと広がり、自分がこれまで培ってきたファクトチェックのスキルを存分に活かせるようになったと感じています。
ではどんな方法で毎日ファクトチェックをしているのか?最近起きた衝撃的な事件を例に、ご説明していきましょう。
トランプ氏銃撃事件でファクトチェック
「トランプ前大統領が演説中に銃撃された」
一報を受けた私は、すぐに真偽不明な情報がSNSで広がっていないかを調べました。
大事なのは、できる限り早くファクトチェックして報道することです。
方法① キーワードを想像してキャッチ
そのためにはまず、誤った情報に含まれそうなキーワードを想像して検索していきます。名前の「トランプ」や、「犯人」。
なぜ事件を防げなかったのかという疑問が湧きそうなので「シークレットサービス」なども。
海外ではすでにファクトチェック記事が出されていて、そこにあった「内部犯行」「やらせ」といったワードも取り入れて検索しました。
SNSの拡散分析に使う「BuzzSumo」や「Brandwatch」といったツールもこうした検索に役立ちます。
方法② 「フィルターバブル」の声を聴く
私は日頃から複数のSNSアカウントで、「陰謀論や誤った情報を頻繁に発信しているアカウント」などをフォローしています。
そうするとSNSのアルゴリズムによって同じような種類の情報しか流れなくなる、「フィルターバブル」が作られます。問題視されているフィルターバブルを逆手にとって、誤った情報の早期キャッチに使うわけです。
そうした手法でSNSの投稿を見ると、
「シークレットサービスが事前に事件を知っていた」
「政府内部の犯行だ」
「塗料入りボールによる攻撃で、政治のための自作自演だ」
「トランプ氏は事件の翌日にゴルフに行った」
といった情報が広がり始めていました。
トランプ氏の銃撃事件では、この一連の作業を1日かけてチームの記者と2人がかりで何度も繰り返し、集まった偽情報や誤情報、根拠不明の情報などはXとTikTokだけでも50以上、あわせて1億インプレッションを超えました。
これらの投稿が消されてしまう前に、画面をスクリーンショットなどで保存しておくことも必要です。
これらの情報を、
といった点を考慮して、ファクトチェックする情報を選んでいきます。
トランプ氏は事件の翌日にゴルフに行ったのか?
例えば、「トランプ氏は事件の翌日にゴルフに行った」という真偽不明の情報が、動画とともに拡散していました。
これと同じ動画が、もし銃撃事件の前にネットに流れていたことが分かれば、これは誤情報だと言えます。
調べるとこの動画はTikTokに投稿されたものでした。すでに閲覧できなくなっていましたが、投稿した人が「事件翌日の動画ではない」と否定していたことがわかりました。
ファクトチェックではこのように、「その情報が最初にどこで発信されたか」という、ルーツを調べることから始めていきます。
調べるためのツールとしては、Googleがファクトチェッカー向けに提供している、その名も「Fact Check Tools」や、一般的なGoogle検索、ストリートビュー、特定の地域に特化した検索エンジンやアーカイブサイトも活用します。
それでわからなければ公的機関の資料を調べたり、専門家に取材したり。実は日頃私たち記者が行っている取材活動と、あまり変わりはありません。
そうすると、ちょっと疑問に思われるかもしれません。
「ファクトチェック」と「取材」との違いは?
「ファクトチェック」と「取材」との違いは、ひとつは、ファクトチェックで真偽を検証する対象は、取材よりも狭く、「すでに世の中に公開済みの情報」が対象だということ。
もうひとつは、ファクトチェックした結果を報道する際には、その検証の過程や手法を、読者が追体験できるように説明することが求められるということ。
例えばさきほどの「トランプ氏が銃撃事件の前にゴルフに行っていた」という動画は、どのように検証して、なぜ誤りだと判断したのかを説明する。
それによって、もしNHKや私のことを信用できないという人でも、その動画が誤りだということは、自ら再検証して判断できます。
さらに記事の書き方でも、ファクトチェックした結果の伝え方は、単に「正しい」「誤り」だけはありません。
これは「ファクトチェック・イニシアティブ・ジャパン」(FIJ)という、日本でファクトチェックの普及活動をしているNPO法人がつくった判断の一覧です。「レーティング」とも呼びます。
さきほど検証した「トランプ氏が翌日にゴルフに行った」という情報は、事実に誤りがあるので、この一覧では「誤り」か「虚偽」。
そして拡散した人物が訂正しており、事実で無いと知りながら伝えたとは言えないため、「誤り」となります。
別の情報、例えば「今回の銃撃事件は仕組まれたものだ。自作自演だ」という内容の投稿も多く見られましたが、事件が起きて間もないときは、判断のしようがありません。
そのため、「根拠不明」などとレーティングします。
レーティングはとても難しい作業で、「これは不正確?根拠無し?」など、記事の完成ギリギリまで悩むことも少なくありません。
なぜこのような細かい区分が必要なのか。意図的に流す偽情報と、うっかりミス、それぞれ防ぐための対策は異なります。
うっかり誤った情報を発信してしまった人にも「デマだ!」と声高に批判したりすると、感情を害して対立を生むばかりで、必要な対策が進まなくなってしまうおそれがあります。
そのため「偽情報」と「正確」との間にいくつもの段階を設けて、それぞれに応じた対策を考えていくわけです。
デスクや同僚にも判断を求めながら、トランプ氏銃撃事件を巡る誤った情報についてまとめた記事がこちらです。「サタデーウォッチ9」の「デジボリ」コーナーでも深掘りし、キャスターが解説しました。
同じ事でも繰り返し伝え続ける
ファクトチェックでは、同じような内容でも繰り返し伝え続けることも大切です。
誤った情報や陰謀論などは、「消火」したと思ってもくすぶり続け、何年かして「新たな証拠が見つかった」などとして、また広がったりするものが少なくないからです。
また繰り返し伝え続けることで読者や視聴者が、疑わしい情報の「パターン」を知っていくことができるとも思います。
強い地震や大きな災害が起きたあとは、「人工地震」とか「地震予知」あるいは「外国人の窃盗団」といった偽情報や根拠不明の情報などが流れるはずだ、など。
ファクトチェックの記事を蓄積(アーカイブ)してデータベースのように日頃から多くの人に見てもらったり、そもそもニュースサイトの記事を整理して、複雑な情報もわかりやすく伝えていったりする工夫も求められます。
SNSなどですでに広がった情報の検証を「デバンキング」(debunking)と呼びますが、それに対して事前に検証する、気をつけてと注意を促すのは「プレバンキング」(prebunking)と呼ばれています。
そのほかに、情報を主体的に読み解く力を身につける「メディアリテラシー」教育に参加したり、行政やSNS事業者などとも定期的に情報交換をして、問題点を確認していく。
そうしたファクトチェック以外のことも同時にしていかないと、問題は解決しないと思っています。
今の情報空間は、「荒れに荒れている」と言っても過言ではありません。
共鳴しあった人だけが分極化し、それぞれが心地よくなれる情報ばかりが広がっていく。
偽・誤情報や差別、誹謗中傷がはびこり、情報そのものが「正しい」か「正しくない」か、もはや関係ないかのような振る舞いすらも許容されている。そんな風にすら、感じてしまいます。
一方で、本来であれば情報を整理し伝える側のメディアへの信頼は低下し、その力も弱まっています。メディア産業の持続性についての不安も、新聞、ネット、放送、どの現場からも聞こえています。
そのような情報空間のうえに成り立つ社会は、ある意味でもろく、危機的な状態にあるともいえるのではないでしょうか。関東大震災で起きてしまった惨劇が、今の時代にも起きうると感じてしまう理由は、ここにもあります。
ファクトチェックには、その手法や効果も含め、課題や論点が多くあります。ここで記したことが正解でもありません。
すべての問題を、解決するわけではないとも思います。
しかし、それを淡々と確実に続けていくことが、無意味だとは思いません。
フェイクの問題に向き合い始め、8年が経ちました。状況は良くなるどころか、悪くなっているかもしれません。
少しでも良い方向に変わっていってほしい。ファクトチェックの積み重ねが、荒れた情報空間の「ほつれ」を編み直すことにつながる一助になればと願っています。
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