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物静かな壁、声の おしくらまんじゅう

東京で暮らし始めて早7か月。3連休を利用して久しぶりに大阪に帰省した。最後に大阪に行ったのはお盆の時だから、凡そ5か月ぶりだ。

お盆のときはまだ東京に来て2か月。今のパートも始めたばかりで、まだ電車に乗ってあちこち巡るような時期ではなかったので、東京の雰囲気をロクに知らないまま大阪に戻っていたような気がする。
今回は引っ越しから半年以上が経過し、少し東京の空気に慣れた状態で帰省した。だからか、前回では見えなかった大阪と東京の姿が今回の帰省を通して少し見えた気がした。その中のひとつを書こうと思う。

物静かな壁

都内の駅はいつも病的に混雑している。「なんか人が多いな」レベルではない。大勢の人が固まりとなってひとつの壁に見えるくらいの病的な混雑ぶり。
一体どこから人が集まってくるんだろう、タケノコのように朝生えてきているのでは?と思うくらい、どこを見ても視界にあるのは群衆、群衆、群衆だ。(もちろん私もその群衆の中の一人だ)
しかし、東京の群衆は大阪の其れよりずっと「静か」であることに、今回の帰省で気づかされた。

声のおしくらまんじゅう

JR大阪駅の中央改札口。大阪府内でも屈指の混雑率を誇るキタの玄関口だ。(キタ=大阪梅田を中心とする巨大なオフィス・繁華街)
久しぶりに大阪駅の改札を通ったとき、私は直感的に
「なんか知らんけどめっちゃやかましい!」
と心の中で叫んでいた。

新宿、渋谷、池袋、これら都内ハブ駅より明らかに大阪駅の方が人が少ないのに、なぜか大阪駅の方がめちゃくちゃ やかましい。騒音の厚みが違う。近くにいる人の声以外にも、ざわめきのような声がずーっと聞こえる。
なぜこんなに やかましいんだろう。そんなことを考えながら大阪駅を行きかう人々を見ていると、ふとあることに気が付いた。

皆、一緒にいる人と ずーっと話してる!

「なんだ、誰かと一緒にいれば話をするのは当たり前じゃないか」と思うかもしれない。実際都内ハブ駅にも歩きながら隣にいる人と話している人は大勢いるし、都内ハブ駅を利用している人は皆無口だと言いたいわけではない。

気になったのは、大阪駅で話をしている人達の会話には沈黙がほぼ無かったこと。一つの話題が終わっても間髪いれずに次の話題に移っていく。階段を上ったり、エレベーターやエスカレーターに乗るタイミングなら流石に言葉を交わさないだろうと思いきや、視線は床に向きながらも声は発し続け、会話を止めることはない。
目薬をさしながら会話を続ける人、カバンをゴソゴソしながら携帯がないだの、どこで買っただのと話をし続ける人……そんな人ばかり。
誰かといる人はずっと何かを喋っていて、その1つ1つの声が大阪駅のコンコースいっぱいに充満して、おしくらまんじゅう状態になって私の耳を圧迫していたのだ。

以前夫に「大阪人って喋らない分寿命が縮む体質なの?」と煽られて、カチーンときたことを思い出した。そんなに喋ってるわけないやん、黙ってる時もあるわと、そのときは本当に思っていた。
違った。大阪の人は本当にお喋りだったのだ。少なくとも、東京のハブ駅を利用している人たちよりは。ふと会話が途切れて数分沈黙が続くことも無いことはないが「無いことは無いけど…」程度しか、無いのだ。

まさか大阪を離れてからこんなことに気付くなんて。夫の言っていたことも強ち間違いじゃないのかもしれない(笑)

涼しい顔をしながら大きな壁のようにひとかたまりになって動く東京の群衆と、大きな声に更に大きな声を重ねて、ひたすら口を動かし続ける大阪の人びと(東京と比べたら群衆とは思えなくなった)。
側から見るとどちらも病的だが、その中に入ってしまうと気づけないという意味では同じようなものなのかもしれない。面白い発見だった。


ついでに、もうひとつ大阪と東京の姿を挙げるとすれば、やっぱり大阪はうどんの国で、東京は蕎麦の国ってこと。
(勿論大阪にも美味しい蕎麦店、東京にも美味しいうどん屋はあるけどね。数が違うって話)

久しぶりに食べたうどん、美味しかったなぁ。また帰省したら寄って行こう。