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記者を辞めて、フリーランスと福祉の仕事を始めた話

 はじめまして。原菜月と申します。
フリーライターとして記事を書く傍ら、障害福祉サービス事業所で働いています。今年の夏まで、通信社の記者を7年やっていました。

 フリーになって約4か月。年の瀬になり、ようやく重い腰を上げてnoteを投稿してみようと思い至りました。今、アマゾンプライムで「ラブ・アクチュアリー」を見ながら書いています。年の瀬感満載です。

草津温泉の湯畑にて。少し前、群馬県に引っ越してきました。

 2022年は、個人的に激動の1年でした。年始は適応障害の療養中で、実家でひたすらゴロゴロしておりました。働いていないとこんなに肩身が狭いのか。これからどうしよう。早くまた働かなきゃ、誰かの役に立たなきゃ。今思えば、そんなゴリゴリの固定観念が内面化されていました。

 結局、半年ほど休職しました。「クソがつくほど真面目だね」と言われる性格で、中学生ぐらいからずっと走り続けてきたので、30歳手前で一度立ち止まれたのは良かったと思います。でも当時は水中へずぶずぶ沈んでいくように苦しく、修行のようでした。

 転機となったのは、静岡県浜松市のNPO法人「クリエイティブサポートレッツ」との出会いでした。重度の知的障害や精神障害がある人たちが日々を過ごしている、アートNPOです。同じく休職経験がある友人から「このNPOにゲストハウスがあるよ」と教えてもらい、思いきって宿泊を申し込んだのが今年の1月。障害がある人たちが暮らすシェアハウスの一角が客室になっていて、そこに1週間ほど泊まらせてもらいました。もともと障害福祉の取材をしていたので興味があったのもありますが、どちらかというと「家にいるだけでは治らない、もう自分だけではどうにもならん!誰か助けてくれ!!」とすがるような思いが大きかったと思います。

 レッツで感じたことは、簡潔には言い表せません(超パンクで超素敵なので、ぜひホームページやSNSでご覧になってみてください)。ただ、床で昼寝したり、ひたすら走り回ったり、頭から水をかぶったり、大声で歌ったりしている彼らが、とにかく楽しそうで、少しうらやましかった。今までの自分は「何か」をしていないと価値がないと思い込んでいたんだなあ。他者からの評価=自分の価値、と刷り込まれていたんだなあ。痛いほど思い知らされたと同時に、ガッチガチに凝り固まった肩が少し楽になった気がしました。すぐには無理だろうけど、軸を少しずつ自分に戻す訓練をしてみよう、と思いました。

他にも、

母親と行ったグランマ・モーゼス展で心がほぐれるのを感じて、そういえば自分は絵が好きだったんだと思い出して、油絵で自画像を描いてみたり、

Mー1で大ハマりしたランジャタイのネタで涙が出るほど笑ったり、

これまた大ハマりしたBTSのオンラインコンサートを見て、またまた涙を流したり、

人気ポッドキャスト「over the sun」でアナウンサー堀井美香さんがフリーになると聴き、自分も沖に出てみようと背中を押されたり、

大好きな友人たちが「もっとのんびり過ごしなよ」「あんたが何をしてたって大好きだよ」「なんとでもなるよ」と伝えてくれたり、

またレッツに遊びに行って、そこで出会ったフリーライターの大先輩に「会社を辞めると、面白いことがたくさん起こるよ」と教わったり、

 色々な要素が重なって、会社を辞め、髪を金色に染め、群馬県に引っ越しました。ちゃんとした転職活動はしませんでした。組織に所属したら、これまでの癖で「役に立ちたい」と躍起になって、またパンクするんじゃないかと思ったからです。 でも実は、福祉の仕事をやってみたいという気持ちもありました。じゃあ、フリーライターと福祉の支援員、二足の草鞋にすればバランスを保てるんじゃないか?そう考えて、今に至ります。

 noteを始めてみたのは、これまでのお仕事をまとめて発信する場がほしかったからです。でもうまく言葉にしきれないモヤモヤや、記事に落とし込めなかった切れ端のような言葉たちも記録したいと思います。年内にもう一度投稿できれば良いな。ゆるく、よろしくお願いします。

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