夏休み=夢で、現実に戻るのが嫌なのは、戻る場所が自分に合ってないから。
中村洋太さん。すごい。なんかわからないけど、言葉がすごいんだなと。
表現力?というか。さらっとすごいことをやってる感を感じた。
僕もなんで今こんな気持ちなんだろう?ってことを言語化していったら何か見えるかもしれないと思って、指だけ動かしてる。
今、僕は不安なんだ。
夏休みという夢物語が終わる。と思い込んでるから。
夏休みが終わったら、地獄の日々が来ると思ってるから。
そう思うと、動きたくなくなった。
全然ワクワクしないし、鬱々としてくる。
何もしたくない。
塞ぎ込んじゃう。
嫌すぎて。
何が嫌なんだろうと思ったら、楽しくもない話を延々と聞かされ、楽しくもない………
違くて。
成長した、あけっぴろげの僕であの場所にいることが怖いんだ。
ありのままの僕でいたら、怒られちゃう。脅されちゃう。蹴落とされる。非難される。
僕にとって、現実における社会はそんなところ。って思い込んでる。
そんなことない素敵なコミュニティの方々と接する時間、ご飯を食べる時間は、僕がいてもいいのかな。
少しそう思わせてくれる。
それは、現実の社会とはちょっとズレてるような気がしていて。
だって、働かなきゃお金はないし、お金がないとふらふら生きることも難しくなる。
現実とは苦しいものっていう思い込みが外れたらいいんだな。
夢物語と現実を分ける必要なんかきっと無い。
それでもぼくは怖いんだ。
どうしようもなく怖い。
人目が気になるのにたくさんの人がいて気が滅入るし。
一人でいたらぼっちの可哀想な奴になるし。
みんなと仲良くしたくなって、そんなに好きで無い人にも仲良くしようとしてしまうし。
それはやめよう。
僕が僕の好きなペースで人と関わればいい。
みんなと仲良くしなきゃいけないなんてことはないんだよ。
好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだし、僕のペースは僕のペースだし、それでも社会のペースは早すぎて。
走らされるだけ走らされて転んで、怒られて、辛くなって、辛くなる。
そんなことが繰り返されるくらいなら、行きたく無い。考えたくも無い。近づきたくも無い。
それでもやり抜こうと思える何かが僕にあるんだろうか。
僕が僕と向き合うことで見えてきたのは、どうしようもなくゆるふわな人間だってこと。
気ままに予定を入れて、気ままに起きて、気ままに寝て、気ままに飛び込む。
気ままに生きたい。
気ままに生きることを許されるような場所を僕はまだ知らない。
気ままに生きたい。
気ままに生きるってなんだろう。
気の赴くままに行きたいところに行って、美味しそうなご飯を食べて、素敵なコミュニティの方とお話しして、一緒に個展とかイベントに実施側として参加したり。
そのためには、お金が必要で。
時間は、全て僕のもの!ってくらい自由に使えて。
たぶん、それがあれば、コミュニティに飛び込める。
あと、何かしら、僕の専門となること、得意なことでしてあげられることを持つこと。
それが夢なのかもしれないな。
気ままに生きたいってことが。
それさえあれば、と思いつつなかなかの大きな目標にもみえる。
この夢を逆算した時に、僕にできること。
まずは、僕が専門家になること。
看護の道に進みつつあるんだからとりあえずその専門家になること。その間にお金は集まる。時間はともかく、、、
たぶん、ひたすら、専門性を磨いたらいい。続けていれば得られるものがあるから。
問題は、、、気ままに生きたいという気持ちが強すぎて、寝れるだけ寝たいし朝起きる時間も働く時間も縛られたく無い。
そのおかげで、四六時中縛られてると感じながら生きてるから、縄が食い込むし動きづらいし、もうムカついてしょうがない。
四六時中ストレスフル。
それこそが今の僕が、職場とか学校の社会の中で感じてること。
四六時中ストレスフリーな気ままな人生を望む僕が一番ストレスなことをやってる。
辛く無い方が変。
環境の問題?
気持ちの問題?
気持ちの問題もあるんじゃなかろうか。
だって、ルールまみれで働いていても気ままに生きられていたらいいのでは、、、
ルールまみれの環境で気ままに生きるってどういうことだろう。
サッカーはルールがなければできない。
そのルールの中で必死こいてゴールを目指す。
ルールの中で。
もしかして、僕は、ルールすら嫌なの、か?
サッカー場に大砲を持ち込んで、サッカーボールを詰め込んで、点火して、ゴールを決められたら楽しい人なのではないか。僕は。
それは自分ルール?
ルールですら無い。
それこそ、気ままにできたらそれで満足なんだ。
気ままに。
気ままにするのが許されるところに身を置かないと僕は気ままにならないことに日々ストレスを感じてイライラすることしかできなくなる。
ゆぴさんもXの誰かのツイートでもみた。
向いてないのに無理してやっても、迷惑しかかけないし、自分も大変だし、誰も喜ばない。
どうしよう。
気ままにすることが許される仕事ってなんだろう。
クリエイティブな仕事はいくらかは気ままに生きられるのかもしれないな。
ノルマはあれど、黙々とできる仕事がいいのかな。
起きたい時に起きて、寝たい時に寝れる仕事がいいのかな。
とりあえずクリエイティブ路線に突っ走るべし。なのかな。
辛いもんね。どうにもならないもんね。この、性格。
苦しいよぉ、、、と嘆きながらも世のため人のため!!!
と生きられたらいいけど、僕は、早いと1ヶ月で気が変わるし、なんなら翌日にはホットな情熱がアイスなティーに変わってて。
たぶん、情熱で生きられない人なんだなって。僕は。
持たないもの。気持ちが。全然。
最初だけ意気込んで、いつも、誰が消すわけでもなく火が消えてるんだもの。
なら、どうしよっか。
世のため人のため路線は打ち切りだっていうなら、我が為ってことだよね。
我が為なら、何を選ぶんだろう。
それこそ、気ままにできることが一番。内容は二の次!くらいに思ったらいいのかしらね。
そんな気もする。
そもそも、気ままに生きるって何がしたいわけでも無いんだから。
どんなふうに生きたい?と聞かれて、気ままに!ってだけだもの。
タワマン最上階までギラついて行くぜ!とか、むしろげんなりするまである。
気ままに生きられる場所はどんな場所だろう。
ゆぴさんみたいにフリーランスになれたらいいんだろうな。
文字通りフリーだもんな。
ストレスもフリーなんだもんな。
詰まるところ、なんのフリーランス??ってことだよね。なんの仕事なの?ってことだよね。
なら、僕が提供できることを提供する場所ってことだよね。
全ての人は代替可能だっていうなら、あんま気負わなくていい。
できることをやればいい。
そこからがスタート。
ぶっ通しで書くのって疲れる。
でも、スタートは見えた。
ちょっと休憩して、もうひと推し。
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