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【雑記】_酒が飲める というアイデンティティ

絶賛断酒中である。

メンタルを崩し、休職。不安を和らげるため、薬を飲んでいる。

薬の名前はレクサプロ。幸福物質とも呼ばれる、「セロトニン」の分泌を助けてくれる。1錠、また1錠と飲むたび、「あぁ、私、名実ともにメンヘラじゃん。」と、自分を蔑む声が聞こえる。

その度に「いや、今、私にはこれが必要だし、

ままならない自分を助けてもらうことは、恥ずかしいことじゃない」と別の方向から声が聞こえる。

頭の中が忙しい。

お酒については、別にドクターストップされたわけではない。ただ、「酔っ払ってる時に、薬は飲まないでね」と釘を刺された。休職する前まで、終業後は1時間30分かけてフラフラと帰宅し、

糖質70%オフの金麦 500mlを1缶と、これまた糖質70%オフのセブンイレブンプライベートブランドビール 350ml を1缶飲むのが日課だった。

コンタクトを入れたまま寝落ちし、目はシバシバ。疲れと汚れがこびりついた体のまま目を覚まし、何度絶望したことだろう。

バタバタの毎日。

そういえば、いつから私はお酒を飲むようになったんだっけ?


あぁ、そうだ。大学生の時だ。


18歳の時、地元岡山を飛び出し、関西の大学に進学した。私が通っていた高校は、いわゆる地方の公立進学校。入学した人の過半数が、旧帝國大学や早慶 あるいは 医学部を目指し、部活にも勉強にも励む、真面目〜な高校だった。

そんな私も、真面目〜に勉強し、真面目〜に部活に取り組む一人だった。周囲のサポートのもと、真面目〜に受験勉強を頑張り、部活もギリギリまで続けた。

第一志望の関西の大学に合格した時は、我ながら誇らしかった。私の努力は報われるし、私が望めばなんでも手に入ると思っていた。キラキラした生活、キラキラした私。でも。現実は、想像していたキラキラ生活とはかけ離れていた。

入学して数ヶ月ほどは、ずっと関西ノリに馴染めなかった。学部の大半は関西出身の人。

「あー!あそこの塾の!〇〇くん!」

「えっ◯◯高校なん!?部活の試合で行ったわぁ〜!」

「なんやねん!」

「知らんがな!」

と、盛り上がる会話に、まったくついていけず、毎日のように一人反省会をしていた。

しかも、皆、経歴や家柄が素晴らしい。

「高校の時1年留学して」

「家が自営業で」

「母親が裁判官で」

「父親が大学教授で」

「帰国子女で」 

「自力で奨学金をとって」 …

一度も海外に行ったことがない、ファッションセンスもない、スタイルも良くない、とりわけ頭がいいわけでも、一芸があるわけでもない私は、「キラキラした私」になれなかった。「キラキラしてない私」は、私ではない。


そんな中で私が見つけたアイデンティティが、「酒が飲める」だった。

所属したサークルでは、お酒を飲めば飲むほど、

「意外といけるジャーン!」

「もっとおとなしいのかと思った!」

「君、おもろいな!」と話しかけられた。

手っ取り早く認められた気がして、とても嬉しかった。


お酒を飲み始めて1年。

21歳になる頃には、鍋蓋で日本酒をぐびぐび飲んでいた。

(自主的に。そしてよく友達の膝で寝ていた。みんなありがとう。)


こんなダメダメな自分が、好きだった。みんなと過ごす時間が、楽しかった。かまってくれるみんなが、大好きだった。

私の酒好きは、1年間ドイツ留学で拍車がかかることになる。なぜならば、私は再び「キラキラの私」を見失ったからだ。

医学部に在籍しながら、ストリートダンスで賞を取る人。

戦場ジャーナリストを目指す人。

法学部に在籍しつつ、アーティストデビューを目指す人。

(ちなみに彼女はSpotifyで注目新人アーティストとしてピックアップされていた。)

5ヶ国語を操る人。

全世界から集まった留学生・在学生の中で、恐れおののき、焦っていた。

今ならわかる。その焦りは、とても尊い。諦めず、学べ。今いる道は正しいから、進め。と、当時の私に声をかけてあげたい。

ただ、カルチャーショックを一身に受けていた21歳の私に、どこまでそのエールは届くだろうか。

足が短く、セクシーさもなく、ドイツ語も英語も喋れない私は、ちんちくりんでしかなかった。彼らのが話しているドラマや音楽、今流行っているYoutubeの話題も、全くわからなかった。

「Was isst du morgen ?(今日の朝、何食べた?)」としか、話しかけられない自分が嫌だった。

そんな私を助けてくれたのは、またしても酒だった。

幸い、私の周りにいる学生は、みんな優しかった。そして、彼らはノリも良く、アルコールの話題は、(アルコールが好きな人の間では) 国境を越えて盛り上がることを教えてくれた。

いつしか「Magst du alcohol ?(アルコールは好きですか)」が私の口癖になった。一時私のあだ名は「テキーラ」になった。(テキーラは今でも大好きだ。)

毎晩、少なくとも500mlビールを2本。休暇中には、他のヨーロッパ諸国に留学している友達を訪ね、現地のお酒を楽しんだ。フランスではワインを2本。チェコではビールを3リットル。ポーランドではウォッカのショットで飲み比べした。楽しかった。

そんなこんなで怒涛の1年が過ぎ、「ドイツ生まれかと思った」と言われるくらいにはドイツ語が上達した頃、私は帰国した。

帰国後の私は一転、怒り狂っていた。

テロや貧困など、世界で大変なことが起こっているのに、なぜ人々は無関心なのか。なぜ日本はこんなに平和ボケしているのか。なぜ政治を語ることは面倒くさがられるのか。なぜ就活をするのが当たり前なのか。なぜ過労死する人がこんなに多いのか。なぜ忖度しなきゃいけないのか。なぜ文系学部は軽んじられるのか。

なぜ、なぜ、なぜ。

帰国してから、数週間は、みんなが「飲もう!」と声をかけてくれた。けれども私が「日本はおかしい」「みんなもおかしい」と言い続ければ言い続けるほど、人が離れていった。サークルの友達とも話が合わなくなった。

寂しさをまぎらわすように、週7でお酒を飲んだ。

月曜、バイト後に飲む。

火曜、ゼミ後に飲む。

水曜、サークル後に飲む。

木曜、ゼミ後に飲む。

金曜、バイト後に飲む。

土曜、サークル後に飲む。

日曜、バイト後に飲む。

たくさん、飲んだ。


目の前に来る、進路選択を前に、浴びるように飲んだ。極めたい学問もなかったが働きたくもなかった。

唯一興味のあった業界は、マスコミ。新聞社か出版社に就職したいと豪語し、いくつかインターンに参加した。しかし、そこでも周りの学生のキラキラした様子に打ちのめされた。

ESの添削をお願いしようと、空欄をを埋めれば埋めるほど、自分の浅はかさが明るみになるようで怖かった。整った化粧に、ハキハキとした喋り方。なんで、彼らはそんなに上手に振る舞えるのか?理解できなかった。


結局、3月に就活解禁になってからも、申し訳程度に、学校で開催された就活イベントに行くだけだった。出版社や新聞社についても、その門の狭さに怖じ気づき、ほとんどESを出さなかった。

周囲には、「やっぱ出版社とか新聞社とか諦めたわ。手に職つけたいからSE目指すわ。」と伝え、1か月経つ頃には「SEとか残業大変だから、やっぱ営業にするわ。私喋るの好きだし」と、よく分からない言い訳をして、

横浜のIT企業に運良く拾ってもらえた。提出したESは5社にも満たなかった。

私は自尊心を守るのに精一杯だった。

お酒を飲みながら泣くことが増えた。めんどくさいと言われることも増えた。でもどうしていいか分からなかった。早く卒業したかった。早く、早く。

横浜は、東京は、私を変えてくれる、そう願って。

満を持して上京。

ここでも「酒が飲める」は私のアイデンティティになった。私の勤めていた企業はいわゆる伝統的日系企業だったので、おじさまたちが多かった。

特に営業は、80%程度が男性で、平均年齢も40歳前後だったように思われる。

「若くて」「酒が飲める」「女」というカードは、私を苦しめると同時に、私を甘えさせてくれるものだった。

勤めてから1年ほど経って、私はこの会社を辞めた。

たくさん働いた。1時に帰って、5時に出社した。ミスが重なった。ちやほやしてもらえる自分と、ミスが重なって怒られている自分の整合性が取れず、精神のバランスを崩した。期待を壊してしまった、迷惑をかけた罪悪感、自己嫌悪でいっぱいになった結果、適応障害という診断書をもらって、挨拶もそこそこに、退職した。

次に就職したのは、イギリス系の人材の会社。小規模の会社で、アットホーム。毎週金曜日の就業後は、みんなでビールを飲む。

ここでの私のカードは

「若くて」「大企業から転職してきた」「留学経験のある」「酒が飲めるやつ」というカード。

やはり、私を苦しめると同時に、私を甘えさせてくれるものだった。

誰かの誕生日にはシャンパンを開けた。商談がうまく行った日には赤ワインを開けた。うまくいかなかった日には泣きながらビールを飲んだ。楽しい日々も沢山あった。

褒められることを求めて、できない、わからないことを引き受けた。自分に何ができて、何ができないのかも分からなかった。期待に応えなければと空回りし、泣きわめき投げ出し、呆れられること、多数。いつしか失敗が怖くなり、同僚の目も怖くなり、何も言えなくなってしまった。そして、出社できなくなった。

今、休職してから2か月が経とうとしている。

私が体調を崩したことを知っている人からは、「話聞くよ!飲もうよー!」と連絡が来る。心配してくれるのはありがたいのだが、正直どうやって返事をすればいいかわからず、

「ありがとう!また落ち着いたら連絡するね!」と濁すばかり。

今後、仕事をどうすのかは、正直わからない。今の職場に戻れるんだろうか。営業ができるんだろうか。本当は書く仕事がしたい。でも英語が使える環境はとても楽しい。でもお金は無くなっていく。成長ってなに。スキルってなに。彼氏いない。好きな人もいない。趣味もない。お金もない。でもたまに会ってくれる友達はいる。大切にしたい音楽や映画はある。行きたい場所もある。ごはんもたべれるようになってきた。

でも、この先、どうすれば。

今までの私のカードは、どんどん使えなくなっている。

「若さ」もいつかはなくなる。

「学歴」ももはや関係ない。

「大企業から転職してきた」も、ノウハウが生きなければ意味がない。

「留学経験のある」は、カードというより、経験。

私の中で重要な人生の一部だから大切にしたい。

じゃあ「酒が飲める」は?

新しい場所に行くたび、いつも私を救ってくれた、「酒が飲める」というカード。

引っ込み思案で、傷つきやすく、自己開示が苦手な私を、助けてくれた。そのおかげで距離を縮めることができた人、知ることのできた歴史や文化、忘れられない場所が沢山ある。

その一方で、今しか感じられない傷をごまかしたり、じっくりと関係を構築したり、小さな声を聞き逃してきたことも多いのかなと思う。

一度、「酒が飲める」カードを手放そう。

「酒が飲めなくても一人で一夜を過ごすことができるのが教養だ」と言ったのは誰だったっけ。


酒が飲めて、教養のある人間になりたいなぁと思いながら、アサヒアルコールフリービール ライムショット350mlを片手に、カカオ70%チョコレートをつまむ夜である。


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