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地域で広げ・つなげる開発教育 実践者に聞くリレートーク[第1回]レポート

リレートークの第1回目は「プレ企画」として6月8日(水)に岩﨑裕保さん(関西NGO協議会・元DEAR代表理事)を「話し手」に、七宝可奈子さん(DEAR会員)を「聞き手」に開催しました。

佐藤友紀(DEAR副代表理事)が進行役となり、「開発教育の芽吹き、アジアボランティアセンター、開発教育研究会、 核、先住民族、ニュージーランド、関西における開発教育の展開」をキーワードに対談形式で進め、全国・海外より約30名が参加しました。

実践者に聞くリレートークとは
DEAR(旧:開発教育協議会)が 1982 年に活動をはじめて 40 年が経ちます。日本での開発教育は DEAR だけでなく、全国各地の教育関係者、NGO/NGO、国際交流協会、 社会教育や青少年教育団体、JICA や JICA 国際協力推進員、サークルなど、 多様な個人・グループによって実践され、広まってきました。DEAR ではこれまで、特に団体・グループで開発教育を実践する方々と共に 「地域ネットワーク会議」を開催し、地域での展開について情報交換し、話し合ってきました。
リレートークでは、これまでの 「地域ネットワーク会議」参加者より6名の方を「話し手」に迎え「地域でどのように開発教育を展開してきたのか」を中心に、その歩みをじっくりお聞きします。

岩﨑さんのお話し

まずは動画(1:12)にて、お話部分をご紹介します!

質疑応答

お話のあと、グループに分かれて感想や質問を出し合いました。

Q.「開発教育は楽しい」という言葉がありました。岩﨑さんにとっての開発教育の「楽しさ」とは?
楽しくないこと、楽しくなかったことを思い出すのが難しい。教育内容がそもそも面白い。よい教育(good education)をしたいと思っている先生はたくさんいる。試験のためだけでない「よい教育」をしたいと考えている人たちが集まっている場での話は面白いし楽しい。自由に話し合えて、それを後に引きずるということはまずない。あまり深い意味はなく、「とにかく楽しいな」という感じです。

Q.「殺すな」という言葉に込めた意味は?
まさしくそういう意味で。あらゆる意味で「殺すな」です。
ベトナム戦争の頃にあったべ平連のキャッチコピーは「殺すな」でした。団塊の世代に染みついた言葉なのかもしれないが、全てにおいて「殺すな」。ただそれだけのことをやっぱり大事にしていきたいし、全てであってもいいなと思っています。

Q.「植民地主義を解体する」ことについてもう少し教えてください
先ほどの話の中で「わたしたちは被植民者のメンタリティを持っている」といいました。例えば、沖縄に対して本土の人たちが持っている姿勢を変えることは、ひとつの植民地主義の解体だと考えています。自分自身が被植民者としてアメリカに追随しながら、一方で沖縄に対してこのような態度をとっていることはやはりとても理不尽だと思います。

さらには、理不尽とも思わず意識もしていない。そいういった一人ひとりの持つメンタリティが社会構造をつくっています。

例えば、ウクライナの「避難民」は受け入れるが、ビルマの人はどうするのか、シリアの人はどうるのかという議論がつくれない。日本社会というのは、何十年もアメリカの方を向いていて、アジアの方を向いていない。全体が変わるのは難しいけれども、少なくとは自分はできるだけ意識した生き方をつくっていきたいと思っています。

英国ヨーク市・グローバル教育センター(GCE)のマーゴ・ブラウンさんへのインタビューの様子。左が岩﨑さん。(2007年)

Q.なぜ日本はヨーロッパと比べると変化のスピードが遅いのでしょう?
先日、衆議院会館で行われた「SDG4(教育目標)達成に向けた子ども・ユースとの意見交換会」(主催:JNNE)を観ましたが、自民党と公明党はほとんどの項目に△(どちらともいえない)と答えていました。若者たちは答を求めているのに、「答えが出せない」という不誠実な立場です。ただ、そのことが投票行動に結びついていかないのはなぜか。ヨーロッパでは、例えばグレタ・トゥンベリの動きと投票行動が結びついている。そこを繋ぐのは開発教育の役割ではないでしょうか。

<参加者より>
韓国の人と話していてもスピード感が違う。例えば、フェアトレードタウン運動は日本の方が早く始まったが、日本は6で韓国は18になっている。若い人たちが非常に熱心だし、80年代に市民活動をしていた人が首長になったり、議員になったりしています。

<岩﨑さん>
そうですね。市長や政治家が市民に対して前向きであるとも思います。ニュージーランドに行くと「日本はまだ非核化しないのか」と必ず言われます。非核宣言都市運動も日本の方が早く始まったけれども、ニュージーランドは1986年には全国の都市が非核化を宣言しました。

Q.代表理事時代、全国のネットワーク・動きについてどう思われていましたか?
2013年まで代表理事をしていましたが、その後半、2011年に東日本大震災がありました。あの時に、山形のIVYがすぐに支援活動に動き、DEARからの寄付の申し出を受け止めてくれた。その時「DEARには全国のネットワークがあるのだ」と初めて強く実感しまた。危機的なことがあったとき、そのような動きができるということは日常的には見えないものですが、やろうと言った時に、すぐにできる。

<IVY阿部さん>
DEARからの寄付はとても早く、あの時本当に全国の会員の存在をリアルに感じました。

<岩﨑さん>
スタッフが全国としっかりつながっていることが強い。事務局は東京だが、寄付のお金は全国から届いたものでした。この3.11のことは、とても強い印象として残っています。

Q.DEARは関西vs関東の対立がないように感じられますが、なぜだと思いますか?
「一緒にやっている仲間だ」という意識がある。「あいつあんなことやりやがって」ということは言わないし、対立はない。理念が共有されていて分かり合える部分が大きいのではないだろうか。

Q.世界の現状を知って知れば知るほど悲しくなることはないですか?
例えば、僕一人が地球で逆立ちをしているのを宇宙から誰かが見て「あの人地球を支えていて偉い」と言ってくれるだろうか。そんな一人でがんばって支えてるわけではないですよね。知れば知るほど何か悔しい思いはするんだけれども、それで悲しくなったり、しんどくなるということは僕の中ではなかった。

大学で教えていた時、動物実験に心を痛めて「みんな分かってくれないと」嘆いている学生がいた。その時に、この「地球で逆立ち」の話をした。「きみ一人で頑張って何かができるわけではない。しかし、きみができることをして、わたしはこうやったんだと伝えることはできる」と言いました。互いの関係性を考えてできること、一緒にできることを探して行けば、しんどさに打ちのめされるわけではないのではないか。何かどこまでできるかということをあまり強く問い詰めたり、見極めたりしない方がよいのではないでしょうか。

参加者アンケートより

アンケートには、たくさんの感想や想いがつづられていました。その中から一部を抜粋してご紹介します。自身の歩みと重ねながら、ふりかえりながら、岩﨑さんのお話しを聞いたという方が多くいらっしゃいました。

  • 岩﨑さんがオセアニアの非核化や沖縄など色々な問題に関わりつつ開発教育を「脱植民地主義」と表現されたことで、すべての問題が一つにつながり、またここにこそ開発教育の根幹があるのだとあらためて実感できました。

  • 大変興味深いお話、ありがとうございました。それぞれのストーリーがつながってヒストリーとして今の開発教育につながってきていることを実感しました。また、私自身が関わってきた開発教育の位置づけも改めて考えさせられました。

  • 岩﨑さんのお話を聞きながら、自分自身の学んできた歩みを振り返ることができました。お世話になった方のお名前もたくさん聞き、懐かしく思い出しました。

  • “開発教育” という旗の下に多くの方が集まり、全国各地で実践され、その成果や課題を持ち寄りさらに深化させていく、というネットワークのすごさを感じました。

  • 岩﨑さんのお話と参加者のコメントから、視野の広さ、不公正な構造への怒り、虐げられた人々への共感、自らの思考・行動を批判する厳しさ、を感じました。開発教育が大事にしていることを反映しているのだろうなと思いました。

  • 今回、特に関西地域を軸として日本の開発教育の歴史が語られていた。また、改めて開発教育実践は様々な(おもしろい/力強い)人々が出会いつながることでこれまで続けられてきたのだなと感じ、開発教育の国内のこれまでをふりかえる機会になりました。

岩﨑さん、参加者の皆さん、ありがとうございました!

関西セミナーハウス開発教育研究会の本

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