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ただ私を話す。表現する。

私自身のために話す、書くことしかできない。皆そうしているのではないかと思う。

情報がたくさん流れてくる中で受け取らないことも重要。すべてを真に受けない。

「私はどう感じるか?私はどうしたいか?」
すべて私に問うことをするようになった。

今まで他人を一番。
自分を二番手以下にしてきたからだ。

相手は変えられない。コントロールできない。でも自分は変えられる。

言葉、言語、日本語の難しさ。

そんな風に意図していない。
(あれ?何でそんな風に受け取られるのだろつか?)(いやそうじゃない)(そういうことを言いたいのではないのだ)

私の言葉足らずであったこともあるのだろう。

心の中でモヤモヤを残したまま。納得できないことでも「はい」と言ってきた私。

私は〝私〟の本当の声、心の声を身体に押し込めてきた。言葉と心が一致していなかったのだ。だから病気になったと思っている。

それはもうおしまい。

〝私〟の声を素直に出す。
ただ〝私〟を表現をすることにする。

note、SNSにはいろいろな人がいる。
いろんなことばや考えがある。

どう解釈するか。私次第。
書く側の自由。読む側の自由。

話すこと。書くこと。
相手を意識してしまっては書けなくなってしまう。

読む側のことを考えて書く?
そんなことはできるのか?

読み方、解釈の仕方は相手の問題なのだ。

受け取ることもできる。
受け取らないこともできる。
すべて自由なのだ。

わざと相手を悪く言うことを私はしない。

相手に言うことば=自分に対して言っていることば。

受け取って傷つくのは誰?
すべて〝自分自身〟で選んでいる。

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