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じいちゃんを想う

今日は大好きなじいちゃんの命日。
私の心と身体で今も生きている。
何か困っている人を見ると何かしたくなる性格なのはじいちゃんから私が貰ったギフト。私が私で生きることが恩返しになるのかもしれない。

平成23年2月9日。98歳。
病院で亡くなった。肺炎。
お見舞いで何度も病院に通った事を思い出す。1番近い身内が亡くなった初めての出来事。

会社を早退して病院に着いた時にはもう亡くなっていた。前日にお風呂に入った事が原因ではないか?父が100歳まで生きていて欲しかったと言っていたのを覚えている。父の想いも分かる。

じいちゃんの決められた寿命だったのだ。
人は死ぬ。改めて教えられた出来事。

今なら冷静にそう思える。当時の私は最愛の人を亡くした悲しみ、辛かった。不意に涙が溢れる事がよくあった。

じいちゃんを一言で言うと「愛」の人。
愛が溢れていた。
とにかく優しい人。
与える人。
そして笑顔がかわいい人だった。
「かわいいじいちゃん」いろんな人から言われていたのを見た。

87歳頃のじいちゃん。

いつもニコニコしていた。
私は怒られた記憶が全くない。
プラスチックのバット、ゴムボール、公園で良く遊んでくれた。夏休みのラジオ体操も一緒に行った。お菓子屋さん下請けの仕事をしていた。家で酸っぱい匂いの白い液体を混ぜていた。混ぜるのを手伝わせてもらった思い出がある。

整理整頓、キレイにするのが好きな人だったのだろう。私の部屋、妹の部屋にそっと入り、キレイに片付けている。部屋がキレイになっているのでじいちゃんが部屋に入ったのが分かる。妹は部屋に入られるのが嫌だった事もあり、怒っていたのを覚えている。外のゴミも拾っていたような覚えがある。

自転車で外へ出るのが好きだったじいちゃん。出かけて行って誰かと話している。本当に誰とでも話していた。町内の事を良く知っていた。

子供も好きだったんだと思う。私と妹を可愛がってくれた。私を耳鼻科に連れて行ってくれた際、小さい子供がいればちょっかいをかけた。

私が怒られるのを助けてくれた事もある。じいちゃんが子供の時、たくさん怒られてきたからなのかもしれない。

スイミング教室のバスを待っていた時、通りの反対側に向かって石を投げた。私の投げた石は向かいの家の勝手口の窓を割った。
「誰だ?」と家の人が出てきた。

じいちゃんは私をスイミング教室のバスに乗せた。先に謝ってくれたのだ。そして後日私を連れ、もう一度一緒に謝ってくれた。何故石を投げたのか全く覚えていない。今思えば誰も怪我しなくて良かった。

ばあちゃんの家事を良く手伝っていた。ばあちゃんが皿を洗えば、横に立ってじーちゃんが皿を拭く。サポート、手伝っている。自然と手伝っている。仲の良い2人。

日の当たる場所。リビングのテーブル。じいちゃんばあちゃん横並びで座っている。お昼を食べ、よくテーブルに顔をつけて寝ている姿を見た。90代だったと思う。「そんなところで寝てたら風邪ひくよ」ばあちゃんから怒られて起きる。またしばらくすると頭を前後に揺らして気がついたらテーブルに顔がついて寝ているの繰り返し。太陽が暖かく気持ちの良い場所だったのだろう。

丁稚奉公で若い頃から働いていた。雪の日の配達。雪で電車が動かない。線路を歩いて帰った思い出を良く話してくれた。どこからどこまで歩いたと言っていたが覚えていない。昔の人だからきっと長い距離を歩いたのだと思う。

戦争の話も良くしてくれた。身長、体が小さく戦争に行かなくて良かった。その代わりに愛知時計電機という軍需工場で働いていた。住んでいたところに空襲、爆弾が落ちた。交代で働いていた人は死に、じいちゃんは生き延びた。タイミングが違えば爆弾で死んでいたと話してくれたことがある。じいちゃんが生きているから今の私も在る。

家にあった木や花の手入れも良くしていた。80代だったと思う。ハシゴに乗って木の剪定をしていた転んで骨折した。近くの病院へしばらく入院した。退院するまで毎日お見舞いに通ったのを思い出す。

大学合否通知が届いた時、一緒にいたのはじいちゃんだった。合格の通知を2人で喜んだ。

初めてバイトした給料で家族を連れて回転寿司へ行った。好きだった蟹をたくさん食べていた。高いお皿取ってばっかりで焦った。周りから怒られるじいちゃん。

私が27歳で結婚。95歳のじいちゃんも披露宴にも出席してくれた。翌年、娘が産まれた。娘を見せることができた。

亡くなる数年前、少し施設に泊まる事があった。少し認知症も入ってきていたのだろう。
ばあちゃんが世話をできなくなったのだ。

一度私と妻と小さい娘を見せるために3人で会いに行った。「昔住んでいた地元の話で楽しそうに昔話で盛り上がっていましたよ」と施設の人が言う。

盛り上がっていた相手は妻のじいちゃんだった。私が妻と結婚する時、妻の実家の近くに住んでいたと聞いていた。また繋がるとは思わず驚いた。不思議なご縁。

私が話しかけると話はしっかり聞いてくれた。90代後半のじいちゃんはニコニコ笑うよりも涙ぐむほうが多かったように思う。
「ありがとう。ありがとう」といつも感謝していた。

じいちゃんとの思い出がたくさんある。
いろいろな体験、経験をさせてくれてありがとう。教えてくれてありがとう。あなたの愛と優しさが私の中で生きている。



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