【9月22日】 ZAZYから受けた影響
某日
検便に追われる。明後日が健康診断で、それまでに2回分採取しなければならない。1回分提出すればいいと直前まで思い込んでいたために、このような事態となってしまった。2日で1回と、2日で2回では、プレッシャーの度合いが大きく異なる。私は日頃、比較的快便でやらせてもらってはいるのだが、にんげんだもの、体調やタイミングによっては出し損ねる可能性も大いにある。「確実に出るか?」「今日も明日も出るか?」と上司に詰められたとて、こればかりは「善処します」としか言いようがない。
善処のひとつとして、いつもよりしっかり食事を取る。以前、粉末の完全食だけで生活する人が「食事のアウトプットは大便でしかない」と豪語し話題になったが、それでいうと私は今、食事のアウトプットとしての便を心底欲している。「うんこの原料」と思いながら食事をする異常事態。
さらなる善処として、ネットで見つけた「梅流し」を試してみる。大根と梅干しを煮込んだものを汁ごと摂取することで、腸内に残った便がドバドバ排出される、らしい。効果のほどはわからないが、何を食べても結局は「うんこの原料」なので、とりあえずやってみるに越したことはなかろう。ネットにあるレシピでは大根と梅干しを鍋で煮ていたが、明日の朝イチから食べまくってやろうと思い、炊飯器で作ることにした。釜に大根と梅干しと水を入れ、起きる時間に炊き上がるようタイマーをセットする。
翌朝、夫が目覚めと同時に、「え、臭い、何これ」と騒ぎはじめた。確かに、臭い。たくあんに酸味が加わったような独特の匂いが漂っている。私はその正体を知っているので冷静だが、異臭で目覚めた夫はプチパニックに陥り、寝室は異臭騒ぎの様相を呈した。相当苦手な匂いだったらしく、夫は吐き気すら催していた。匂いはリビングにも広がり、そのまま数日残った。
梅流しの甲斐あってか、検便は無事2回取れた。その代償として、私は夫から炊飯器で大根を炊くことを禁じられたのであった。
某日
新宿にある健診専門のクリニックで健康診断を受ける。私が必死で用意した検便2日分は、特に労われることもなく窓口で事務的に回収された。
今回のメインイベントは、何と言っても胃のレントゲン検査、いわゆるバリウム検査である。私はこれまでバリウム検査をやったことがなかった。辛い、不味い、と噂はいろいろ聞くが、どれほど辛くて不味いのか、体験できることを非常に楽しみにしていた。
試練は検査前からはじまっていた。極度の空腹である。健診を予約する際に絶食のことまで頭が回っておらず、13時半スタートで予約してしまったのが敗因。家で寝ているだけなら昼過ぎまで何も食べずともそこまで辛くはないが、駅に行く、電車に乗る、人と話す、等の活動をしながら昼過ぎ(バリウム検査の時点で15時)まで何も食べずに過ごすというのは未だかつてない経験で、胃袋が今にも叫び出しそうであった。バリウムはクソ不味いと聞くが、これだけ腹が減っているとバリウムにすら美味しさを見出してしまうかもしれない。
と思ったが、バリウムはしっかり不味かった。「最近は昔よりマシになった」という話も聞いていたが、泥ヨーグルト、とでも言えばいいのか、マシな味にしようと試みた形跡のある不味さがそこにあった。検査技師がスピーカーで指示を飛ばす。「はい、一口飲んで!」「もう一口!」「飲んだら紙コップをホルダーに置いて!」オエッとなるのを必死に堪えて飲み切ると、今度は、「はい、寝てください!」「右向き!」「もうちょっと正面!」「ツバ飲んで、はい息止めて!」「そのまま右から一回転!」と次から次へ、リズミカルに指示が飛ぶ。言われるがままに必死で動く。寝ている台が上下左右動きまくり、時には足が上で頭が下という角度で「はい止まって!」などと言われ、横の手すりを握る腕がプルプル、腕力次第では頭から滑り落ちて脳天がカチ割れそうな体勢をさせられたりもする。こんなアクロバティック、想像していなかった。感覚としては、ダンス。口頭指示だけで知らないダンスを踊らされているような心許なさと気恥ずかしさで、思わず半笑いになってしまう。空っぽの胃の中ではバリウムと発泡剤が暴れ回っており、それを360°体勢を変えることによって胃の内側に塗り広げていくような、たぶんそういうことをしていて、普段は意識しないが、やはり胃というのは袋なのだと、妙な実感をさせられることとなった。下剤というものを初めて飲んだ。
とにかく空腹が限界だったので、クリニックからすぐのCoCo壱番屋に駆け込んだ。私はカレーが大好物だが、ココイチのカレーはあまり琴線に触れてこないというか、生活圏に店がなかったこともあり、もう10年近く食べていなかった。メニューも見知っていないし、辛さがどれくらいに設定されているかもわからない。しかし、もう頭がまるで働かず、ろくに調べもせずに4辛のカツカレーを注文。すると、これが結構辛い。辛いものは好きだし得意な方で、普段なら何の問題もない程度だが、バリウム入りの不快な胃、そして下剤が投入されている異常事態を考えると、選択を間違えたとしか言いようがない。それでも空腹の勢いでどうにか食べ切り、もう一刻も早くベッドに寝て休みたいのだが、電車とバスで帰らねばならない。1時間弱の道のり。下剤というのはどれくらいで効果が発揮されるのか。「あ!」と思ってから、どれほどの猶予があるのか。私は電車に乗って大丈夫なのか。一世一代の賭けというくらいの覚悟で、気と肛門を引き締めながら電車に乗り込む。結局、どうにか家まで持った。辛口カツカレーはやはり検査後の胃腸によくなかったようで、家に帰ってからもしばらく気分が悪く、寝込んだ。来年の健康診断は午前中の予約にして、検査後に食べるのはもっと胃に優しいものにしようと心に決めた。万が一またココイチになったとしても、2辛が妥当であろう。
某日
ソファを買い替えることになった。今使っているのは夫が一人暮らしをはじめるときに買ったもので、もう10年近く使ったので元は取ったはずだ。
夫とニトリへ行き、いくつか目星をつける。念の為、高級な家具店も見る。デザイン性の高いソファがたくさんある。憧れるが、こんなお洒落なソファで果たして心から寛げるだろうか、とも思う。もちろん、これらも寛ぐことを前提に作られたものだ。しかし、人によって「寛ぐ」の度合いというか、概念には差があるような気がする。ソファに腰掛け、ティーを頂きながら雑誌をめくる、というのを「寛ぐ」と呼ぶ人もいるだろうが、私の「寛ぐ」はそんな生半可なものではない。足も心も放り出し、ソファに全てを預け、全てを諦める。それが、「寛ぐ」だ。お洒落ソファの細い脚では、自分を底から解放することはできない。もっと激しく、もっと雑に寛ぎたい。寝転んで足を背もたれの上に乗せたい。気分によっちゃ飛び跳ねたい。だから、我々はニトリでソファを買った。今よりもっと寛ぐために、大きいのを買った。来月届く。
そのあと、新大久保でカンジャンケジャンを食べた。カンジャンケジャンとは、ワタリガニをしょうゆベースのタレに漬けて熟成させた韓国料理である。カンジャンケジャンは長らく、私の念願であった。夫はこういう日常から外れた得体の知れないものは苦手なため、私もどこかで遠慮して、そのうち一人で食べに行こうかと思っていたのだが、他のメニューも多彩な店だったので、それぞれ食べたいものを好きに頼むことができた。私はカンジャンケジャン、夫はサムギョプサルと冷麺。真ん中には、無料でついてくる韓国惣菜セットが豪勢に並ぶ。そのテーブルの景色に、私は思わず涙しそうになった。自分の念願が叶った喜び。その場に夫もいる喜び。夫が無理せず好きなものを食べられる喜び。まだ明るいのにビールを飲む喜び。この惣菜が無料!?という喜び。カンジャンケジャンとセットになっているビビンバにとびっ子がたくさんのっている喜び。そこにカンジャンケジャンを混ぜて食べる喜び。喜びに次ぐ喜びが、私を襲った。カンジャンケジャン、絶対にまた食べる。
某日
北海道に帰省。空港に向かう電車の中で、note創作大賞の中間選考通過を確認。取り急ぎ、成田空港のサブウェイにて、生ハムとチーズをトッピングすることを許すという形でささやかに祝す。他人の心配をするほど余裕ある立場ではないが、残ってほしいと思っていたエッセイが落選で、そんなバカなと頭を抱えた。
札幌に到着し、久しぶりにすすきので一人飲む。数年ぶりに、札幌にいた頃よく行っていた「回転寿司ぱさーる」へ。店に入ると、もう回転はしていなかった。懐かしい顔の職人さんに聞いてみたところ、コロナ禍を機に回すのをやめたらしい。寿司と一緒に「人気ベスト3」みたいな札も回っていて、「人気ワースト3」なんてのもあって面白かった。懐かしい。
こっちに住んでいた頃は、なるべく安い皿を中心に寿司を組み立てたものだが、こうして東京から訪れる立場になると、せっかくなら北海道らしいものを食べようという気持ちになって、ボタンエビやら、活ほっきやら、少々高い皿でも思い切って選んでしまう自分がいた。なんだかもう道民じゃないみたいだ、と思った。いや、もう道民じゃないのだが、まだ都民にはなりきっていないし、なりきろうともしていなかったから、予想外の感覚というか、ちょっと寂しい気持ちになった。反面、私はこれから道外に住む者として、北海道を楽しみ直していくのかもしれない、という期待も湧いた。
日本酒バーで店長をしていた友人が独立して自分の店を出したので祝いに行った。とても良い店だった。友人とはもう10年の付き合いになるが、以前から自分の店を持ちたいと言っていたので、それを達成して本当にめでたい。あの頃、独立に必要なお金を貯めるため、彼女(今は奥さん)がしっかり金銭の管理をしてくれていて、友人は「ヤバい財布に千円しかなーい!」とよく嘆いていたが、そんな日々が実ったんだなと思うと感慨深い。
へべれけで母方の祖父母家に着。
某日
祖父が、ポケーッとなっていた。今回の帰省の主たる目的は、祖父に顔を見せることだった。それと、落ち込み気味の祖母を励ますこと。二言目にはいつも冗談を言っていたひょうきん者の祖父だったが、すっかり口数が減ってしまった。私のこともすぐにはわからなかったようで、初日は特によそよそしかった。私が席を離れた隙に、祖母に「あれは誰だったか?」というようなことを小声でこっそり確認していた。面と向かって「誰だ?」みたいなことは決して言わない社会性が残っているあたり、誰にでも人当たりの良かった祖父らしいと思う。数日滞在すると慣れてきたのか、冗談めいたこともほんの少し言うようになった。
祖父は、詩吟師範代である。今はもう歌えなくなってしまったらしい。残念だ。残念だとか言いつつ、昔は詩吟の良さなんて全然わからなかったし、わかろうともしていなかった。唯一、天津木村のエロ詩吟が流行ったときだけ、祖父の詩吟に少し興味を持った。あれについてどう思うのか、聞いてみたことはない。
某日
旭川の実家へ。家の中に、甥っ子(4歳)が描いた絵やら塗り絵やらがたくさん貼り付けてあった。「あーやん(私の母)のおうちに貼るの」と言ってあちこち貼りまくるらしい。近くに住む甥っ子、どうやらこの家をすっかり我が領土としている。「全部私の描いた絵に張り替えて、ここは私の実家だってことを思い知らせてやろうかな」と言ったら、母が「やめなさい」と咎めつつ爆笑していた。
甥っ子に誕生日プレゼントとして買ってあげる約束をしていたレゴを渡した。『ブタさんのおうち』というテーマのレゴで、宇宙船とかもっとイカしたレゴがある中でなぜそれを選んだのか、かなり謎である。会って早々、私の顔を見るなり、「ブタさんのおうち!」と満面の笑みで言われた。喜んでいたのでよかった。
父は最近、ボケ防止のため、なるべく左手を使うよう心がけているという。利き手でない方の手を使うことで、脳が刺激されるらしい。それは結構なことだが、やろうと思ったきっかけが、テレビでZAZYがそのことをトークしていたからだと言うので爆笑してしまった。健康とか、それ系のことをZAZYから学ぶなんてことがあるのか。
ちなみに今、「ざじー」では変換できなかったが、「ざずぃー」と入れたらちゃんとZAZYが出た。PCの変換が思いのほかZAZYの発音に対して誠実であると知った。
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