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私はゴキブリを愛せるかもしれない

北海道から東京へ引っ越すにあたり、友人知人など各方面から私の元に寄せられた東京三大覚悟しろ案件、といえば、夏の暑さ、家賃の高さ、そしてゴキブリである。

ゴキブリはしばしば「G」と呼ばれる。おそらく、その名を呼ぶのも気色悪いということで広まった呼び名なのであろう。ハリー・ポッターシリーズで魔法界の人々が闇の魔法使いヴォルデモートを恐れて”名前を言ってはいけないあの人”と呼ぶようなものである。ハリーが会話の中でヴォルデモートの名前を言うと、相手が「ああッ!どうかその名を口にしないでくだせぇ!」とか言って縮み上がるのだが、勇敢なハリーは一貫してその名を直呼びし続ける。かく言う私も、ゴキブリをGなどとぼやかすことなく、しっかりゴキブリと呼ぶ。なぜなら私もまた、ゴキブリを恐れてなどいないからである。

ご存知の方も多いだろうが、北海道にはゴキブリがいない。全くいないというわけではなく、いるところにはいるらしいが、少なくとも私はその姿を見たことがないし、見たという話もほとんど聞いたことがない。

そんな私が東京にきて、3ヶ月が経過した。まだゴキブリは姿を見せていない。東京の友人からのアドバイスに従い、新居に引っ越すと同時にエアコンのホースにカバーをつけたり、換気扇にフィルターを貼ったり、排水溝周りの隙間を粘土で埋めたりといった一通りのゴキブリ対策を講じたので、それが効果を発揮しているのかもしれない。

自ら侵入経路を塞いでおいて矛盾しているが、私の中ではちょっとゴキブリに出てきてもらいたい気持ちがある。だって、あのゴキブリである。あの有名な、ゴキブリである。

私はゴキブリをアニメやドラマでしか知らない。フィクションに登場するゴキブリは、いつもいい仕事をする。ふいに姿を現すだけでその場は大騒ぎとなり、ストーリーの中に良いドタバタを生み出す。恋愛ものではゴキブリに驚いて思わず抱きついてしまったり、部屋に出たゴキブリを退治してもらう目的で連絡を取り合ったりと、二人の距離が縮まるきっかけとなることも多い。ゴキブリのおかげで実った恋のなんと多いことか。人類はゴキブリに感謝すべきではなかろうか。

ゴキブリは怖い、気持ち悪いと皆が口を揃えて言う。黒くて、デカくて、素早いのだと言う。しかし、人から聞いた話やイメージだけで怖い、気持ち悪いと決めつけるのは愚かなことである。

以前の勤め先で、異動してきた初日の言動からして既にヤバい感じのする上司を、早速同僚がクソだとこき下ろしていた。

それに対して、私はこう言った。

「よく知らないうちから穿った目で見て嫌なところばかり注目すると、自分の中で嫌いモードに入ってしまって、いいところがあっても目が向かなくなる。確かにちょっと変な人っぽいけど、とりあえず私はフラットな気持ちで接してみようと思うよ。」

同僚は「立派な心掛けだ」と感心していた。私はそういう思慮深いところのある人間なのである。私はその上司と積極的にコミュニケーションを図り、前向きな関係を築くよう努め、結果、大変にクソな上司であると判断した。

まあとにかく、よく知らないうち、ましてや一度も会ったことがないうちに相手を毛嫌いするというのは私の信条に反する。それはゴキブリに対しても同様だ。一旦フラットな気持ちで相対する必要がある。そもそも、私はまだゴキブリから何の被害も被っていないのだ。それなのに勝手に嫌っては、ゴキブリに対して失礼だし、そんな奴とはゴキブリも本音でぶつかってくれないであろう。

私とゴキブリの関係性は、まだゼロである。私がゴキブリに出会って、どんな気持ちになるのか、それは誰にも、私にもわからない。ハリー・ポッターが蛇語を話せることを自分で知らなかったように、私もゴキ語を話せるかもしれない。語り合える愛があるかもしれない。私とゴキブリの物語は、これからはじまるのだ。

もし私がゴキブリをGと呼ぶようになったら、どうか察してほしい。それはおそらく、「エクスペクト・パトローナァム!!!」と泣き叫びながらゴキジェットを噴射したことを意味している。



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