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我らの結婚前夜

「よし、忘れ物ないよね?」

「うん、大丈夫でしょ。」

2021年9月、結婚式前日。私たち夫婦は住処である田舎町を出発し、式場のある札幌市へと向かった。札幌までは高速で一時間ほどの距離。明日は午前中から挙式で集合時間が早いため、慌てることのないよう前日入りすることにしたのだ。今日は式場で最後の打ち合わせをしたあと、最終フィッティングとブライダルエステ。市内のホテルに宿泊する。

運転席に夫、助手席に私、トランクには式場へ持ち込むあれやこれやを乗せて、車は高速道路をひた走る。


式場を決めたのは、1年3カ月ほど前だった。親戚や友達をたくさん呼んで、盛大なパーティーにしよう。そう決めていた。

大きめの会場をいくつか見て回る中で、「ここだ!」という式場を見つけた。スタイリッシュで爽やかな雰囲気の、ガーデンも使える広々とした式場だった。私が気に入ったのはもちろん、夫もその雰囲気の良さに一目惚れし、「ここで式を挙げている姿が見える!」と目を輝かせた。見積もりは他の式場より少々高額だったが、根本的に財布の紐が風邪を引いた人のために作った煮込みうどんくらい緩く延びきっている我々夫婦は、「もはや数十万など誤差」「ここで出さずにいつ出す」「金より思い出」などと頷き合い、満場一致ですぐさま契約に至った。人気の式場だったので予約が随分と先になってしまったが、「その頃にはコロナも落ち着いているだろうしね」なんて話していた。しかし結果的に、それは全くの見当違いとなった。年が明けても、春になっても、新型コロナウイルスが収束する気配は全くなかった。

それはもう、悩みに悩んだ。ただ、延期するにしても莫大なキャンセル料がかかるし、例え一年や二年遅らせたからといって、コロナが収束している保障はない。

ずっと仲良くしている小中の同級生で、看護師をしている友人から電話をもらった。

「病院から同居家族以外との飲食を禁止されていて、出席は厳しそう。」

「長瀬の結婚式に行けないなんて、自分でも信じられない。」

「もう、防護服を着てでも行きたいくらいなんだけど。ほんっとに、ごめんね。」

謝るのは私の方である。友人が身を危険にさらして医療現場で踏ん張っている中、結婚式をするなんて、嫌われてもおかしくない。そう思っていたから、友人の優しい言葉を聞きながら涙が出そうになった。そして防護服で結婚式場に現れる友人の姿を想像して、ちょっとニヤけた。

「で、もしよかったらなんだけど、飲食がなければ可だから、挙式だけ参加することできないかな? なんなら会場に行って遠くからドレス姿見るだけでもいい! 何としてでも絶対にドレスは見る!」

私のウェディングドレス姿にそこまでの価値を見出してくれているとは。照れくさくて、かたじけなくて、嬉しかった。

欠席の連絡は多かった。無理せず、出席できる人だけ出席してもらえたらそれでいい。そう思ってはいたものの、実際に欠席の葉書が届くと、そのたび胃が重くなった。このご時世に結婚式をするのは、私たちのわがままを通すことであるという覚悟はしていたが、やはり辛いもんは辛い。でも、もし感染者が出るようなことがあれば、もっと辛い。

式まで残り一ヶ月を切った頃、夫と話し合い、親族のみのパーティーに変更することを決めた。そして挙式(飲食なし)のときだけ、市内に住む私の同級生5名のみ出席してもらい、他の友人たちにはリモートで参加してもらう、ということに決まった。

当初80名以上呼ぶはずだったゲストは20名弱になってしまったが、できる限り感染のリスクを下げるためには、仕方なかった。決めるまでは辛かったが、決めてしまったら、少し心が軽くなった。

「挙式のみで、飲み物も食べ物も何も用意できなくて本当に申し訳ないんだけど、もしよかったら来てほしい。」

高校の同級生である友人にLINEを送ったら、すぐに電話がかかってきた。

「行くよ、行くに決まってるじゃん。ウェディングドレス、見るに決まってるじゃん。」

友人は泣きながらそう言った。つられて、私も泣いた。


私は、友達を大切にして来なかった。今でも関係が続いている友達というのは、向こうから連絡をくれる、遊びに誘ってくれる、そういう人たちばかりだ。自分からは何もしてこなかった。誘われたら喜んで会うが、私から誘って会いに行ったことなどほとんどない。無駄にプライドが高く、自分から心を開いて何か相談するということもしなかったし、彼氏ができても一々報告しなかったし、うさぎを飼い始めたときも誰にも言わなかった。私はいつも友情を「受ける」ことしかして来なかった。そんな私に、どうしてみんなこんなに優しくしてくれるのだろう。有難くて、申し訳なくて、有難かった。

「のび太の結婚前夜」で、しずかちゃんのパパはのび太についてこう言った。

あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。かれなら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれると、ぼくは信じているよ。

人でなしとしか言いようがないのだが、私は今までこのしずかちゃんパパの台詞を、インチキくさい見解だな、などと思っていた。本当に人でなしである。

なんというか、人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむなんて、割と誰でも自然にやっていることのような気がしたのだ。そんなに特別なことであるように思えなかった。それは私自身、表面的にしか他人のことを考えてこなったからに他ならならない。自分もその程度だから、相手もその程度なのだと、無意識に相手との関係性を低く見積もって、自分の心の負担を軽くしようとしていたのかもしれない。

ずっと受け身の人間関係ばかりやってきた私だが、今回、結婚式の諸々で、相手に一歩踏み込む必要が出て来た。しかし踏み込むとなれば、いつ踏み込むのか、どこに踏み込むのか、どんな風に、どんな強さで踏み込むのか、慮ることが山ほどあって、それがものすごく難しいことだと知った。そしてその難しいことを、私は周りの人に押し付けて生きてきた。私のしあわせを願い、私の不幸を悲しんでくれていた人たちに、何も返さずに生きてきた。そのことに今になってやっと気付いたのである。この結婚式を巡る困難は、私に「いちばん人間にとってだいじなこと」をわからせた、非常に重要な困難であったと言えるだろう。

私たちのことを思ってくれる家族や友人たちの気持ちに応えるべく、ベストを尽くそうを合言葉に、やれることはやった。

挙式の場所について、室内のセレモニーホールで行う予定だったのを、できる限り密を回避するため、ガーデンに変更した。晴れることを祈るばかりだ。

パーティーに関しては、元々80名以上で使える会場だったおかげで、親族のみであればかなり余裕を持って席を配置できそうだった。不幸中の幸いと言える。

また、パーティーの中でやる予定だった演出を、挙式の直後やることにした。そうすれば挙式のみ参加の同級生や、リモートで参加する友人たちにも演出を見てもらえる。絶対にウケると確信していた渾身の演出ネタだったので、友人たちにも見てもらえると思うと嬉しかった。

更に、私には弟が二人いて双子なのだが、そのうちの一人は市外の病院で理学療法士をしており、万が一を防ぐため、リモートで参加することになった。式場もリモートのプランをいろいろ用意してくれていて、自宅に冷蔵でコース料理が届けられ、一緒に食事をしている気分を味わえるというプランがあったので、弟にはそのプランを使うことにした。家で一人でフルコースを食べている弟を想像すると、ちょっと面白い。

式の数日前には、アルコールの提供も不可ということで確定したが、「新郎新婦が泥酔という醜態を晒す心配がなくなって逆によかった」などと言えるくらいには、私も夫もいろいろ振り切れていた。二人ともお酒が好きで、お酒のない結婚式なんてあり得ないと最初の頃は言っていたのだが、それより何より、とにかく無事に結婚式が終わることの方が大切、そんな心境になっていた。

自費でPCR検査も受けた。翌日に結果が出るとのことで、札幌に向けて出発する直前、結果がLINEで届いた。二人とも陰性だった。ほっとした。二人合わせて五万円ほどかかったが、根本的に財布の紐が家族でパークゴルフをやるときのルールくらい緩い我々夫婦は、「これは必要経費」「痛くも痒くもない」「金より安心」などと頷き合い、ベストを尽くせたことに安堵した。

あとは、明日晴れること、そして何より、誰にも何事もなく無事に式が終わること。それを祈るばかりだった。

二人で散々悩んで、話し合って、愚痴り合って、時にはヤケ酒して、なんとかここまで来た。

「二人の結婚式だもんね。究極のところ、二人がいれば、それでいいんだよね。楽しく過ごせたら、それでいいんだよね。」

晴れやかな気持ちだった。

式場に到着し、いざ、最後の打ち合わせへ!

意気揚々と車を下りた我々であったが、持ってきた荷物をチェックしてくれたプランナーさんからの指摘により、両親へのプレゼントを自宅に忘れてきたことが判明。二人して膝から崩れ落ちたのであった。

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家に取りに戻った夫からのLINE


結婚式当日編へ続く↓


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