結婚式とは、二人でつくる扉のようなものかもしれない
結婚式当日。
早朝、ホテルを出発して、夫の運転で式場へと向かった。
空はどんよりと曇っている。天気予報は、曇り時々晴れ。ガーデンで挙式をするので、どうか晴れてほしい。今日ほど「時々」に期待を寄せたことはないかもしれない。
式場に到着すると、入り口にはすでにウェルカムボードと写真がディスプレイされていた。ウェルカムボードにはそれぞれが好きなもののイラストを描き、真ん中に新郎新婦姿の二人が並んでいるイラストを私が描いた。自分の顔は結構それっぽく描けたのだが、如何せん夫が絶妙にイラストで表現しにくい顔面をしており、しばらく奮闘したが全く似せられなかった。どこの誰だかわからない謎の男と並んでウェルカムする羽目になってしまったが、まあ全体としては悪くない出来だ。
「いよいよですね~!」
プランナーさんが笑顔で出迎えてくれた。昨日家に忘れて取りに戻った両親へのプレゼントをヘコヘコ謝りながら預ける。
式場にお祝いの品々が届いていた。招待することが叶わなかった夫の仕事関係の方々からのアレンジメントフラワー、似顔絵の色紙、プレゼント、そして遠方で来られなかった親戚も電報などを送ってくれていた。これらは、ディスプレイスペースに飾らせてもらうことにした。
ディスプレイスペースには、二人で撮った写真や夫がこよなく愛するポケモンのぬいぐるみ、私の描いた油絵などを飾った。全く統一感のない品々だったが、会場スタッフのセンスにより何とかまとめ上げられていた。有難い。
簡単な打ち合わせの後、さっそく身支度に入った。支度部屋にはウェディングドレスが掛けてあり、ドレッサーにはドレスショップでお世話になったコーディネーターのSさんからの直筆のお手紙が置かれていた。共に原始人を目撃した仲(詳しくはこちら)であるSさんからの温かいメッセージは、とても心強かった。掛けてあるドレスを眺め、改めていいドレスだなと思った。
ヘアメイクに関しては、一か月前にリハーサルを行っていたので割合スムーズに進んだ。顔周りに遅れ毛を出したいが、ガーデンでの挙式の最中に遅れ毛が風にあおられたら嫌だという私のトンチじみた要求にも美容師さんは快く応じてくれた。
ヘアメイクの最中、フローリストさんがブーケを届けてくれた。アンスリウム(白と黄色のやつ)だけは決めていて、他はイメージだけ伝えてお任せしていたのだが、一目見て息を飲んだ。すごい、自分好み以上に自分好み。まるで心を読まれたかのような理想のブーケである。この人、フローリストではなくメンタリストなのでは、と思わず疑ってしまった。今まで花にあまり興味がなく、色とりどりのすぐ枯れる奴らくらいに思っていたのだが、人生ではじめて花に感動したかもしれない。
フローリストさんが今回使用している花や植物について詳しく解説してくれたが、聞き慣れない名前ばかりだったので、頷きながら右耳から左耳にほとんど抜けてしまった。先端が赤みがかったトゲトゲした草みたいなやつがアフリカ産であることだけ把握した。
ヘアメイクが終わり、ドレスを着て鏡の前に立ってみる。何だかまだ実感が湧かない。ブライダルエステでお世話になったエステティシャンのMさん(詳しくはこちら)に教えてもらった、ドレスが綺麗に見える立ち姿を意識してみる。すっと背筋を伸ばすと視線が高くなり、それに応じて気分も何だか高まってきた。
ファーストミートへと向かう。衣装は一緒に選んだし、昨日の最終フィッティングも一緒に行ったのだが、せっかくなので一応やることにしていた。慣れないハイヒールで慎重に足を運び、夫が待っているセレモニーホールのドアを開く。
晴れていた。
こちらを振り返って笑う夫の後ろから、明るい陽射しが存分に射し込んでいる。部屋の奥はガラス張りで、背景となった木々の緑が光を反射し、やわらかく輝いている。
見学のとき、私も夫もこのセレモニーホールをとても気に入り、本当はここで挙式をやるつもりだった。密を避けるためガーデンでの挙式に変更したが、ファーストミートでこのホールを使えて良かった。しかも、「時々」が叶って晴れた。これならガーデンでの挙式もいい雰囲気で出来そうだ。
改めて向かい合うと、何だか照れる。何を話していいかわからなかったので、ブーケを見せて、「これ、アフリカの草」と教えた。
後から聞いたが、夫はウェディングドレス姿の私が入ってきたとき泣きそうになっていたらしい。せっかくの感動シーンでアフリカの草の話などしてしまい申し訳ない限りである。
家族写真などを撮影したあと、リモートで参加してくれた友人たちに二人で挨拶した。20名程が参加してくれおり、画面越しではあるが顔を見て話せて嬉しかった。グループごとに分かれていたので、親しい人同士で話せたところも良かった。夫の学生時代の友達にも挨拶できた。
また、リモートと言えば、我が家の飼いうさぎである関根もリモートで参加した。あたかも関根がお祝いを述べているかのように後ろの壁にポスターを貼ってみたのだが、本人は心底どうでもよさそうな態度で草を食べたりしていた。
挙式がはじまる少し前、友人たちが到着。市内に住んでいる私の小中の同級生4人と、高校の同級生1人。飲食なしで、挙式を見るためだけに来てくれた。何のおもてなしも出来ないことが心苦しかったが、「久しぶりに会えてよかった」、「コロナでずっと家にいたから、こういう場に来られて嬉しい」と言ってくれて、本当に有難かった。友人たちにもブーケを見せて、「これ、アフリカの草」と教えた。みんな優しいので「へ~!アフリカの草!」と感心したように言ってくれたが、困惑顔であった。どうやらアフリカの草が面白いと思っているのは私だけのようである。
我々は挙式の準備のために一度引っ込み、その間に親族と友人たちにはスクリーンでプロフィールムービーを見てもらった。このムービーの作成にあたっては大勢呼ぶはずだった友人たちにウケたい一心で「写真で一言」的な大喜利に挑むつもりで全力で臨んだのだが、ゲストがほとんど親族になったこともあり、正直ウケはいまいちだった。両親や祖父母からしてみれば、私の幼少期など可愛すぎて笑いどころがないのであろう(ポジティブ)。
私の渾身のボケたちがスクリーン上でゆるやかに滑ったあと、いよいよ挙式である。人前式は自分たちで何でも自由に決めていいとのことだったので、夫と私がそれぞれ両親と一緒に入場することにした。
まずは夫が両親と腕を組み、ガーデンを歩いて行く。緊張なのか照れなのか、もの凄いスピードで歩いていく夫と義両親。スタスタスタスタ。
すぐに拍手の音が聞こえて、そのあとスタッフさんからの合図で我々も出陣。右手で父、左手で母と手を繋いで歩く。両親と手を繋ぐなんて、何十年振りだろう。もはや記憶にないレベルだ。非常に照れる。途中で一度立ち止まり、母にベールを下ろしてもらう。ぎこちない手つきでベールを下ろす母。この雰囲気をしっかりじっくり味わってしまうと、たぶん泣く、絶対泣く。泣くのが嫌なので、心を無にする。いや、こんな人生の名場面で心を無にする奴があるか。カッコつけたがる私の悪癖が出てしまった。こんなの一生で一番泣いても笑われない場面なのだから、泣いておけばいいものを。
少しウルッときていたが、なんとか涙を堪えて最後まで歩いた。私と夫を残して、両親は席につく。夫と二人並んで正面を向くと、なんというか、結婚式してる感がすごい。結婚式なう、である。
二人で考えた、誓いの言葉を述べる。自分たちらしい誓いを立てようと、昨日まで悩んで決めた。空腹になると機嫌が悪くなる私に夫が絶対誓わせたかった、「話し合うにも喧嘩をするにも、まずはご飯を食べてからにします。」なども盛り込まれた。これはちょっとウケた。
次に、結婚証明書にサイン。羽ペンが妙な書き味だったのに加え、中腰の変な姿勢で書いたのもあって、鳥が手元で暴れているかのような野性味溢れる筆跡になってしまった。夫も書きにくかったらしく、同じくらいめちゃくちゃな筆跡だった。こんな筆跡で証明書として整合性に問題はないのだろうか。非常に心配である。
指輪を交換したあとは、いよいよ誓いのキッスだ。夫はちょっと首をかしげるみたいな細かい芸当はできない人なので、正面突破、ほとんど唇と唇のぶつかり稽古といった様相。あとから写真も見たが、「ブチュウ~」という効果音が聞こえそうな、ロマンチックの欠片もない写真であった。
挙式のあとは歓談しつつ、写真撮影タイム。
会場の装花などはそこまで豪華にしなかったのだが、その代わり少々奮発して、ガーデンにアーチを設置した。挙式のときや、みんなで写真を撮るときに、こういうのが背景にあったら格好いいかなと思ったのだ。
しかし、このアーチがまさかの事件を引き起こす。
「アーチ奮発したからさ、ここで撮ろうぜ!」などと余計なことを言いながら友人を呼びよせる私。みんなでアーチの前に集まり、カメラマンが「撮りまーす!」と合図した、そのときだった。
バァーーーーーーン!!!!!!
なんと、風でアーチが後ろに倒れた。スタッフさんたちが血相変えて集まって来る。私と友人たちは爆笑。「奮発した」などという私の発言が見事なフリとなり、完璧なタイミングでのオチ。完全にドリフのそれである。強い風が吹いたわけでもないのに不思議だ。結婚式でこんなことが起こるなんて不吉といえば不吉だが、新婚さんいらっしゃいで椅子から転げ落ちる文枝師匠のオマージュ的なアレで、アーチもひっくり返って私たちを祝ってくれたのではないだろうか。私はそう信じている。
スタッフさんたちの手によって、アーチはすぐさま元通りに直された。
そのあとは、所謂「はじめての共同作業」。ケーキ入刀ではなく、我々が入刀したのはアンモナイトの化石であった。夫がそういう系の仕事をしていることから思いついた演出である。ノジュールと呼ばれる石をハンマーで割ると、中からアンモナイトが出てくるのだ。
ハンマーは普段夫が使用しているガチの仕事道具である。打ち合わせでこの演出をプランナーさんに相談した際、「ケーキ入刀ではナイフに花をあしらうのですが、ハンマーに花はつけますか……?」と聞かれたので、「つけます!!!」と食い気味に答えた。花があしらわれているハンマー、そんなの面白いに決まっている。あれが結婚式の打ち合わせで最もテンションが上がった瞬間だった。思った通り、何度見ても面白い。
私としてはなかなか割れずに必死でコンコンし続けるという展開もそれはそれで面白いと思ったのだが、夫はプロとしての矜持なのか、「せっかくだし一発でパカーンといくのを見てもらいたい」と意気込み、事前にあと一撃で割れるところまで割れ目を入れておくと言った。余計なことをして本番前に割れちゃったらどうしてくれるんだという私の心配をよそに、夫は本当にうまいこと割れ目を入れていたらしく、結果、一発でパカーンと綺麗に割れ、中からアンモナイトが出てきた。プロの技術恐るべしである。
友人たちも「ハンマーに花ついてる!!!」と目ざとく見つけて笑ってくれたので嬉しかった。
5人の友人たち、そしてリモート参加のゲストとはここでお別れ。友人たちは本当に食事もせず、飲み物もなく、ただ私と夫に会いに来てくれたわけで、何とも申し訳ない。でも実際、来てもらえて本当に良かった。みんなが帰っていく背中を見ながら、心底そう思った。友達をたくさん呼んでワイワイ酒を飲むような結婚式は叶わなかったが、5人だけでも来てもらえて、ちょっと気が済んだところがある。また、リモートの方も丁寧に中継してくれていたようで、参加してくれた友人から、「雰囲気が伝わった」「楽しめた」と言ってもらえた。たくさん悩んだし、完璧に思い通りとはいかなかったが、見てもらいたい人に見てもらえて、結婚式をする喜びは十分に味わえたように思う。
さて、ここからは室内の会場に移動し、親族のみでのウェディングパーティーである。
ウェルカムスピーチということで、二人から一言ずつ述べた。夫は出席してくれたことへの感謝などを述べ、私もそれに続いて御礼申し上げると共に、「ノンアルコールになってしまいましたが、美味しい料理を食べながら皆さんとの楽しい時間に”酔いしれたい”と思います」などと宴会番長のおっさんのようなこと述べて若干スベった。
せっかく少人数のパーティーなので、我々も各テーブルを回って一緒に料理を食べたり、一人一人自己紹介を兼ねてコメントを貰ったり、アットホームな感じで過ごした。リモートで参加した弟や義妹、そして一歳の甥っ子もスクリーンに登場し、終始和やかな雰囲気だった。「おめでとう」「お幸せに」という言葉が、ただただ嬉しかった。
数日前にお酒が出せないことが確定したとき、我々夫婦は思い切って料理のグレードを最上級のコースに変更、肉料理も料金をプラスして特選和牛に変更してもらった。そっちがその気ならこっちはこの気である。その甲斐あって、めちゃくちゃ美味しいお肉だった。ちょうど肉料理を食べているときに父方の祖母の隣に座っていたのだが、体重35㎏の87歳があっという間に完食していたことが何よりの証明であろう。祖母に「誓いのキッス見てた?」と聞いたら、「見てた見てた!初めて見た!そりゃそうか!」と興奮していた。(ちなみにこの父方の祖母というのが、こちらのエッセイに出てくるおばあちゃんである。)
食って食って食いまくるぞ、と意気込んでいたのだが、やはりドレスの締め付けもあり、胃袋の力を100%発揮することは叶わなかった。コース料理は残さずいただいたが、デザートビュッフェは少ししか食べられなかった。無念。いつもならこっそりウエストのボタンを外すところだが、さすがにブライダルインナーのホックを外すわけにはいかない。
パーティーの終盤、両親への手紙の時間がやってきた。まずは夫からである。両親への感謝の気持ちを素直な文体で綴った手紙に、私が泣きそうになってしまった。
そして次は私の番。何を隠そう私の手紙、かなり長くなってしまった。感謝の気持ちが溢れ出して止まらなかった、と言いたいところだが、湿っぽくなりすぎるのが嫌で所々に小ネタを刺し込んでいたら見る見るうちに長文になってしまったというのが真相である。ほとんど漫談に近い仕上がりだ。
のんびり読んでいては時間が押すだろうし、気持ちを込めると号泣スイッチが入ってちゃんと読めなくなる恐れがあったので、出来るだけ感情を殺して淡々と読む戦法で臨んだ。すっとぼけた感じで淡々と読んだ方が面白いだろうという狙いもあった(漫談ではない)。結果まあまあウケたのはいいが、なんか本当にさーっと読み終わってしまって、自分で拍子抜けした。よく考えたら両親への手紙なんて人生で一番感情を殺してはいけない場面である。笑いに心を売った人間の考えることは恐ろしい。両親は呆れていたかもしれないが、一応、伝えたいことはちゃんと伝えられたと思う。
「パパとママの人生の一部であることを誇りに思います。今後ともよろしくね。」
さて、私は以前、この式場で行われた職場の同僚の結婚式に出席したことがあるのだが、その際、スタッフがサプライズで踊り出すという演出を目撃した。我々、踊り出されるのはちょっと勘弁願いたいタイプの夫婦なので、プランナーさんとの最初の打ち合わせの段階で、「とにかく踊り出さないでもらいたい」などとまだ踊り出すとも言っていないのに図々しくも念押ししていたのだが、その甲斐あってかパーティー中にスタッフが躍り出すことはなく、代わりに最後の最後、「10年後に開けるタイムカプセルをつくる」という演出が式場側からのサプライズとして盛り込まれた。ゲスト一人一人から新郎新婦へのメッセージ、そして新郎新婦がお互いに向けてのメッセージをその場で書いて、小瓶に詰めて箱に収めるというもの。はじめての共同作業として化石を割った我々らしい、「時を超えた」演出を考えてくれたとのことだった。踊り出すのを禁じられた中で試行錯誤していただき、かたじけない。
急だったのでなかなか夫へのいいメッセージが思いつかず、ちょちょいとふざけたことを書いて瓶に詰めたのだが、夫の方をちらっと見ると、何やらめちゃくちゃ真剣に長文を記していた。しまった。10年後、メッセージの温度差が原因で夫に愛想を尽かされるかもしれない。そうなってはもはやタイムカプセルというより時限爆弾である。せめてこの箱を開ける10年後まで、日々感謝の気持ちを言葉にして伝え続け、爆発に耐えうる強固な夫婦関係を築いておこうと密かに誓った。
みんなどんなことを書いてくれたのだろう。10年先まで楽しみを残してくれたプランナーさんに感謝である。
そんなこんなで、私たちはみんなに見送られながら退場し、出口で一人一人に引き出物を手渡して、パーティーは無事お開きとなった。
正直、ドレスの締め付けやハイヒールの足元が限界も限界となっていたので、支度部屋に戻ると名残惜しむこともなく、すぐさまドレスと靴を脱いだ。すさまじい解放感。圧縮を解かれた羽毛布団の気分である。着替えたことで胃袋に余裕が生まれたので、フルーツを少々摘まんだ。
スタッフさんがディスプレイしていた品々などを確認しながら段ボールに詰めてくれて、一休みしているうちにあっという間に荷物はまとまった。車に荷物を積み込み、プランナーさんとスタッフの皆さんに改めて御礼を言って、見送られながら式場をあとにした。
不思議な気分だった。さっきまでドレスを着て、結婚式なんかやっていたのに、普通に車に乗って帰るんだな、などと思った。馬車でもチャーターしておくべきだったか。
後ろの車の人も、横断歩道を渡っている人も、私たちが今結婚式の帰りだということを知らない。同じように、私も今まで知らないうちに、結婚式帰りの夫婦とすれ違っていたのだろうか。もしかすると、フォーマルを着て帰るゲストより、普段着に着替えて帰る新郎新婦の方が、急激に現実に戻される感じが強いのかもしれない。
ホテルに到着し、二人してベッドの上に体を投げ出す。
親族のみで少人数なら、もっと一人一人とゆっくり話せるだろうとイメージしていたのだが、思った以上にあっという間だったし、バタバタしたところもあった。もし大人数招待していたら、これより更にバタバタしたはずだし、しかもお酒まで飲んでいたとしたら、マジで記憶がゼロみたいなことも有り得た。少人数&ノンアルコールだったのは、案外良かったかもしれない。
それにしても、あっという間だった。本当にあっという間。あっという間すぎて、何だか不安になってきた。いろいろ大丈夫だっただろうか。みんな本当に楽しんでくれただろうか。満遍なく気遣いが行き届いていただろうか。緊張が解け、頭がぼんやりして、細かいことがあまり思い出せない。
私がざわざわしながら考え込んでいる横で、夫はこんなことを言う。
「いやー、楽しかった。たまに結婚式もう一回やりたいなんて言う人がいて、何それ意味わからんって思ってたけど、今ならその気持ちめちゃくちゃわかるわ。結婚式っていいもんだね。」
それを聞いて安心した。夫がそんなにも楽しかったのならば、それはもう、大成功じゃないか。
更にそのあと、家族、友人たちから続々と今日の感想、写真、動画が送られてきた。「楽しかったよ!」「綺麗だった!」「化石割ったのウケた」ひとつひとつの言葉が嬉しかった。そして写真にはたくさんの笑顔。動画にはたくさんの笑い声。それらを見ているうちにいろんなことが鮮明に思い出され、今日という日がやっと心の中に落とし込まれた感じがした。楽しかった。すごく楽しかった。いろいろ悩んだけど、全部思い通りにはならなかったけど、やっぱり結婚式やって良かった。じんわりと、そう思った。
結婚式とは、二人でつくる扉のようなものかもしれない。
そのまま歩けば進んでゆける道の上に、時間とお金と労力をかけて、あえて扉をつくるのだ。自分たちでつくり、自分たちで開ける。自作自演と言えなくもない。扉をつくったからといって、向こう側の景色が大きく変わるわけではないし、歩き続ければ扉はどんどん遠く小さくなって、いつしか見えなくなるだろう。しかし、二人でドアノブを握ったときの手触りや、開いていくときの重みは、きっと心のどこかに残る。その記憶は、二人で歩む人生のちょっとしたお守りになるに違いない。
夫はすぐさま眠りに落ち、家より大きいふかふかのベッドの上で、スピィースピィーと寝息を立てはじめた。
私も一眠りするとしよう。目が覚めたらパーティーで飲めなかった分、二人で思いっ切り酒盛りして、思いっ切り余韻に浸ろう。
あ、もう肌とかいろいろ気にしなくていいんだ。そう気づいて、二の腕あたりを思う存分ぼりぼり掻いた。今日からは腹が出ようが好きなだけ米を食べるし、顔が浮腫もうが酒も飲む。近々、髪もばっさり切ってしまおう。
扉の向こうに広がる愉快で楽しい普通の毎日を思い浮かべながら、私はゆっくりと目を閉じて、しばし休息の眠りについたのであった。
(完)
昨年の秋に挙げた結婚式について、無駄に4カ月もかけてあれこれ書いてきましたが、ついに完結しました。こちらのマガジンにまとめています。ご覧いただきありがとうございました。
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