1/3 文学部は金にならないのか?
先に答えを述べる。
答え、否。以上。
小学生の頃から国語が得意だった。
高校生になり、受験を意識し始めた時、親と同じ看護師の道を目指したが、入院生活をした際に看護師の働きぶりを目の当たりにし、「これは向いてないな」と挫折した。
そこからやりたいことも特に無かったが、唯一得意だった国語を武器に文学部日本文学科へ進学した。
文学部への進学前後に散々言われた言葉がある。
それが今回のタイトル、「文学部は金にならない」だ。
理由として考えられる点は、文学部は本を読んでいるだけ、というイメージが強いというのがひとつ。
このグローバル化が進んだ社会で、英語が必要無い日本文学に学ぶ価値はあるのかというのがひとつだ。
では、文学を金にするためには何になる必要がある?
教師?小説家?編集者?広告業?
この程度だろうか?
そこから適性まで考えたらなれるのは一握りだろう。
現に私は卒後にまったく関係ない金融機関に就職し、見事に適合できず半年で退職した。
では、文学部は本当に金にならないのだろうか。
金にならないのなら、何のために文学部は存在するのだろうか。
ここから先は完全に自論だが、そもそも大学は職業訓練施設ではない。
「学術研究および教育における高等教育機関」(wikipedia調べ)であり、「最も高い学問を学ぶ学校」(wikipedia調べ)だ。
その道を究めた学者が多くおり、興味のある話を好きなだけ聴講でき、いつでも質問ができ、数千、数万円する学問書を学費というサブスクで何冊も読む事ができる。
自分の知りたい学問を、大学で学ぶこと自体に意義があるということだ。
学びたい人間にとって、大学は最高の環境なのである。
つまり、「文学は金になる or ならない」という話は私にとってはお門違いも甚だしいということになる。
しかしこれでは「文学は金にならない」ということもあり得てしまうので、そうではない、という意見を述べていく。
文学というのは、確かに単体だけでは金には繋がりにくい。
SNSの投稿がバズって書籍化ということも昨今では見受けられるがそれも長く続くことではないだろう。
文学を学ぶ、それは「思考力を磨く」ということだ。
作者の心情を考え、時代背景を考え、人生を考える。
それが文学部で学ぶことだ。
在学中、たった一つのテーマに対して数えきれない程の書物を読み込み、その考察をああでもない、こうでもないという議論を数えきれないほど行ってきた。
そして現在、文学とは程遠い医療系大学に入学し直して歯科衛生士免許の取得を目指している。
一見すると、「やっぱり文学は金にならないから手に職を目指した」と思われそうでもあるが、私が全く畑の違う分野で人並みに学べているのは間違いなく文学部で培った思考力のおかげだ。
聞いたこともない学問を1から学び直すというのはやはり労力が要る。
しかし、基礎的な思考力があるが故、参考書を読んでいたり、講義を聴いていて躓く事がない。
もちろん暗記がものを言う瞬間も数えきれないほどあるがそれは本人の努力次第だ。
その暗記したものを自分なりにアレンジし、応用に繋げていく、これが文学部で学んだ思考力だ。
文学はそのもの自体が金を生み出すことは少ないが、長い人生、いつスタートをしてもいいこの時代に、誰よりも最初の一歩が踏み出しやすくなる学問だ。
だから「文学が金にならない」なんて言葉に打たれる必要は無い。
学びたいものがあり、それに向かって努力ができる、それだけで素晴らしい人間であることを忘れてはならない。
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