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ずっと「異人たちの夏」が好きじゃなかったけど、今年の夏は違うのかもしれない。

先日「異人たち」を見てきた。TIFF2023に来ていたのを見るのが叶わなかったので、ともかく劇場で見ることができて嬉しい。

同じヘイ監督のweekendと地続きにあるような作品だった。マンションから眺める都市の朝と夜、小さな部屋の中で醸成される関係性、窓から見下ろす者と見上げる者とで目が合って、心が通じ合うようなシーン。クラブの光、刹那的で眩しい情動。深い孤独、ひたひたと迫ってくる寂しさ。拒絶しては手繰り寄せる感情。儚い画の中で積み上げられていくものの濃密さ。泡のようにきめ細かく立ち上って、浮かぶそばから消えていく。その後に残る確かな手触り。weekendにもあったそういう良さがここにもあったし、小説原作のあるものをここまでパーソナルなものとして昇華させたヘイ監督の凄さを感じた。

ヘイ監督の作画の独自性はもちろん大好きなのだが、今回の画面はときどき大林監督版をフィーチャーしていると思われるシーンがあるのも好きだった。アダムが父親についていって実家を訪れるシーンや、玄関から母親が顔を覗かせるところは特に重なるものがあって、それだけでなんだか泣きそうだった。

はじめに原作を読んだ時、正直この作品の良さはあまりわからなかった。いい話だと思ったし、言わんとしていることは理解できると思った。けれども、ほとんどそれだけだったと思う。従来的な小説というより脚本に近い文体だとか、それによる「芝居」っぽさだとか、そもそも自分が80〜90年代的な日本を反映した創作物が基本的には得意ではないので、そういったことが複合して自分をこの物語にのめり込ませなかったのだと思う。

小説の最後で主人公が両親と恋人に対して「どうもありがとう」と述べるのだが、これも読んだときは今ひとつ腑に落ちないというか、しっくりこなかったと覚えている。

それでも今回「異人たち」を通じて、この小説がなぜ世界中で支持されているのかわかったような気がする。普遍的なテーマを扱っているというのもそうなのだが、それが受け手にとっての千差万別な個人体験にまで落とし込ませることができるということ、自分だけの物語にさせ得る力を持っていること、それがこの小説の凄さなのかもしれないと思った。

それを「異人たち」から受け取って初めて気付いたというのは、もちろんヘイ監督の凄さではあるのだけれども。その素地にイメージを与えた「異人たちの夏」という物語。山田太一さんがこの映画の完成を見届けることが出来たことは、きっと一読者が想像する以上にとても素晴らしいことだったのだろうと思う。この物語はこれから先も色んな人の、その人だけの物語になって受け継がれていくのだろう。そのことがきっと、作者ご本人にも伝わったと思う。

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