見出し画像

【禅 ZEN 村田和樹】現代語訳『正法眼蔵・現成公案』わたしを生きる

抜粋となります。

わたしを生きる—―現代語訳『正法眼蔵・現成公案』

(前略)

 万法の家風をきかんには、
方円とみゆるよりほかに、
のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、
よもの世界あることをしるべし。

海が四角くも円くもないばかりでなく、
海のあり方も山のあり方も知り尽くすことなどできるはずがないように、
万法というすべてのありようも、
じつに広大な世界が広がっていることだけが少し分かるのみなのです。


 かたはらのみかくのごとくあるにあらず、
直下も一滴もしかあるとしるべし。

それは、自分の周りのことだけではむろんなく、
この自分自身のこと、
そして一滴の水についてもまったく同じで、
知っている分だけ知っているという、
まことに浅いものであることは、確かです。

 うを水をゆくに、
ゆけども水のきはなく、
鳥そらをとぶに、
とぶといへどもそらのきはなし。

魚が水を泳いでいくのに、
どこまで行っても水の涯(はて)などなく、
鳥も空を飛ぶのに、
どれだけ飛んでも空の涯などない。


 しかあれども、うをとり、
いまだむかしよりみづそらをはなれず。

けれども昔より魚は水から出ることはなく、
鳥も空から離れることはありません。

 只用大のときは使大なり。

ただ大きく泳ぎ大きく飛ぶときは、
海や空を大きく使うだけ。

 要小のときは使小なり。

小さく泳ぎ小さく飛ぶときは、
海や空を小さく使うだけです。

 かくのごとくして、
頭々に辺際をつくさずといふ事なく、
処々に踏飜せずといふことなしといへども、
鳥もしそらをいづればたちまちに死す、
魚もし水をいづればたちまちに死す。

このようにして、
大きい魚は大きいなりに小さい魚は小さいなりに、
それぞれのあり方の中で、
それぞれの持てる生命力のいっぱいを使い尽くしているけれども、
鳥がもし空から離れば、たちまちに死ぬし、
魚が水から出れば、たちまちに死んでしまうのです。

 以水為命しりぬべし、
以空為命しりぬべし。

魚にとって水そのものが命であるし、
鳥にとって空そのものが命です。

 以鳥為命あり、以魚為命あり。

鳥は飛んでいてこそその命をまっとうできるし、
魚は泳いでいてこそその命をまっとうしているのです。

 以命為鳥なるべし、
以命為魚なるべし。

あるいは、命が鳥となっていて、
命が魚であるともいえます。


こちらの内容は、

『わたしを生きる』

現代語訳『正法眼蔵・現成公案』


発行所 株式会社田畑書店
著者 村田和樹
2019年9月10日 第1刷発行

を引用させて頂いています。



よろしければ、サポートよろしくお願いします❤ ジュニアや保護者様のご負担が少ない ジュニアゴルファー育成を目指しています❕ 一緒に明るい未来を目指しましょう👍