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現金と電子マネー

明日からデジタル庁がスタート。これでわが国も本格的なデジタル社会に向かえばよいのだが、果たして大丈夫か。

いうまでもないことだが、デジタル化とは、単にスマホやパソコンを使って、インターネットを使いこなすことではない。われわれの考え方、思考方法をデジタル化することなのだ。

それ以前の時代を知る大人の世代にとっては当たり前のことだが、生まれたときからスマホやPCゲームが身の回りにあった子供の世代は、意外にも大人にとって当然の常識を欠いていることがある。

小学生の子供が親と一緒に買い物に行き、親が現金で支払をしようとしたら、
子供:「お父さん、どうして現金で払うの? Suicaで払えばいいのに。」
父親:「どうして?」
子供:「だって、現金で払うと減っちゃうけど、Suicaで払うと減らないじゃない!」
父親:「???」

電子マネーは便利だが、危険はたしかにある。クレジットカードが出始めたとき、口座にいくら残高があるか、支払うごとに確認できないので、使いすぎてしまう可能性は否定できないといって、絶対に使おうとしない友人がいた。

親の世代は、現金でお小遣いをもらって、財布に入れておき、財布の中の金額を頭に入れて買い物をしお金の使い方を学んだが、電子マネーでは難しい。

したがって、お金というものがどういうものか、その価値と使い方について、しっかり学習できるようなゲームを開発して、子供たちに楽しみにながら、お金の管理を身に付けさせてはどうか。

似たような話しだが、最近のCGは非常によくできており、恐竜もまるで本物を撮影してきたように、リアルである。われわれは、恐竜が過去の生物であり、現在は存在していないことを知っていて、ジュラシック・パークも楽しむことができるが、子供たちは、そのような仮想の動物と実在の動物との区別がつかないという。

実在の動物については、動物園に行ってみればよいではないか、あるいは映像を見ればわかるであろう、と思うのは大人の発想であり、実在の動物も、想像上の動物も、ディスプレイでしかみたことのない子供たちには、きちんと教育しておかないと、その区別はつかないといえよう。

デジタル社会は、たしかに仕事や生活を便利にする。かつての時代を知っている人間には、便利さが理解できるとともに、逆に、昔のやり方を捨てきれないがために、デジタル化に付いていけないこともある。

話題となったハンコの文化がそれである。いかに電子決裁で、より信頼性の高い事務処理ができると頭ではわかっていても、目に見えない形での手続にはなじめない。やはり、朱肉を付けて力を入れて、押印してこそ、決裁をした、契約をしたという意識をもてる。その結果、印影をプリントするアプリなどが開発されるという、本末転倒のエピソードまで生まれる。

逆に、デジタル化を進めてそれに信頼を置きすぎるのも問題だ。私もデジタル化推進論者であり、これまで手許に置いていた紙の資料や書類をpdf.化してクラウドのストレージ・サービスに保存するようにしている。その方が何よりもスペースを取らないし、スマホやPCがあれば、いつでもどこでも読むことができるし、何といっても情報を探すのに検索が便利だ。段ボールに保存している紙の資料では、欲しい情報にアクセスするのにかなりの労力を要する。

それとともに、以前に作成したファイルもストレージに置いているのだが、先日、困ったことに遭遇した。私は、10年くらい前から、Windows から Mac にPCを変えたのだが、10数年前までの文書はほぼすべて「一太郎」形式の文書であり、それは Mac では読めないのだ。

以前の Word では、「一太郎」フォーマットのファイルもWord ファイルに変換できたが、最近の Word では読めない。「一太郎」がいつまで使えるかわからないが、膨大の量の貴重な文書ファイルが読めなくなる可能性がある。

そこで、今は、暇をみて、捨てようかと思っていた昔のWindowsのPCの「一太郎」を引っ張り出して Word ファイルに変換しているが、とても全部を変換することはできず、まずは重要なものだけを変換している。同様の困難に直面している人もいるだろうと思ってネットで調べてみたが、やはりよい方法はないようだ。ご存じの方がいたら、教えていただきたい。

それはともかく、このことは Word でもいえるのではないか。Word フォーマットも永遠に使われるとはいえない。技術の進歩が早いので、いつ廃れるか不安になる。

このように考えてくれば、物理的に消失する可能性はあるものの、目で見て読むことのできる紙の記録が安全なのかもしれない。そして、それが真正な文書であることを記録するために、しっかりとハンコを押しておくことにすべきか。これでは、元の木阿弥である。

形式はともかく、永久に意味のある情報を保存蓄積できる方法を、開発してほしいものだ。Word もいつまでもあるとは限らない!