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人口減少の時代、医療の世界でこれから何が起こるのか?──(1)人口減少の現実

●はじめに
わが国の人口減少は、今後想像を超える速度で進み、それが止まる可能性はない。現実に、人口減少が急速に進む地方では、地域社会の様相が大きく変わりつつある。わが国の自治体の大半を占める小規模な市町村はどうなるのか。とくに、高齢化が進む地域で、住民生活に不可欠の医療はどうなるのか。

次世代基盤政策研究所(NFI)では、これまで人口減少の下でわが国の医療の質を維持・向上させるために、EUのEHDS(European Health Data Space)構想を参考にしつつ、医療分野におけるデジタル化の推進を提唱してきた。以下では、それらの研究結果を踏まえて、地方における人口減少が医療にもたらす影響を示し、それらの地域において医療を持続させるための改革のあり方について提言をすることにしたい。

まず、地方において人口減少が現在どのような形で起こっているのかについて考察し、次いで、そのような地域の医療が直面している状況について述べ、最後に、一つの改革のあり方としてのVRH(Virtual Regional Hospital)構想を提案することにしたい。

1.止まらない人口減少と収縮する社会
2.避けられない地方消滅
3.崩壊に向かう地域医療
4.VRHによる医療改革をめざせ
5.直面する課題と求められる意識改革

1.止まらない人口減少と収縮する社会

わが国で人口減少が進行していると指摘されて久しい。その間、それを食い止めるための政策として「地方創生」が唱えられ、多額の補助金が多数の自治体に交付されてきた。しかし、毎年小さな県が一つずつ消えていくほどの減少が止まる可能性はない。

これからは、人口減少を「食い止め」ようとするのではなく、それを「受け容れ」て、地域のあり方を考えていくべきであろう。最近、しばしば目にするようになった下記の図は、西暦600年以降の、わが国の人口の推移を示したものである。

わが国は、明治になってから、急速に人口が増えた。第二次大戦時に少し減ったものの、戦後も増え続け、1960年代には、1億人を超えた。それ以後も増え続けてきたが、2010年をピークとして増加は止まり、それ以降は、まさに「自由落下」と形容されるごとく、急速に人口が減少すると推計されている。

このような人口の変化が起こったのは、まず、第二次大戦後、医学の発達、経済成長、公衆衛生の普及等により、かつては亡くなっていた人たちが亡くならず長生きできるようになったことによる。それによって高齢化が進行したものの、亡くなる人が減ったために、総人口は増加し続けた。その間、少子化は進行していたが、それを上回る高齢者の増加が将来の人口減少を顕在化させなかったのである。

だが、高齢者も無限に長生きできるわけではない。人口のボリュームゾーンを形成していた高齢者層の死亡が次第に増え、少子化によって減少してきた出生数を上回ったときから、人口減少が始まった。

20世紀の終わりごろにそのことに気付いて少子化対策を講じても、遅すぎた。最早、人口減少を食い止めることはできないのである。

話題になっている一人の女性が生涯に生む子供の数の平均である「合計特殊出生率」が、仮に親の世代と同数の子供が生まれる2.07(置換率)を上回ったとしても、母親となりうる女性の数がこれまでの少子化によって今後長期にわたって減少するので、出生数が増加に転じるのは数十年先である。

現状では、合計特殊出生率は、1.3を下回る。少子化対策が成功して、人口が回復する可能性はまずない。そして、このまま進むと、西暦3000年を過ぎたのち、絶滅した佐渡の朱鷺のように、日本人はいなくなる。 

このようにわが国の総人口は、確実に減り続ける。移民の受入が、対策として主張されるが、毎年50万人もの移民を受け容れられると考えることは、今の国際情勢、わが国の経済社会の力を考えれば、非現実的である。それゆえに、現実を受け容れ、厳しい状態を前提に、これからの社会のあり方を考えていかなければならない。

人口減少がもたらす社会への最大のインパクトは、15歳から65歳までの生産年齢人口の減少であろう。生産年齢人口のピークは1995年であり、以後減少し続けている。その結果、最近までそれほど感じられなかったが、最近になって労働力の不足が深刻な社会問題として浮上してきたことは周知のところである。

運送業、小売業をはじめ労働負担の大きい、要するにキツイ作業を伴う業種において、とくに労働力の不足が深刻になっている。さらにいえば、医療従事者にしても、介護労働力にしても、学校の教員にしても、公務員にしても、人手不足、とくに優秀な人材の不足が叫ばれ、人材確保のために報酬の引き上げの必要等が主張されている。

しかし、人件費の財源難だけではなく、生産年齢人口の絶対数が減少している以上、一部の報酬引き上げや待遇改善によって人を集めたとしても、その分他の業種における人手不足が加速するだけである。要するに、現状は、人材という縮小するパイを取り合う状況に陥っているのだ。

こうした生産年齢人口の減少の結果、労働市場は、これまでの景気停滞期における買い手市場から、売り手市場に変わってきている。それによって、労働者の流動性が高まり、自ずから終身雇用の慣行は崩れてくるであろう。今や、とくに若者にとっては、離職は、失業を意味するのではなく、次なるステップアップの機会にほかならない。

これまでのわが国の経済が、労働力先払い、賃金後払い的な仕組みの上に成り立っていた「終身雇用」と「年功序列」の慣行によって支えられてきたとすれば、今起こりつつあることは、その体系が崩れていくことにほかならず、今後も現在の水準の維持しようとするならば、それに適応した産業構造への転換は急務である。

生産年齢人口の減少の一方で生じる相対的な高齢者の増加は、高齢者福祉の負担を少ない生産年齢人口で支えなければならないことを意味し、このままでは当然、経済は縮小へと向かう。それを回避するためには、労働者一人当たりの生産性を向上させることが不可欠であり、それには大胆なデジタル化を含む、大規模な改革が必要である。そのような生産性の向上に早急に取り組まなければ、この国は衰退、縮小へ向かうだけであろう。

これまでは、不足する労働力を補うために、個々の労働者に過重な労働を強いてきたといえようが、近年進められている働き方改革によって残業時間の規制が実施される。それによって、働く時間が総量として減少する以上、今までと同じ生産性で仕事をしていたのでは、当然、総生産量は減少し、将来的に縮小へ向かう。それを回避するためには、世界の主要国がそうしているように、思い切ったデジタル化等による生産性の向上を図るしか方法はないだろう。

変化が急であるためか、こうした状況についての認識が社会的に共有されておらず、とくに保守的な高齢層が多いこともあり、危機感も変革への意欲も弱いことがわが国の最大の問題点であろう。まずは、いかに受け容れがたい現実とはいえ、人口減少の事実を直視し、それを出発点として、生き残るための社会のあり方を探求していくべきであろう。最早、現状維持も、過去のよき時代への回帰もありえないのだから。

(2.に続く)
(8月27日修正)