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EdTech と教育改革(2) 〜 学習空間としての「教室」〜

これまでの学校のイメージは、学校という施設において、教室という物理的な空間である教室に、子供たちがクラスごとに集まり、そこで一律一斉に教員から指導を受ける、というものではないでしょうか。

デジタルという技術が存在しなかった時代には、多数の子供たちに学習させ、さまざまな能力を身に付けさせるためには、このような方法が合理的であったといえるでしょう。

高い能力と熱意を持った教員が、子供たちそれぞれの個性を把握しつつ、丁寧に指導することによって、教員と子供との、また子供たち同志の親密なコミュニケーションが成り立ち、そのような環境において、子供たちの人間性、社会性も育成されていったといえます。

たしかに、デジタル技術を利用できなかった時代には、それがベストの方法であったと思われます。

ただし、それはある意味で理想的な状態であり、現実には、子供たちの特性も多様です。いかに優秀で経験豊かな教員といえども、子供たち全員に充分に目配りして、クラスをまとめていくことは決して容易ではありません。

とくに、習得を要求される知識や技能の量が時代の要請によって増加してくると、それを消化しきれない子供たちは、学校がつまらなくなり、学級崩壊や不登校も増加してくることになりました。そのような子供たちに対するケアは、指導する教員にとっては大きな負担になってきました。

加えて、家庭との連絡、クラブ活動の世話や各種の事務負担が、教員の時間を圧迫し、本来授業の準備等に充てるべき時間を浸食し、「働き方」改革を必要とするような過酷な労働環境を作り出しました。それは、まさに子供たちに提供する教育の質の低下をもたらすことはいうまでもありません。

〇デジタルがもたらすもの
デジタル化の先進国でみられるように、デジタル技術は、このような教員の負担を軽減することができるだけではなく、教育における支援ツールとしても利用することができます。

第1に、欠席したり、不登校の子供たちも、オンラインで授業に参加することができます。第2に、一人ひとりがもっているパソコンやタブレットを通して、各自に応じた教育プログラムの提供も可能になります。そして、第3に、子供たちの保護者や家庭との連絡が容易になり、教員との情報共有が容易になります。

教育の世界でデジタル化が進んでいる国の現状は、どうでしょうか。デジタル化において世界の最先端を行くエストニアの状態を見ると、そのイメージを得ることができると思います。

デジタル化によって実現できることの第1は、子供たちや保護者はもちろん、教員の限られた時間を節約し、仕事や学習を効率的に進めることが可能になることです。これまでの方法では、とくに紙をベースにした方法では避けがたかった空間的、時間的制約を取り払うことができるのです。

このことは、コロナ禍によって、休校を余儀なくされ、自宅からパソコンやタブレットで授業を受けることができるようになったことから、理解できると思います。

感染のリスクを侵すことなく、授業を受けることができることはすばらしいことです。もちろん対面の授業と同等の教育ができるかどうかはわかりませんが、通学に要する時間と距離を超越した教育を可能にしました。

さらにいえば、対面での授業はそのときかぎりですが、オンラインでの授業は、それを録画しておくことによって、オンデマンドで時間的な制約もなく、受講することができます。もちろん教員との対話はできませんが、それはあとから質問すればかなり補うことができます。

要するに、オンライン授業が可能になることによって、いつでも、どこからでも、さらにいえば誰でも教育を受けることができるようになったのです。

このような空間、時間による制約からの解放は、さらにこれまでは実現できなかったことを可能にします。

第1に、人口減少が進む過疎地域の小規模な学校において、子供たちに提供できるプログラムの数を拡大することができます。例えば、全校児童10人くらいの小規模校では、教員の負担も大きく、子供たちが受けることができる授業も限られています。

しかし、オンラインで他の学校、もっと規模の大きな学校の授業に参加することができれば、受講できる授業も、教えてもらえる教員も、さらには語り合うことのできる同級生の数も、格段に増えます。それが、それらの子供たちに提供される教育の質を向上させることはいうまでもありません。

第2に、中学や高校の場合には、これまでは高い評価を受けていなかった通信制の授業の可能性を大きく拓くことになります。イジメや人間関係を嫌って不登校になっていた子供たちも、安心して授業を受けることができるはずです。

もちろん、このような形態の授業にはしっかりとした管理が必要ですが、こうした双方向的なオンラインの授業が拡大してくると、不登校という概念自体が消滅していくかもしれません。

第3に、このような方向を延長していくと、学校における定員という考え方も変わってくるはずです。これまでは、物理的空間としての教室が、クラスの定員を決め、教員の配置を決定してきましたが、そうした物理的制約がなくなることによって、授業に参加できる子供の数も柔軟に、弾力的に考えることができることになります。

もちろん、そうはいっても、いくらでも増やしてよい、というわけではありません。しかし、授業によって、あるいは科目によって、弾力的に受け容れることができるようにすることによって、子供たちにとっても、教員にとっても選択肢が増えることは間違いありません。

そして、第4に、デジタル技術を使って空間的、時間的制約を減らすことができるということは、教員にとって、保護者との連絡や会議やその他の雑務に奪われる時間を削減できるということです。

このことは専門職としての教員がやるべきこと、教員しかできないことに、限られた時間という資源を集中的に用いることができることにほかなりません。残りの時間を教員としての研鑽にあてることができます。

このようなデジタル化を推進すべき、という考え方に対しては、当然批判的な意見も聞かれます。たとえば、教育には、やはりこれまでの研究と経験によってその意義が確認されてきたように、対面の授業が不可欠であり、一見便利で効率的に見えるオンライン授業等では充分な教育はできない、というものです。しかし、この主張を支持するような科学的根拠はあるのでしょうか。

デジタル化のメリットを強調してきましたが、対面による教育のよさを否定するものではありません。現行の対面を基調とする教育の方法にオンライン授業等を加えることによって、さらには一部ではオンライン授業をベースとすることによって、相対的によりすぐれた教育を実施できるはずだ、といいたいのです。経験知は重要ですが、それこそ後で述べるように、しっかりとした科学的検証を行って、初めてその価値が評価できると思います。

〇デジタル化を実現するために
以上に述べてきたように、デジタル化を進めることによって、従来の教室のあり方も大きく変わることが予想されます。

とはいえ、パソコンやタブレットをすべての子供たちに配付したからといって、すぐに理想的な状態が実現するわけではありません。それには、まず全国に張り巡らされたインターネットのネットワークに確実に繋がり、Wifiへ障害なくアクセスできる環境を作ることが必要です。加えて、子供たちが、学習のために利用することができる安全で質の高いソフトが豊富に存在していることです。

また、子供たちが使うパソコンやタブレットについての認識を変えることも必要でしょう。現在では、こうした機器は、教材として貸与され、卒業したときには返却を求めることになっているそうですが、これらの機器は日々進化していますし、使い込めば劣化も故障も発生します。

子供たちが、それらの機器を使い潰すくらいの心構えで、自らいろいろなことに挑戦し、その過程で多くを学ぶことができるようにすべきです。

このようにいうと、デジタル機器は高額であり、そのような使い方をする子供たちに惜しみなく提供することは難しい、という批判が返ってきます。それはその通りです。

しかし、現在の学校、教育制度を維持するために投入されている予算を上手に使って必要な経費を捻出することはできないのでしょうか。ここで、教育予算について深入りすることはしませんが、たとえば夏の一時期しか使われない小学校のプールは、現在のように1校に一つずつ必要なのでしょうか。

最近では、熱中症のリスクを避けるために、気温の高い日には使用禁止であるとか。そうだとすると、プールの建設や維持に使われている予算は、有効活用されているとはいえないでしょう。

それ以外にも、既存の物理的な学校と教室という制度を見直し、デジタル技術を活用することによって、広い可能性が拓けてくるものと思われます。まず、これまで長い間を経て形成されてきた制度の大枠から見直すことを試みるべきではないでしょうか。