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税金のない国──ブルネイ ─Singapore 8

 私は、2011年1月から3月までシンガポールに滞在して、アジア、とくに東南アジアの社会と行政について観察し情報収集を行った。その作業はまだ途上であったが、3月11日の東日本大震災のために、その後の観察は断念せざるを得なかった。今、当時書き綴ったコラムを読み返して、今でも、多くの方に伝える価値があると思い、このNOTEに掲載することにした。その第8弾。

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 シンガポールの旧正月の休暇を利用して、ブルネイに行ってきた。正式な国名をブルネイ・ダルサラームと呼ぶこの国は、海以外の周囲をマレーシアのサラワクに囲まれた、ボルネオ島の西北部に位置する人口わずか40万人弱の小さな国であり、スルタンが全権を掌握している敬虔なイスラム国家である。この国が有名なのは、産出する豊富な石油と天然ガスによる収入によって、非常に豊かであり、所得税はなく、また医療をはじめとする公共サービスが一切無料であることである。

 社会保障費の増加と増税問題で悩む日本では想像できない「税金のない国」とはどのようなところか、国民はどのような意識をもっているのか。その辺りを探ろうと思い行ってみた。

 近年、日本からの旅行客も多く、一部に豪華なリゾートホテルも建てられている首都バンダルスリブガワンには、美しいモスクがいくつもあり、また巨大な水上住宅群が残っていて、観光名所となっている。豊富な油田からの収入によって、高速道路網は整備され、そこを走る車の多くは、日本製の高級車である。しかし、近年多くの途上国の都市にみられる高層ビルはない。シンガポールと比べて、空が非常に広く感じられた。

 この国の政治的リーダーはスルタンであり、彼が首相であるとともに、国防相、財務相も兼任している独裁国家である。したがって、実質的に大臣としての任務を行っているのは副大臣である。国民生活の状態は、まだ先進国には到底及ばないが、一人あたりのGDPの高さが示すように、ほとんどの国民は現状に不満をもっていないようにみえ、政治的にも安定している。その点は、シンガポールと同様である。

 短期間の滞在による観察ではあるが、この国の現状を一言でいえば、スルタンの支配する伝統的なイスラムの共同体が、国内で発見された油田からの莫大な収入によって、社会の構造はそのままで豊かになり、近代化したということができようか。先進国から、文明の産物である自動車や電気製品は大量に輸入され、国民生活はそうした物質面では他の国を凌ぐほどに豊かになった。食糧もほとんど輸入しており、自給率は低い。

 要するに、油田からの収入によって必要とするものを輸入し、社会の需要を賄ってきたのである。イスラムの戒律は厳しく、日に何度もコーランを唱える声が聞こえてくる。また、酒類の販売は禁じられており、非イスラム教徒の外国人が酒を飲みたい場合には、認められている範囲内で他国からもちこまなくてはならない。

 税金がなく、公共サービスがタダとは、債務に苦しむどこかの国の国民からすれば実に羨ましいかぎりであるが、課題がないわけではない。それは、油田がいずれ枯渇し、今のブルネイを支えている唯一ともいうべき石油と天然ガスからの収入がなくなるときがくることである。

 そのようなときに備えて、ブルネイは、コメをはじめとする農業、エネルギー、食品、観光等の産業の育成に取り組もうとしている。そうした方向以外に、独立国として存続する途はないように思われるが、これまで油田からの収入のみで繁栄を享受してきた国が、産業の育成によって国を成り立たせる方向へ舵を切ることは必ずしも容易ではないように思われる。

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 第1に、この国は、人口が40万人と少ないことである。日本の都市でいえば東京都の町田市、大阪府の枚方市の規模である。産業振興にせよ、研究開発にせよ、その担い手は優秀な人材である。人口の絶対数が少ないことは、それだけ人的資源も少ないことを意味する。もちろん豊かな資金を使って外国から人材を招くことは可能であろうが、彼らを使いこなすためには、国内の人材が必要である。同様に人口が少ない----とっていもブルネイの10倍ある----シンガポールが、どのように人材の育成に努めているかは、以前に述べたとおりである。

 第2に、人口が少ないことは当然市場としての価値もそれほど大きくないということである。しかも、隣接した地域にも大きな人口を有する国や都市をもっていないことは、遠く離れた海外に生産物の市場を求めなければならないということである。それには、国際競争に勝てる技術や製品の開発が必要であるが、それは簡単なことではない。なお、現在、この国の通貨ブルネイ・ドルは、シンガポール・ドルと同価値であり、シンガポール・ドルがそのまま通用する。

 第3に、この国は、伝統的イスラム社会の構造を維持したまま、豊かになってきた。しかし、これから科学技術や産業振興によって、国際化に乗り出していくとき、そうした社会のあり方を、そのまま維持していくことは難しいのではないだろうか。残されている豊かな自然を資源として観光産業を強化するとしても、酒類の販売が全く認められていないならば、魅力ある観光地とはなりにくいであろう。

 また、税金がなく公共サービスが無料の社会では、当然、受益に対する負担の意識は生まれにくい。これまでは油田からの収入で賄ってきた公共サービスの対価を税という形で負担しなければならないことを、国民は充分に理解し、適応できるであろうか。

 このような課題はあるが、他方では、こうした国や文化の制約を超えて、したたかなビジネスの活動も行われている。それは改めに述べてることにしたい。

 (2011年2月10日)