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最終回、褒めてもらえた

今日は学生時代もっとも長い間お世話になった教授のゼミの最終回だった。

最終回というのは、私が3月に大学を卒業するからであるため、教授のゼミ自体は来年以降も続く。
(追記: 教授も当時知らなかったらしいが、どうやら来年からゼミがなくなったらしい。ということで真の最終回である。)

私は出来が悪い学生だったと思う。
というか、タチが悪かった。(今もかもしれないけれど…)

自分は頭が良いと思い込み、言葉選びに配慮せずにやたらと発言をする井の中の蛙だった。
(今は自分が頭が良いとは思ってないので、今は井の中の蛙ではないといえる✌︎('ω'✌︎ ))

そして同期はさまざまなタイプの賢い学生が多かった。
勤勉な人、理路整然と意見を組み立てることと相手の理論の穴を指摘することが上手な人、着眼点がユニークで説得力をも持ち合わせている人、器用に物事をこなしていく人。

そのような人たちと同じ空間で過ごすうちに、自分の非力さを思い知った。
毎年、ゼミに新しい学生が入ってくるたび、出会ったことないタイプの賢い学生を目の当たりにした。

教授も、きっと私を優秀でも何でもないのに毎年ゼミを継続し続ける学生として見てるんだろうなあ…と思っていた。

どうして賢い人でなく私がゼミに居座っているのか私にもわからなかった。(笑)

しかし、本日最終回、教授と帰り道で並んで歩いた際、
よく成長した、ここまで優秀になれるとは思わなかった、と褒めてもらえた。

つまり、私は場数を踏んで成長するタイプになれたということだ。

言葉を選ばずに述べるとすれば、
すっごくうれしい。
兎にも角にも、うれしい、に尽きる。

「最終回だから褒めといて終わりよければすべてよしにしとこ」精神だったとしても嬉しい。

ずっと、自分で自分を励ましがてら褒めることもできないくらい周りとの差にガッカリしていたので、
思いがけないタイミングで、圧倒的に優秀な人から直接褒めてもらえることほどうれしいことはない。

(先生とはいつも目が合わないのは不問とする。)

この嬉しかった気持ちを、
まだ気持ちが新鮮なうちに言語化しておこうと思った次第である。

「うれしい」しか言ってない気がする。
まあ、この気持ちを表すためにうれしいという言葉があるなら、言葉としても本望だよな。

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