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壊された日常-原子爆弾による影響-

今月から、隔週日曜日に“戦争体験を語り継ぐ”をテーマに記事をお届けします。

第一回目の「戦争体験を語り継ぐ」は広島の原爆をテーマに、原爆投下前、原爆による被害、原爆投下後の3部に渡ってお伝えしていきます。この記事で書いたことはどれも一部分の概要であり、興味を持たれた方は広島平和記念資料館のHPなどを見ていただくと、より多くのことが知れると思います。
広島平和記念資料館 (hpmmuseum.jp)

〈第一部―原爆投下前〉

原爆投下前の広島市民の生活は現代の私たちの日常と変わらないものでした。戦時下のため配給生活や疎開など、不便なことはたくさんありましたが、その中でも日々の暮らしに幸せを見出して暮らしていました。現在平和記念公園として整備されている地域は、当時は繁華街として映画館や様々な商店、カフェなどがあり、連日多くの人でにぎわっていた場所でした。学校が終わった後に友達と遊んで楽しかったり、家族みんなそろっての夕飯でいつもよりおかずの数が多くて嬉しかったり、と今の私たちも幸せと思うことを、当時の人も同じように感じていたのです。

〈第二部―原爆による被害〉

1945年8月6日8時15分、広島の街の上空で一発の原子爆弾がさく裂しました。原子爆弾さく裂後、数秒間放出された熱線によって、多くの人が重度のやけどを負いました。そして、熱線によって温められ膨張した空気が爆風となって、地上の人々や家屋、樹木などを襲いました。建物の外にいた人は何メートルも吹き飛ばされ怪我をし、建物の中にいた人々も柱や屋根の下敷きになりました。瓦礫の下敷きになり逃げることができない人々の多くが、その後熱線により発生した広範囲にわたる火事により、犠牲になりました。原子爆弾は、市民生活の多くを破壊しました。それまでの幸せだった日常が突如として一変したのです。

〈第三部―原爆投下後の生活〉

原爆投下後、焦土と化した広島の街の復興は早いうちから始まりましたが、思ったようには進みませんでした。物資不足はもちろんのこと、生き残った人々の健康被害も大きな問題でした。火傷や怪我などの外傷だけでなく、放射線による影響でめまいや吐き気に襲われる人も多くいました。放射線の影響による病気である、がんや白血病は被爆後数十年が経過してから発病し、現在でも苦しんでおられる方が大勢います。原爆は過去に起きた出来事ではなく、現在にも大きく影響を及ぼしているのです。

私たちは過去のこととして、広島の原爆を捉えがちです。しかし、核兵器は未だに存在し続けており、廃絶への道のりは簡単なものではありません。被爆者の方は「こんな思いを他の誰にもさせたくない」という思いの元、過去のつらい経験を私たちへと伝えてくれています。私たちはこの願いを絶やすことなく、次の世代へと受け継ぎ、そしてこの願いを共有してくれる仲間を増やさなければならないと思います。この記事を通して、私たちの思いを感じ、心の片隅にでもおいていただけると幸いです。


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