年末年始は自分でつくる


【年末年始の思い出】

お正月には早起きして、先ず家の神棚にお神酒を供え一年の家族の安全を願う。父親が先頭に立ち、祖母、母、私達3姉弟が後ろに続く。
庭のお稲荷さんとか、昔のご先祖様の石碑とかいろいろあって、そこにも何か供えていたのを覚えている。

それが終わると、いよいよ炬燵を囲んで待ちにまったおせち料理にありつけた。それは年末から手分けして作った昆布巻きや松前漬け、黒豆や甘露煮などで味見をしながら元日の食卓を想像するのが好きだった。とりわけ祖母の作る羊羹は絶品で、砂糖の効いたトロトロに煮込んだ小豆を四角いお盆に流し固め、翌朝包丁で小さく切り分けてお皿に美しく並べられるのが何より嬉しかった。

これが私の子供の頃の年末から元旦の過ごし方。
新しい服を買ってもらったり、親戚のひとからお年玉をもらったり、心躍る特別な数日だった。

それは当たり前の風景だと思っていたのだがそうではなかった。
私が19歳のお正月に母は43歳で事故死してしまったのだ。すると、翌年から家族のバランスは少しづつ崩れ、家族という集合体は微力になり、親戚も離れていった。

一家の大黒柱は父で、大きなお金を動かすのも家族の決め事をするのも父。母はいつも目立たずに脇役に徹していたはずなのに。

家の色彩、家族の吸引力やお客様を受け入れる包容力は母の存在があってこそだったのだと痛感した。

これが私の大人になるまでのお正月の思い出。


【年末年始のつくり方】

毎年、年末には決まって家族が集まる。集まるというか集める。私の声かけに快く?集まってくれる。
この暮も長男家族、次男が集まった。

なので、年末の30日から私は猛烈に忙しい。年越しのパーティーの準備にかかる。ステーキやすき焼きなど肉料理、煮物、焼き物などの他にお正月のお節料理や年越し蕎麦まで。年末年始が一度に来る。
料理のメニューだけではない。ゲームの景品を求めて百均からPLAZAまで、あっと喜びそうなものを買い求める。この買い物は楽しい。幼稚園児に喜びそうなもの、中学生の興味有りそうなもの。ママが笑納してくれそうなもの。お年玉もそこに入れる。
一生懸命準備して、ワイワイしながら食べて、ビンゴゲームで盛り上がって、時間はあっと言う間に過ぎる。

面白いのは景品の選び方。昨年はなかなかお年玉が選ばれず、おもちゃやお菓子が優先していてハラハラしたが、流石に今年は先ずお年玉が選ばれた。良かった〜
その後は百均のパズルや袋菓子が人気だったり、PLAZAの高級感あるチョコレートが最後まで残ったりで、何の掛け値無しの純粋さに感動する。勿論大人も本気の参加。ここで私の苦労は報われる。

景品というかたちでお年玉は孫達の手に渡るのが最近の流儀。いつまで続くか。

中学生の孫だけお泊りし元旦を迎える。これは小学校一年生になったときから続いている。
昨年に続き今年も七福神巡り。約十キロの道のり。歩く速さや距離でも毎年成長を感じる。
今年は人出が多かった。二人でお賽銭を投げて二礼二拍手一礼の完璧なお参りをする。後ろの人が引くくらい(笑)。そしてgoodポーズ。
昨年は御朱印を頂いたので、今年は色紙に印を押してもらった。七福神の絵と色合いがとてもかわいい。

夕食を食べて家まで届けたら我が家のお正月は終わる。
お節料理も要らない。お正月の特別感も無いし、昔とは全然違う。それで良いのだけれど
せめて、離れた家族が集まる機会という時間だけは残しておきたい。

毎年家族写真は幸せの象徴。いい家族ねと言われる。でもこれは私が作っているからだと分かっている。大変だからやらないと言えばいつでもこの形は消えてしまうだろう。他の誰かに任せるという話ではない。
家族の吸引力となれるうちはこのかたちを守りたい。


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