他人の評価は単なるオマケ。ほめられそうなことよりも、楽しいことしよう。
年齢を重ねていく中で変わったことのひとつに、「他人の評価で、自分の価値を計らなくなったこと」がある。
他人が自分をどう評価しようと、わたしのわたし自身に対する評価が変わらず、ほめられてもほめられなくても、すごいといわれようとそっぽを向かれようと、「わたしはわたし」と思えるようになった。
昔はそうではなかった。他人の評価で自分への評価がいつもゆれていた。
自分の仕事やしたことに対して人からの評価が高ければ「わたしってすごいんだ」となるし、評価をもらえなければ「やっぱりたいしたことないんだ」となる。
他人からの評価で一喜一憂していた。
今だって、褒められたり賞賛されるともちろんうれしいし調子に乗るけれど、それによって自分への評価が上がるわけでもなく、反対にあまり評価されなくても、まあそんなものだよね、と落ち込むことなく客観的に考えられるようになった。
多少ゆれはするけれど、おおむね他人からどんな評価が下っても平常心でいられる。平和で心乱れることが少ない。すごく生きやすいしすごくいい変化だなあと思う。
…
なぜそういう風になってきたのか。色んな理由があると思うのだけど、ひとつ大きなのは、結局人の評価よりも、「自分がやりたいことをやっているかどうか」の方がわたしにとっては大事ということが肌感覚でわかったからだと思う。
どういうことかというと、去年ニューヨークで過ごしていたときのこと。あまりにもニューヨークライフが楽しすぎて、このnoteにたくさん記事を書いていたらあっという間に拡散し、13万人ほどの人に見てもらうことができた。たくさんの人から「記事に勇気をもらいました!」「素敵な記事ですね!」のような評価の言葉をいただいた。
もちろんうれしかったのだけど、正直めっちゃうれしいかと言われたらそうでもなくて、「ほえ〜好きなこと書いてたらなんかわからないけど広がったぞ〜」という感じだった。
たくさんの人に見られようが見られまいがわたしは同じ記事を同じように書いただろうし、なんならたくさんの人に見られることはどうでもよかった。
わたしは「ニューヨーく楽しすぎるぅぅ!!」とテンション高く楽しく書いていただけで、そこに「人の評価」がおまけのように乗っかってきただけだった。
そのとき、「やりたいことやってれば、人の評価って結構どうでもいいんだな」と思ったのだ。
それに気づいてからというもの、褒められても必要以上によろこんで「よーしもっとがんばろ!」と思うこともあまりないし、評価されなくても「まあいっか〜」くらいのニュートラルな気持ちを持てるようになった。
どうせわたしは、褒められようが褒められなかろうが、やりたいことをやってやりたくないことをやらないだけなのだから。
他人の評価はおまけ程度で、なんなら気にしなくていいじゃないかというのが結論だ。
本当にやりたいことをやっていたら、他人の評価なんておまけ程度のものだ。
だからわたしは「他人から褒められそうなこと」をするのではなく、「自分がやりたいことをやりたいようにやろう」と決めている。
人に気に入ってもらえそうなことより、自分が興味を持てることを。
役立ちそうなことよりも、楽しいことを。
自分がわくわくすることをやり、発信しよう。そうすれば他人の評価は後から付いてくる。オマケとして。
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