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自己紹介⑥ 楽しさの裏で自分を見失っていったビジュアル系バンド時代

大学卒業後に僕が進んだ道は、ヴィジュアル系バンドでメジャーになることでした。僕が中学生の頃は、イカ天、ホコ天があったバンドブーム。僕もバンドをやりたくて、高校入学時にいとこにエレキギターをプレゼントしてもらい、友達とバンドを組み文化祭でBOΦWYやブルーハーツ、バクチク、ユニコーンなどの曲を演奏していました。大学生になってからはベースへ転身。カラオケやで知り合った2つ年上のバイト仲間と一緒にバンドをやることになります。しかもジャンルはビジュアル系。僕には未知の領域です。

今でこそビジュアル系は、日本文化として世界に広がっていますが、僕が大学生だった30年前には、日本でもあまり知られていないような状態。ルナシーはすでに活動していましたが、一般的にはまだ知られていない状態。ラルク、グレイもまだメジャーデビューしていないので、周りの友達は誰も知らない。ビジュアル系はあまり知られていないどころか、白塗り系、化粧系 などといった、どちらかというと差別的な呼ばれ方もしていて、ヴィジュアル系をやっていることを話すと、馬鹿にする人もいるような時代でした。

僕は、筋肉少女帯とかレピッシュとかユニコーンとかを好んで聞いていたのでビジュアル系のことはよくわかりません。工藤静香や森高千里を聞いてたりもしました。ビジュアル系バンドといわれるのは、バクチクくらいでしょうか。X JAPANも聴いてなかったし、最近までやっていたのはNIRVANAのコピーバンド。グランジロック。ビジュアル系のビの字も知らない僕がその世界に飛び込むことになります。一緒にバンドを組むことになったバイト仲間が一言、こう僕に言いました。

「これからはビジュアル系がモテるらしいよ」

即決でビジュアル系バンドを組むことになったのです。

バンド開始が大学2年の春。そこから、メンバーを集め、曲を作ります。これまでコピーバンドしかやってこなかったので、オリジナルの曲を作るのは初めてのこと。でも、手探りながら少しずつ曲を作り、1年後に初めてのライブ。それからちょこちょこライブをするようになっていきました。その頃になると、バンドで食っていきたい、という欲が出てきます。ライブをするたびにその欲が強くなり、結局、就職をしない選択をすることにしました。

実は、僕は大手IT企業のプログラムエンジニアとして内定を頂いていました。内定式にも出席。入社前の課題なんかも取り組んでいました。が、内定を取り消してもらいました。就職はいつでもできるけど、バンドは今しかできない。そう思ったからです。しかし、その決断をするのに相当悩みました。その理由は、両親の反対がとても怖かったのです。これまで、僕を育ててくれて、大学まで通わせてくれた。いくら家族の交流が薄くなったからとはいえ、両親に対して申し訳ない気持ちが湧いてきます。このまま就職したほうが親孝行になるのではないか? とも考えましたが、やっぱりその時はバンドがやりたかった。もしかしたらまた否定されるかもしれない 、という恐怖がありましたが、自分の為にも勇気を出して父親に相談しました。話を聞いた父親は、

「やれるうちにやりたいことをやりなさい」

と一言。僕がやろうとすることを認めてくれたのでした。母親には、呆れられましたが、僕はバンドマンの道を進むことになりました。

大学卒業後、僕はフリーターをしながらバンド活動を続けていました。スタジオ練習、そしてライブ。楽器や衣装の購入。宣材写真撮影やチラシ作りと配布。バンドを続ける上でバンド練習以外にやらなければいけないことが沢山ありました。そして、お金もかかります。ライブというのはチケットノルマがありますから、ノルマをクリアできなければ自腹を切るしかありません。要するに集客ができないバンドは、ライブをやるたびにお金が無くなっていきます。ファンをつくるためにライブをやる。そのライブに人が呼べないし、ファンもつかない。赤字がドンドン増え、借金まみれになっていきました。

バンド活動は、本当にお金がかかりました。フリーターの収入では、借金をしなければやっていけません。勝手に父親を連帯保証人にして、ローンを組み、消費者金融でお金を借りる。借金をするために借金をする。それが当たり前の生活になっていきました。同じバンド仲間も借金まみれだったし、違うバンドの人と話しても、やはり借金だらけ。そういう状況の人ばかりと一緒にいると、

売れるために借金をするのは誰もが通る道で当たり前のことなんだ

と思うようになっていき、借金をすることに何の抵抗もなくなり、もう自分のお金なのか他人のお金なのかもわからないマヒ状態になっていったのでした。

夢を追いかけている。そう言えば、聞こえはいいです。確かに充実はしていました。お金は無いけど、毎日を楽しく過ごしていました。その充実感が目の前に起きている現実を霞にかけ、目を曇らせていました。夢を追いかけているという状態に酔いしれ、自分を見失っていたように感じます。やがてどこからもお金を借りることができず、バンドもファンが大してつかず、やっていることに疲れてしまいました。結局、多くの借金を残し、バンドは解散となったのです。

大学時代にはほとんど家に帰らず、家族の交流も減り、就職もせず、フリーターでバンド活動。挙句の果てに、勝手に親を連帯保証人にして借金を膨らまし、何もなさぬままバンドは解散。結局、両親に心配をかけ、迷惑をかけ、傷つけてしまったことに気が付き、バンド以外の生き方を探し始めることにしました。しかし、バンドを中心とした生活をしていたため、何をしていいかわかりません。バンドをやめたとき、生き甲斐も無くしてしまったのでした。

続く


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