自己紹介③ 仲良かった友達が離れていった中学時代

これまでの人生の中で、あまり振り返りたくないのが中学時代だ。僕にとって中学時代というのは、暗黒の時代。といっても、壮絶ないじめにあっていたとかそういうわけではない。普通に学校に行き、普通に友達がいて、普通に遊び、普通に生活していた。しかし、その頃の僕は、いつも何か怒りのようなものと悲しさのようなものが混ざった、何ともスッキリしない感情に溢れていた。もちろん楽しいことも沢山あった。でも、それ以上に怒りや悲しみのほうが大きかった。それが僕の中学時代だ。

中学時代。僕が痛感したのは、人が僕から離れていく感覚だ。中学校に入ると生徒数も小学校の2倍以上になるし、部活も始まる。当然ながら人間関係も生活環境も変わっていくのは当たり前だ。これまで仲良く遊んでいた友達も一緒に遊ばなくなる。これが寂しかった。でも、これは序の口。僕も部活に入り、一緒に遊ぶ友達も変わっていったのだから、お互い様だ。僕が本当に寂しく感じたのは、仲良かった友達が僕を馬鹿にし始めたことだ。

入学したての頃はまだよかった。しかし、次第にヒエラルキーみたいなものができてきた。中学生の頃の僕はと言うと、背が小さくてやせ型、眼鏡をかけていて、運動ができない。まるで、ドラえもんののび太のような見た目。だから、見た目や運動ができないことをよくいじられてたし、習ったばかりの柔道技を僕にかけて練習するようなこともあった。そいつらは、自分より強いやつにはやらない。少しでも自分を強く見せるために、自分より下を見つけて、優位性を示す。そんなことが次第に増えてきた。それをこれまで仲良く遊んでた友達がやってきたんだ。それが本当に悲しかった。

中学校3年生の時、好きな女の子ができた。それについて、誰にも話さなかったのだが、なぜかみんな知ってた。そして、それをからかってくるヤツもいた。僕の気持ちを応援するのではなく、笑い話のネタにしてた。まるで僕が女の子を好きになっちゃいけないような口調で、へらへらとからかってくる。そいつらは、小学校の友達だったやつ。僕は、なぜそんなことをされなきゃいけないのか分からなかった。仲良かった友達がドンドン離れていく。そんな気分だった。そして、ここまでくると悲しさ、寂しさを通り越して怒りに変わっていった。

僕は、気弱な子どもだった。だから、やめてほしいことがあっても「やめて」と言えなかった。相手がやめてくれるまで、ことが過ぎるまで、我慢して待っている。そんな子どもだった。だから、フラストレーションがどんどん溜まっていった。そして、溜まったフラストレーションは怒りに代わっていった。僕の状況に気が付かない親、教師に怒りが向いていった。

偉そうなことばかり言うくせに、僕のことは何もわかってない!

そんな怒りが日に日に増していった。3年生になると受験を意識するようになる。内申書をちらつかせて生徒をコントロールする教師に腹が立った。学校の宿題よりも偏差値を気にする母親に腹が立った。怒りが溜まってしょうがない。でも、何かを壊したり、誰かを傷つけたりして発散するのは、僕にはできなかった。だから、しょっちゅう布団を殴ってた。ただただムカつく。そんな時は、布団を殴りまくって発散してた。でも、大して発散されない。この状態から逃れるためには、環境が変わるしかない。僕は、早く中学校を卒業して、新しい生活を始めたかった。

こうして書くと、悲しみと怒りしかない中学校のようだが、決してそうではない。新しい友達もたくさんできたし、色んな事して沢山遊んだ。僕のことを悪く言わない人ももちろんいたし、裏表なく仲良くしてくれた人もいた。馬鹿みたいに大笑いしたし、もちろん喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして、また一緒に遊んだ。先生とも楽しく会話したし、家での生活もまずまず。本当に普通の中学時代だったと思う。でも、光と影を両方見ていくと、やっぱり影のインパクトが強い。どうしても感情の奥深いところで、怒りと悲しみ、寂しさがあったというのに気づかされる。仲良かった人が離れていってしまう悲しみ、怒り。幼児期から続くこの根深い感情は、さらに次の人生に続いていく。

高校時代に続く


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