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#29 ”ねばならぬ”を手放す

学校には”ねばならぬ”と言われることが溢れすぎている。本当にそうなのかを見直す必要があると思う。

号令、気をつけ、座ること…などなど、当たり前に”しなければならないこと”としていることが本当なのかどうか問いなおす必要があるだろう。先日、学びの多様化学校での話を聞いてから、改めてそのことを考えるようになった。子どもたちへの寄り添い方もまた変わった。

正直、子どもの喧嘩はなぜ怒っているのかよくわからないことが多い。大人からすると「そんなことで?」と思うことだってたくさんある。しかし、子どもにとっては重要なことなのだ。この前も腕相撲を自分から仕掛けておいて、手の甲が付いたかついていないかで言い合いになり、大泣きしている子がいた。図書館に行く授業の時間前だったのだが、「図書館なんて行かねえ!」と叫ぶ。

その子に寄り添って話を聞き、どうするか自分で決めるよう促した。落ち着いてくると、「図書館には行って本を借りたいが、今は行きたくない」と言うことが確認できた。「少し落ち着いてからくる?」と聞くと、小さくうなずいた。しばらくしてから、自分でクールダウンし、ニコニコで図書館のまで来たのだ。
「みんなと一緒にいかなければならぬ」というマインドでは、そうはいかなかっただろう。

教師が”ねばならぬ”から解放されると、「怒る」「叱る」と言う行為が格段に減る。ここ数日間、私は全く怒っていない。もともとそうありたいと思っているのだが…(『「叱る」依存が止まらない』と言う本にも叱ることの依存性について書かれている)

今一度”ねばならぬ”から解放されることが大切なのではないだろうか。

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