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意外と寡黙なパキスタン人

 英国からアジアに戻ってパキスタンのカラチへ、バックパック再開。たかだか数日の滞在で一つの国のことなど分かりやしないけど、見慣れぬ東アジア人をジロジロ見ることはあるものの、あからさまに近寄ってこない人たちだった。(行ったことがなく話にだけ聞く)インドでは歩いているだけで「ジャパニ(ジャパニーズ)、ジャパニ」としつこく言い寄られるとのことで、独立前はインドと一緒だったパキスタンも似たようなものだと思っていたら、そうでもなかった。

 女性の姿は昼間ほとんど見かけなかった。夕方過ぎに涼しくなってくると家族と共に外に出てきていたが、顔までしっかり隠していて、イスラム圏に慣れていない当時は一種の恐怖だった。

 それが、地方への移動のバスで、途中の町で男たちが夕食に下りていき、車内には女性1人、自分1人の2人きりの状況になると、スカーフを上げて顔を出し、自分の飲みかけのコーヒーを飲みなさいと持ってきてくれた。少々年配の、優しそうな顔をしていた。

 この人は、自分のような見知らぬ男に顔を見せてしまって大丈夫なのか。コーヒーをもらって間接キッスにならないのか、と、どうでもいいことまで心配して断ってしまったのだが、ムスリムといえども普通の人たちと変わらない、と知った。心残りは、その人の写真を撮れなかったこと。さすがに撮らせてとはいえなかった。

 その1カ月後、陸路で戻ったヨーロッパの夜行列車で寡黙なパキスタン人夫婦とコンパートメントが一緒になった。旦那はビジネスマン風、奥方は民族衣装だったが、さすがにスカーフは被っていなかった。

 会話はやがて宗教の話になる。家系は仏教(の一宗派)を信仰しているが、自分が信心深いかというとそうでもない、と伝える。旦那は、「信じる宗教は何でもいい。ただ人間は、問題を抱えたとき、不安を感じたときに、何か頼れるものがあった方がいい」と、淡々と語った。

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写真は全て当時の紙焼きをスキャンしたもの。

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