見出し画像

幻の移転計画/昭和天皇も…巨大地下施設とは

終戦から72年。
長野県に、巨大な地下施設があることをご存じでしょうか。実は日本軍はここに、昭和天皇、そして国の中枢を まるごと移そうとしていました。
(TBS NEWS23 17年8月14日オンエア)

驚くべき計画は、長野市・松代町(まつしろまち)で進んでいました。3つの山に地下壕を掘り、国の中枢をまるごと移転させようという、その計画。追い詰められた日本軍は、そこまでして戦争を続けようとしていたのです

3つの山のひとつ、舞鶴山の上空から見てみると、網の目のような地下施設が・・・。

そのすぐ上には、建物が3つ。

終戦直後の映像そのままに、建物は今も建っています。

中に入り・・・ある部屋を目指します

●雨宮キャスター
「広い、気持ちのいい空間になっています」

この部屋、実は昭和天皇が移転してくる計画がありました。“天皇御座所”の予定地です。

●雨宮キャスター
「こちらの木材はヒノキ。驚くのは端から端までふしが一つもない。物がなかった時代にこれだけのものを持ってきたんですね」

皇后も隣の建物に移転してくる計画で、いざという時に天皇・皇后が逃げる地下施設もあり、ヒノキの風呂も作られていたと言います。

そこから繋がる予定だった地下施設には、戦争の指揮を執る「大本営」が入る計画でした。

今は、地盤が固いことが評価されて気象庁の地震観測所になっています。

薄暗いトンネルを進むと、意外なものが見つかりました。

「断じて勝つ」などの勇ましい言葉も。

ところがそのすぐ横には・・・・

一方で、別の場所には・・・

漢字と一緒に、ハングルが書かれています。

掘削や建設には、多いときで7000人近い朝鮮人労働者が動員されました。何と書いてあるのか諸説ありますが、終戦で工事から開放され「うれしいよ」と書いてあるという説もあります。

彼らは舞鶴山のほか、食糧倉庫として使われる予定だった皆神山、そして、トンネルの総延長がおよそ6キロにも及ぶ象山の現場で働いていました。

象山の麓に住む中西智教住職。12歳だった当時、トンネルに入ったことがあるそうです。

●中西住職
「これはコンプレッサーで圧縮空気を送り込んで穴を開けていくわけです。削岩機という機械で。粉塵もすごい」

岩に穴を開ける削岩機の先が折れ、突き刺さっています。

●雨宮キャスター
「本当に固い。どれほど大変だったんでしょうね」

削岩機で穴をあけ、その穴にダイナマイトを仕掛けます。それを爆発させて・・・穴を広げていきます。過酷、そして危険な作業・・・。

何しろ、1944年11月から終戦の日まで、たった9ヶ月でこれだけの地下壕を掘ったのです。

さらに中西さんは、驚くべき光景を目にしていました。

板張りの部屋ができていたと言います。そこには政府の各省庁が入る予定でした。8割が完成していましたが、終戦を迎え、移転計画は実行されませんでした。

“日本一無用の長物”。戦後間もなくこの施設を特集した雑誌には、そんな見出しがつけられていました。

工事では事故が相次ぎ、多くの作業員が亡くなりました。秘密保持のため立ち退きを強いられた人たちもいました。

大本営や政府中枢が入る頑丈な地下施設のために、大勢の人が、犠牲を強いられたのです。

●中西住職
「無謀な工事だったと思います。だって、どうするんです?あとの国民はどうなってもいいということだろ?」