24歳、がん患者のわたしがDEIBに取り組む理由 |#01 繋いだ手と手のあいだから、
繋いだ手と手のあいだから、
どれだけ本を読んで勉強しても、ひとりひとりの想像力には限りがある。
あたりまえのことだけど、
あの人の抱えるもやもやを全部理解することなんてできやしない。
それでもやっぱり誰かの手を取ることで見える景色があるし、
そこからはじまるものがあるとわたしたちは信じています。
1人でも多くの人が、今日もがんばるぞと思えるように。
”ダイバーシティ”に向かって疾走する世界中の同志たちと、共にまだ見ぬ景色を見るために。
施策や新制度設立・改修までの道のり、はたまた社内での小さな出来事などなど。等身大のわたしたちを少しずつですが書き綴っていきます。
#01はAi Tomitaのエッセイです。
温かいコーヒー片手にでも、
わたしたちの奮闘を見守っていただけると嬉しいです☕️
24歳、がん患者のわたしがDEIBに取り組む理由
ー「体調管理も仕事のうち」?
数年経ったいまでも定期的に思い出す嫌な言葉がある。
大学生のときの話だ。
大手個別塾で講師をしていたのだが、その年の冬も例年通りインフルエンザが流行した。
授業方式は講師一人に対して生徒二人。
コロナ禍ではなかったからマスクをしている人も少ない。
戦闘態勢じゃないときに限って、思わぬところから矢は飛んでくる。
わたしにとってのそれはいつも通り授業を終えたあと、終礼中の室長の何気ない言葉だった。
「体調管理も仕事のうちだから」
社会人としてのルールを教えてあげるつもりだったのかもしれない。一般的なことを言っていたことは理解しているし、室長が悪いとも思っていない。
ただ当時は心が不安定な時期で、体調管理さえすれば罹らないと本気で思っているのか?と若干苛立ちを覚えてしまった。
わたしは昔から身体が弱い方で、ほぼ二年に一度はインフルエンザに罹ってきた。
受験を控える生徒に迷惑はかけられない。
でも室長は、講師の体調は自己責任だという。
そもそも講習期間はみんなきつきつのスケジュールで授業を組んでいる。たった一人講師が休んだだけでもかなりのダメージだ。
罹ったらどうしようと不安を抱えながら通勤していた日々。
みんながみんな同じ基準で元気でいられる訳じゃないし、流行り病は体調管理だけでどうにかなるものじゃない。
そう頭では理解しているけれど、いまだに”自己責任”の呪いから逃れられずにいるのはそれがいまでも世論だからだろう。
ー”ふつう”になじめなかった学生時代
大学時代、一限の授業が本当に辛かった。
わたしの一日は低血圧による吐き気との闘いからはじまる。
それに加えて大学までバス酔いに耐えなければいけない。
吐き気と頭痛を我慢しながら何とか支度して、バスに揺られながら20分間の耐久。バスを降りたら校門から一番近い図書館へ。一旦トイレで吐いてから教室に向かうのがわたしにとっての”ふつう”だった。
コロナ前には、対面授業という選択肢しかなかった。
それが今ではどうだろう。
いわゆるリモート授業のみならず、対面かリモートか選べる「ハイブリッド型授業」まであるらしい。
なんだよ、やればできるのかよ。
もしコロナ前からリモート授業があったなら…
来年の春、わたしは大学を辞める。
わたしはいつだって我慢してきた。
低血圧で毎朝のように吐いていても、一限を取らないわけにはいかなかった。PMS*がひどくても気合いで頑張るしかないし、生理だからといってオンライン授業になるわけでも公休扱いになるわけでもない。
そうやっていろんなことを我慢して、”ふつう”の基準に合わせて生きてきたのはわたしだけの話じゃない。
だからニューノーマルについて考えるとき、”マジョリティ*に関わる問題だから社会は変わった”という事実を忘れたくない。
たとえば、いまでは当たり前になっているリモートワーク。
コロナ以前、働く母親やケアラー*、身体障がい者、精神疾患を抱える人など、”マイノリティだけ”が多様な働き方を求めていたとき、どれだけの人が真剣にリモートワークの必要性について議論し導入を試みただろうか。
マジョリティが当事者にならない限り社会は動かない。
悲しいけれど、これが現実だと感じている。
そして社会がコロナを脅威と見做すことを止めたいま、少しずつ、しかし確実に”ふつう”は戻ってきている。
悔しい。でも、嘆いてばかりじゃいられない。
ニューノーマルの波に乗ってやろうじゃないか。周縁化されてきた人々の苦しみが、ほんの少しだけど可視化されるようになってきたのだ。後戻りさせてたまるか。NEWPEACEならそれができるはずだ。むしろ「価値観を仕事にする」と謳う企業が率先してやらずに誰がやるんだ?
こんな調子で一人悶々としている時、ワインさんがDEIBプロジェクトを立ち上げ、一緒にやらないかと声をかけてくださった。これがわたしたちの始まりである。
ー”仕事ができる”ということ
DEIBと向き合う上で大事にしているもののひとつに「誰のためのDEIBか?」という視点があるのだが、最近は”仕事ができる”ということについてよく考える。
わたしにとっての”仕事ができる”。
期限を守れること。
スラックの返信が早いこと。
就業時間に合わせて働けること。
午前中から出社できること。
”仕事ができる”という言葉の中には、たくさんの”できる”がある。
これを読んでいる方の中には、何が難しいの?と感じる人もいるかもしれない。
健康なことはとても良いことだし、強みだと思う。
同時に、そもそも健康とされる人たちが生き残りやすい社会であるという事実から顔を背けてはならないとも思うのだ。
スラックの返信一つとっても、先輩からの何気ないメッセージにビクビクすることがある。
その小さなビクビクの積み重ねが休職を引き起こすのだが、周りからすれば突然休んだように思えて何が原因なのかがわからない。そうやって”できる人”と”できない人”の差が開いていくのを、大学でも仕事でも何度も目にしてきた。
自分の短い人生を振り返るとき、どちらかというとできない側の人間だと感じることの方が多かったように思う。
学校に毎日なんていけないし、バイトも長続きしない。
LINEの通知は+99が普通で、よく友達から催促される。
仕事でもたくさんフィードバックをいただいているにも関わらず、まだまだ直せていないところだらけ。定期的に同世代と比較しては自分のダメさに落ち込む。
そんなわたしがNEWPEACEにジョインしてもう2年半。ひとつのコミュニティにこんなにも長く所属するのは、24年間の人生ではじめてのことだ。
去年の夏にがんが発覚したときも、わたしが働き続けるための方法を一緒に考えてくれた。
ずっと社会不適合者*だと感じながら生きてきたわたしが、やっと居場所だと思えるコミュニティに出会えたのだ。
そして、ここまで自分のマイノリティ性について書いてきたが、やっぱり自分は経済的にも人間関係にも恵まれてきたという点について言及しておきたい。
きょうだいの学費のため大学進学を諦めた友人もいれば、学費を自分で賄うため休学を挟みながら卒業しようと奮闘する友人もいる。学歴で相手のマジョリティ(マイノリティ)性を判断するのは乱暴だ。
インターセクショナリティという考え方が日本でも取り上げられるようになってきたとはいえ、概念として浸透しているとは決していえないのが現状だ。マジョリティだと社会から見做されている人が、ある部分ではマイノリティとして苦しんでいることも多い。交差性やグラデーションの存在を前提に考えていく必要があるのだ。
わたしはいまNEWPEACEで働き、企業の公式アカウントで発信することができている。
DEIBの領域においてNEWPEACEもまだまだ発展途上。
それでもわたしがここで頑張るのは、この会社に誘ってくれた大切な先輩や、一緒に頭を抱え、時に泣きながら問題と向き合い続けた仲間がいるからだ。
みんながわたしに希望を与えてくれたように、わたしも誰かに対してそんな存在になることができたなら。
だからわたしは自分のエネルギーが続く限りいまいるこの場所で全力を尽くし、与えられたチャンスを最大限に利用する方法を模索していきたいと思う。
ー耳ざわりの良い”多様性”に終止符を。
どれだけ勉強しても想像力には限界があり、全ての人の抱える荷物に気づくことは不可能だ。だからこそ対話が不可欠であり、たとえ些細なことに思えたとしても小さな声を拾い続けることではじめて大きな力が生まれていくのだと思う。
DEIBに正解は存在しないし、ロールモデルもあまりない。
そもそも仲間を増やしていくこと自体なかなか難しい。
「やっぱりDEIBやる人って当事者性高いよね」
「女性ばかりじゃなくて男性の意見が知りたいです」
そういわれたこともある。
そしてきっと、これから何度も投げつけられる言葉だろう。
先輩と二人で悔し涙を飲み込んだ。
もう誰も置いてきぼりにしない。
令和の時代に、耳ざわりの良い”多様性”はいらない。
マジョリティと呼ばれる人たちのなかにも真剣に多様性と向き合っている人たちがいる。わたしはもう、孤独じゃないのだ。
出産や子育て、介護、病気と闘いながら働く人への考慮がなく、健康を維持しフルタイムで働ける前提で構築されてきたいろんな”ふつう”たち。
社会からはぐれものとされてきた人たちを置いていくことなく、みんなが安心して働くことのできる会社にしたい。アライとして、当事者として、いろんなことを抱えながらDEIBの領域に臨む人たちを結びつける、ハブのような場を作りたい。
24歳、大学休学中、双極性障害持ち、がん患者。
思い描いた人生とはほど遠い。ベストではないけれど、きっとこれでいい。
あわよくばわたしの生き方がニューノーマルのひとつとして、誰かにそっと寄り添い背中を押すことができたなら…
これが、わたしがDEIBに取り組む理由で、覚悟です。
writer: Ai Tomita
editor: ワイン エリカ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?