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『悪魔のいけにえ -レザーフェイス・リターンズ-』

月末更新/BLACK HOLE:新作映像作品レビュー 2022年02月

テキサスのゴーストタウンを再生しようとする若者たち。しかしそこには人皮のマスクをつけた殺人鬼レザーフェイスが潜んでいた……。血の惨劇が、再び幕を開ける。

 初代『悪魔のいけにえ』の惨劇から五十年。現実と同じだけの時間が流れたテキサスが本作の舞台である。テキサスで最も有名な未解決事件の発生以来、人皮マスクの殺人鬼レザーフェイスは忽然と姿を消し、唯一の生存者サリー・ハーディスティは復讐のために人生を捧げていた。この構図はリブート版『HALLOWEEN』と酷似している。実際、作中では再びチェーンソーを手に取ったレザーフェイスと復讐のため立ち上がったサリーの対決が描かれる。それ自体はとても熱いドラマなのだが、本作の焦点ではない。

 本作は『悪魔のいけにえ』という作品、そしてレザーフェイスというキャラクターを現代社会の文脈と関連させようという、極めて野心的な試みなのだ。

 物語はテキサスの小さな町への若者たちの集団移住から始まる。彼らはいわば「イマドキの理想主義者」だ。環境保護や銃規制や人種平等のメッセージをSNSで発信し、拡散の結果集まった共感と資金を元手にプロジェクトを進める。そんな彼らの移住の目的は理想の町を作ること。だが、それは当然のようにテキサスの保守的で閉鎖的な風土とぶつかる。地元の住民は都会から来た若者達を「よそ者」「カルト」と毛嫌いする。しかし同時に若者達も地元の住民を野蛮で無知な人々として見下している。新と旧、都会と田舎、法律と慣習。現代のアメリカが抱える分断の縮図だ。

 そこへ我らがレザーフェイスがやって来る。

 雄叫びを上げてチェーンソーを振り回す怪力無双の大男。その圧倒的な狂気の前では出身や思想など何の意味も持たない。人間は皆平等に血と糞尿の詰まった肉袋である。理想に燃える都会の若者も権威主義的なテキサスの保安官も、仲良く切り裂かれて肉塊と成り果てる。作中では序盤から銃社会アメリカの罪悪やそれを巡る分断が描かれるのだが、「銃などしょせん常人の道具である」とばかりにミートハンマーとチェーンソーで大暴れするレザーフェイスの姿は痛快極まる。そこにあるのは純粋で原初的な暴力だけだ。それと比べれば銃など文明的とさえ言える。

 レザーフェイスというキャラクターはテキサスという土地と強く結びついて来た。未開、後進、野蛮……そうしたおどろおどろしい「南部」的なイメージが人皮マスクの大男の姿に重なっている。しかし本作はそれほど単純ではない。都会の若者達が嫌悪感を覚える対象=典型的に「南部」的なテキサスの住民達もまた容赦なく血祭りに上げられるからだ。レザーフェイスのチェーンソーは平等である。彼が単純な「南部の野蛮」あるいは「南部の亡霊」のような表象を担わされているのでないことは明らかだろう。むしろそうした二項対立を超越し、全てを薙ぎ倒す圧倒的な何かとして位置付けられている。何を描いても政治に回収されかねない現代でスラッシャー映画というジャンルが持つ唯一無二の強さが、ここには現れているのではないだろうか。

 とまあ、色々と硬いことを言ってしまったが、本作が傑作である理由は実は単純だ。めちゃくちゃ人が死ぬ。これに尽きる。もう笑ってしまうくらい死ぬ。たくさん死ぬだけでなく派手に死ぬ。魅力的なゴア表現がたっぷりだ。しかも尺が八十分しかないのでテンポが異常に良い。これだけで見る価値がある。また、エンドロール後に来るラストシーンは必見である。最後まで楽しい映画だった。おかえり、レザーフェイス。

(グーテン=モルガン)

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