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ブルックナーの金字塔的作品〜交響曲第8番(後編)

前編に引き続き、ブルックナー「交響曲第8番」のことを綴りたい。後編は「オトの楽園的楽曲ガイド」を中心に、これまでブルックナーの作品に馴染みがない人や、「ブルックナーはあまり好きではない…」と思っている方々向けガイド。ブルックナーがお好きで詳しい方々には物足りない内容となることをあらかじめお詫びしておきたい。

「交響曲第8番」の概要

この作品はブルックナーの晩年に作曲された楽曲だ。大作が多い彼の作品の「超大作」であり、傑作中の傑作とされている。本人も大変気に入っていたし、初演の反応も良かった。わざわざ初演の反応について言及する理由は、彼の作品は統計的に見ると「周りの人や聴衆の反応が悪かった」からだ。また、ブルックナーの交響曲は様々な人物に献呈されているが、この作品はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世に献呈されている。この作品の重要性や「格式」を示すもののひとつだ。「献呈」の事実だけを見て判断するのは些か軽薄だとは思う。ブルックナーは生前は「オルガニスト」として国際的な評価を得ていた。そしてウィーンの宮廷オルガニストの地位を得て、給料や勲章ももらい住居に困ることがなかった。しかし晩年、年齢的な理由と病から住んでいた4階(日本でいうところの5階)の階段を昇降するのが困難となり、それを耳にした皇帝の計らいである宮殿の一室の1階に移り住んだ。皇帝がブルックナーをオルガニストとして重宝していたと思われるエピソードだ。

オルガンを演奏するブルックナー(オットー・ベーラーの影絵画)

それでは作品の中身について…。

聴く立場に立った概要なので、楽曲の学術的な解説はプログラムノートや有識者に委ねることにしたい。

まず、曲の構成だが「4楽章形式」の交響曲で、4つの曲からできている。演奏時間は、なんと・・・約80分だ。新幹線「のぞみ」で自宅から近い新横浜駅から名古屋駅までの所要時間と一緒だ。そう聞くと意外に短いようにも感じるが、実際に聴くと「宇宙的規模」の何かを感じてしまう。もっとも、宇宙的な壮大さを感じさせるブルックナーの交響曲といえば、絶筆となった「交響曲第9番」であることは間違いないのだが・・・。

ブルックナーの交響曲を取り上げる演奏会では、大体はこの1曲のみが演奏プログラムとなる。つまり休憩がない。トイレの近い方だけでなく、是非とも開演前に済ませることは必須だ。コンサートホールのトイレは開演前や休憩中は長い行列ができるが、比較的すぐに自分の番が来るので安心して並んでほしい。余談だが、一部ファンの間で「ブルックナートイレ」と言われている現象がある。それは男子トイレの混雑に比べて女子トイレが空いているという現象のこと。つまり、ブルックナーのファンには「男性が多い」ことを示している・・・というのだ。しかも」・・・「40代以上の中高年男性」が多いとされている。しかし最近の演奏会場では若い男性ファンや女性も多く見られ、この現象はもはや過去のとなっているのかもしれない。

1楽章 アレグロ・モデラート(約15分)

2楽章 スケルツォ・アレグロ・モデラート(約15分)

3楽章 アダージョ、厳かににゆっくりと、しかし引きずらないように(約25分)

4楽章・フィナーレ、厳かに、速すぎず(約25分)

日本語で書いた部分は、実際はドイツ語で書かれている。表記だけを見ると「速い」「速い」「遅い」「速すぎないが、遅くはない」という構成に見えるが、実際聴いてみると1楽章は「速いとも遅いともつかない中庸なテンポ」だし、2楽章の中間部は「少しゆったり」している。3楽章は文字通りで、4楽章は「速くはないが推進力を感じるテンポ」だ。初めて聴く方は参考にしてほしい。

オーケストラの編成も巨大だ。特に管楽器はブルックナーのこの作品より前の交響曲は各管楽器が基本的には2人(例外のパートが金管楽器にあるが)である。しかしこの作品は、基本的な管楽器が各3本、ホルンについてはなんと8本だ。その8本はAチームとBチームに分かれ,Bチームは途中で「ワーグナーチューバ」という作曲家ワーグナーが自身の作品のために作らせた楽器を演奏する。ブルックナーはワーグナーを非常に尊敬しており、「第7番」以降の交響曲に使用している。そのワーグナーチューバを見ることができるのも、この作品の見どころだ。

この作品はティンパニ以外の打楽器も登場する。それはシンバルとトライアングルだ。シンバルとトライアングルといえばドヴォルザークの「新世界」にも同じペアが登場する。ブルックナーの場合はシンバルが4楽章に2発、トライアングルもシンバルと同じ場所で登場する。

ブルックナーの8番でそれらの打楽器が登場するのは「3楽章」、ゆったり静かな音楽が、音量を増して最高潮に達する部分である。その後再び音楽は静かになり3楽章は終結する。待ち時間で見ると、演奏開始から出番までと出番から曲の終わりまでの待機時間は新世界よりも長い。打楽器奏者はその間どのようなことを考えているのだろうか?おそらくはブルックナーの深淵な音響世界にドップリと浸り、喜びや高揚を感じていることだろう。オケの中という最高の特等席に座っているのだから…もちろん場所の関係上金管楽器やティンパニが良く聴こえるとおもう。しかしなが「至高の名曲」というのは場所など関係ないと思わせる「魔力」「威力」「魅力」がある。演奏会で打楽器奏者の方々がどのようにして出番を待っているのかを見るのも良いかもしれない。しかしあまりそれは打楽器奏者の方々には嫌がられるかもしれないが、きっと「良い表情」をしているはずだ。決して居眠りなどせず。

普通に考えたら、最後の盛り上がりで打楽器を使用するのが「定石」だと思うが、ブルックナーは1番静かなゆっくりした楽章(緩徐楽章)に使用したのだろうか。

それは、ブルックナーにとって、この交響曲の「頂点」がそこにあるのだ。神々しい世界の中で最も神の存在を近くに感じるような部分、その「喜びや感謝」が最高潮に達する部分が、ブルックナーにとっての「頂点」なのだ。そして、ブルックナーにとってシンバルやトライアングルといった打楽器が「頂点」を象徴する楽器であったのだ。是非、この部分での打楽器に注目していただきたい。

この曲にはハープが登場する。「できれば3台」という指示があるが、果たして今回はどうだろうか。ハープを交響曲で使用しているのは、この8番だけである。

ブルックナーを聴く上で、大切な要素がある。それはブルックナー特有の「音楽語法」「音楽作法」のようなものである。そのいくつかを紹介しよう。このような部分が「ブルックナー的」な部分になる。

ブルックナー開始

ブルックナーの交響曲の多くで採用されている楽曲開始の特徴のこと。具体的には「弦楽器のトレモロ(弦を弓で細かく速く擦る奏法)で開始されることをいう。「交響曲第8番」もこの「ブルックナー開始」で曲が始まる。幻想的というか、深遠な宇宙を感じさせる瞑想的な開始、これで一気にブルックナーの世界に引き込まれる。


ブルックナー休止

ブルックナーの楽曲には曲の中で無音の時間を取るように指示されている部分が多くある。楽譜上では小節線の上に「フェルマータ」という「停止記号が書かれている。このような音楽上の「間(ま)」もブルックナーの特徴だ。なせこのような部分が生まれるか?という理由にはいくつかあるが、オルガン奏者としても名高いブルックナーの、オルガン演奏上の行為が影響しているという説がある。パイプオルガンを演奏するとき、オルガンの音色を変える「ストップ(音栓」というものがあり、それを操作して音色を変えるのだが、現在はあらかじめストップの組み合わせをプログラムしておき、その箇所ですぐに変えることができるとそうだが、当時は一度演奏を止めてストップ操作を手動で行わなくてはならなかった。その「音変え」の時間が「ブルックナー休止」ということだ。オルガン奏者であったことが作品にも影響しているのは非常に興味深い。そして大聖堂など響きの永く豊かな会場でブルックナーを演奏すると、その「ブルックナー休止」の意味がとてもよくわかる。それだけの休止が必要なのである。そしてブルックナーは幼少期から晩年に至るまでカトリック教会とは深い縁があり、自身も敬虔なクリスチャンである。ブルックナー、ブルックナーの音楽において「オルガン」とキリスト教」は切り離せないものなのだ。

ブルックナーリズム

ブルックナーの作品には独特の「リズム型」があり、一般に「ブルックナーリズム」と言われている。具体的には「2連符と3連符が交互に現れるリズム」で、それが「2連+3連」の場合もあれば「3連+2連」の場合もある。数えたことはないが「2連+3連」の方がブルックナーの作品には多く登場するような気がする。交響曲第8番でも、冒頭の低弦楽器の戦慄、開始約30秒で「ブルックナーリズム」が登場する。その後、幾度となく「ブルックナーリズム」が現れる。「ブルックナー」リズムを見つけ出しながら聴くと、長大なブルックナーの交響曲も短く感じるかもしれない。


ブルックナーのスケルツォ

ブルックナーの交響曲には、たの交響曲作曲家と同様に「スケルツォ楽章」がある。「スケルツォ」とは本来「おどけるように」などという音楽用語だったが、ベートーヴェンの交響曲以来「速い3拍子の楽曲」のことを指すようになった。ブルックナーのスケルツォはブルックナーの長大で、一聴するとよく分からない音楽の中において「親しみやすい」楽章と言われている。カッコ良さと親しみある旋律で作られた彼のスケルツォに親しむところから僕もブルックナーに親しんでいった。

ブルックナーと数字の「3」

ブルックナーにおいて「3」という数字には意味がある。キリスト教にも「三位一体」や「三賢人」など3にまつわるものがあるが、3は古来から意味のある数字とされる。ピラミッドも三角形だし、何より3つの点を結んだ形はその線同士が交錯することなく形を作る。「3次元」という言葉もある。

「ブルックナーの3」も、敬虔なカトリックとしての神的な意味をもつ数字と考える。だからこそ「3連符」「3拍子」「3楽章」「3管編成」「ハープ3台」…どこまでそれが意味を持つかは感じる人次第だが、このように数字からブルックナーの交響曲を読み解くのも面白いと思う。

この交響曲もある意味で「悲劇からの救済」「闘争からの勝利」といった、ベートーヴェン「運命的」やチャイコフスキー「交響曲第5番」のようなストーリー展開を持っているといえる。


ブルックナーは72歳でその生涯を終えるが、この作品は68歳の時に初演された。「交響曲第7番」が成功を収め、やっと作曲家として認められたようなものだった。もちろんオルガニストとして、教育者としてのキャリアは素晴らしかったが、やっと作曲でも認められた喜び、前述したように皇帝からの勲章の授与など幸福な時期であった。しかしブルックナーな体力は弱まりはじめていた上、ワーグナーやリストの死などにショックを受けて、自分の死を強く予感してしまった時期でもあった。それが「交響曲第8番」に反映されていると論ずる人もいる。

ある人はブルックナーの8番のなかには「生と死の闘争」や「充足されない希望」、「人生経験で味わった不安と苦悩との闘いと同化」というテーマを扱っていると論じているが、僕もそのように感じる。特に3番目の「人生経験で味わった不安と苦悩との闘いと同化」というものを「交響曲第8番」の中に感じるのだ。

ブルックナーはこの交響曲を理解するための重要な性格のひとつとして、第1楽章の終わりの部分のトランペットとホルンには「死の予告」があり、この楽章は「死の時」で終わると言っている。

また第2楽章のスケルツォについて、ブルックナーは「ドイツの野人」と名付けた。これはゲルマン人の不器用さの象徴的な姿として、それをブルックナー自身に重ね合わせたものと考えられている。「野人」と言えばサッカー選手の岡野を思い出すが、「野人」とは「ブルックナー」であり、本人も洗練されたウィーンから遠く離れた地方都市リンツの田舎者、野人だと思っていたのだろう。そのことが彼の人生においても大きな影響を及ぼしていた。どちらにせよ、この第2楽章はブルックナーの「肖像」なのである。

その後の美しく神的な感動のある第3楽章は「宗教的浄化」、フィナーレは「輝かしい終末」の音楽と捉えることもできるだろう。この1人の人間の生涯の「一大叙事詩」のような「交響曲第8番」をみなさんはどのような気持ちで聴かれるだろうか。自らの人生になぞらえる人もいるかもしれないし、英雄の一大叙事詩として聴く人もいるだろう。

ブルックナーの作品の楽しみ方、言い換えれば「何を楽しむのか?」とは何だろう?個人的には「オルガンのような音色の様々な変化」や「楽器の組み合わせによって変わる音色を楽しむ」ことや、「壮大な響きにドップリ浸る」こと、「オーケストラから引き出される、各奏者の音色の美しさや力強さ」や「プロオーケストラ奏者の個人技術やセクション、合奏の音作りやアンサンブルの妙技を楽しむ」ことだと考えている。もちろん指揮者の解釈も楽しむポイントだと思うが、僕は「オーケストラの機能」や「個人やオーケストラの高スペック」を楽しむのには絶好の作品だと思っている。

ある人が「ブルックナーは才気を嫌う」と言っていた。それは才能のないものがブルックナー音楽を巧く演奏できる、という意味ではない。楽譜と真摯に向き合い、ブルックナーの声を聞き、それを引き出すことを意味する。そこに指揮者の「色気」やら「過剰な自己主張」をするとブルックナーは美しく響かないし、構成の雄大さ、つまり「器の大きさ」が失われてしまう。その反面指揮者や演奏者の「本当の姿」を曝け出してしまう曲でもあると思っている。「この人はどんな人間性を持っているのか」「音楽や人間に対してどのように向き合っているのか」そして「この人はこれまでどのような人生を歩んできたのか」が曲を通して映し出される「フィルム」であるように思えてならない。まさに「真を写す」作品、作曲家だと僕は思う。その上で、今回の演奏会は素晴らしい音楽家たちによる、美しい響きで満たされるはずだ。それを僕は客席の片隅で静かに見届けたい。

きっと、かけがえのない唯一無二、まさに一期一会の素晴らしい時となるはずだ。

(文・岡田友弘)

演奏会情報

【謹告】下記演奏会は、指揮を務める予定であった、NJP首席チェロ奏者桑田歩氏のご逝去に伴い、公演が中止となりました。生前の素晴らしい音楽活動に敬意を表し、そのご冥福をお祈りいたします。公演中止に伴う詳細は新日本フィル公式ウェブサイトにてご確認ください。

歩夢ドリームオーケストラ Vol.2

2023年4月27日(木)

すみだトリフォニーホール 大ホール

14:15開場 15:00開演

管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮 桑田歩(新日本フィル首席チェロ奏者)

新日本フィル首席チェロ奏者桑田歩がお贈りする特別な演奏会です。2023年1月、「再臨『桑田歩の英雄』」で会場を感動の渦に巻き込んだ歩夢ドリームオーケストラ。ついに新日本フィルとの共演を果たします。

プログラム

ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB 108(ハース版

詳細は新日本フィルホームページをご覧ください

執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。

岡田友弘・公式ホームページ

Twitter=@okajan2018new

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