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あの日聴いた「音楽」(第1回)…1991年のマーラー「交響曲第4番」

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は新シリーズ〈あの日聴いた「音楽」〉、これから新日本フィルが演奏する作品の思い出を,筆者の素朴でありきたりな人生の思い出と交差させて語るコラムをお送りします。演奏会のお供に、休憩時間や演奏会の余韻とともにお楽しみください。

確か1991年の晩秋、もしくは初冬あたりだっただろうか。自宅から電車で1時間ほどかかる秋田市へ、学校の授業終わりに足早に向かった。オーケストラ演奏会を鑑賞するためだ。

秋田のような地方都市にオーケストラがやってきて演奏会をする機会は少ない。国内のオーケストラが年に1,2回、海外のオーケストラに至っては年に1回くれば良い方で、3,4年に一度…みたいなときもある。海外のオペラやバレエ公演ならばもっと少なく、5年や10年に一度ということもある。

そのような環境下で、生のクラシックコンサートがある、しかもオーケストラとなれは行かなくては!そのような思いでプレイガイドでチケットを手に入れたのがコンサートの数ヶ月前、発売日から日も浅かったと思う。つい最近知ったのだが、このコンサートのチケットは早々に売り切れたそうだ。それだけ秋田のクラシックファンには待望のオーケストラコンサートだったのだと思う。

エルネスト・アンセルメ

その時に秋田を訪れたオーケストラは「スイス・ロマンド管弦楽団」。エルネスト・アンセルメという指揮者が創立したオーケストラで、フランスものを中心にたくさんのレコードやCDが発売されていた。この「アンセルメのオーケストラ」の演奏は人気があり、特に録音盤は広く愛聴されていたし、音楽評論家やレコード雑誌でもよく推薦盤として取り上げられていたので、田舎のクラシック少年にとっても「メジャー」な楽団だった。そのロマンドが秋田に来るのだから、個人的な期待が高まるのは当然だった。余談だが、アンセルメは大学で数学を専攻し、一時期大学で教鞭を執っていたことがある「数学者」としての顔も持っている異才である。

スイス・ロマンド管弦楽団の本拠地、ヴィクトリアホール

しかもプログラムが良かった。一般的なイメージだが、外来オーケストラの地方公演といえば、「お国もの」例えばロシアならチャイコフスキー、東欧ならドヴォルザークやスメタナ、ドイツ語圏ならベートーヴェンやシューベルトなどが多かった。そのような中で、この時のロマンドのプログラムには目を奪われた。

前半にマーラーの「交響曲第4番」、そして後半がドビュッシー「海」とラヴェル「ボレロ」という、外来オーケストラの地方公演としては、かなり意欲的かつ魅力的なプログラムだ。しかも「スイス・ロマンドでフランス音楽が聴ける」という夢のようなコンサートだ。もちろん僕もロマンドのフランスもの目当てでチケットを買い求めた。

会場は数年前に秋田市にオープンしたアトリオン音楽ホール。座席数700ほどのホールだが、クラシック音楽専用ホールとして素晴らしい音響を誇り、また県内の音楽ホールではじめてパイプオルガンが設置されたホールだった。パイプオルガン設置に関しては東北では2番目、宮城の中新田バッハホールに次ぐ早さだと地元の新聞で読んだ記憶がある。

秋田・アトリオン音楽ホール

そのような中規模の会場で、魅力的なプログラムの海外オーケストラならばチケットの売れ行きは好調だったに違いない。とはいえ、マーラーやドビュッシー、ラヴェルなどの大規模なオーケストラ作品を演奏するにはホールのサイズが小さいような気もしたが、逆にオーケストラのサウンドを浴びるという目的であればこんな贅沢な環境はないし、何より僕にとってはオーケストラや指揮者を間近で見られることが何よりも嬉しいことだ。

買い求めたチケットは最前列、大体指揮者の動きが見られる場所が僕の「指定席」なので申し分ない位置だった。以前岩城宏之先生の本で「指揮者の動きや、ソリスト,コンサートマスターの動きを見ることができる位置がベスト」みたいなことが書かれていたので,その教えを守り、この時は最前列から少し「下手(しもて)」側、コンサートマスターの座る位置よりもう少し左側の座席だった。もう1,2席右側が良かったのだが、売れ行き好調であったのであれば仕方がない。

開演のベルが鳴りオーケストラが入場してきた。このホールは舞台と客席の距離も近いので奏者もかなり近くにくる。僕の座席のすぐ前に座ったヴァイオリン奏者は若い男性で、眼鏡をかけ、いかにも音楽家といった風体の優男だった。入場し着席する時にその人と目があったので、軽く挨拶をしてしまった。

そのヴァイオリン奏者は、風邪を引いてしまったのか演奏中に何度も咳き込んでいて、その度に目が合った。困った顔をするわけにもいかず平静を装ったが、内心「外国人に風邪をうつされたらどうしよう…」などと変な心配をしながら鑑賞した。それに気を取られるでもなく、最後の曲まで存分にヨーロッパのオーケストラのサウンドを楽しんだ。

指揮者はアルミン・ジョルダンという人物で、アンセルメ亡き後低迷していたオーケストラの中興の祖という謳い文句だったが、正直良いのか悪いのか普通なのかは田舎の青臭いクラシック少年にはよくわからなかった。けれども、やはりお家芸のフランスものは素晴らしい出来で、ドビュッシー「海」やラヴェル「ボレロ」は自家薬籠中の物として、余裕さえ差感じる演奏だった。あまりにも軽々と演奏されたので、これらの曲はあまり日本では演奏されない(アマオケでは特に)けど、やったらそんなに難しくないのでは?と思った。しかしそれは大きな誤りで、のちにこれらの作品を指揮した僕は、その「目利き」の悪さに愕然とした。それはつい最近のことである。ちなみに指揮者のジョルダンの息子も指揮者である。現在世界的に活躍している人気指揮者フィリップ・ジョルダンがその人だ。

アルミン・ジョルダン
息子のフィリップ・ジョルダン

このコンサートの前半に取り上げられたのが、マーラーの交響曲第4番。大編成,長大、壮麗なマーラーの作品のなかでは編成も演奏時間も程よく小さい。誰が呼んだか「大いなる喜びの讃歌」というサブタイトルが付いていた時代もあった。全編にわたり幸福感に溢れたチャーミングで優しい作品である。これも後年知ったのだが、マーラーの交響曲が秋田ではじめて演奏されたのはこの時だったそうだ。それから時代は過ぎて、秋田県内のオーケストラでは交響曲第1番「巨人」や交響曲第5番が演奏される時代になっているのは喜ばしい。とはいえこの第4番をはじめとした声楽付きの交響曲はまだ演奏されていない。先陣を争うわけではないが、いずれ僕の指揮で取り上げていきたいと思っている。

交響曲第4番作曲の頃に撮影されたマーラー夫妻

後半のフランス音楽に比べて、スイス・ロマンドのマーラーにも、交響曲第4番にもさほど強い興味を惹かれていなかったのだが、実演に接してみるとすっかりその演奏に魅了されてしまった。

この作品を実演に触れるまで全く知らなかったわけではない。実家のある街のレコード店で廉価版のCDが売られていて、その中にこの作品もあった。「大いなる喜びの讃歌」という副題に惹かれて購入した。演奏は今年の大学入試共通テストの国語の問題に登場したゲオルク・ショルティ指揮のディスク。演奏はオランダのコンセルトヘボウ管弦楽団だった。どうでも良い話だが「コンセルトヘボウ」とはオランダ語で「コンサートホール」という意味で、アムステルダムにある素晴らしい音響のホールだ。

そのCDで曲は知っていたが、落ち着きがなく飽き性の僕は、大体1楽章だけ聴いて飽きてしまったので、全曲をつぶさに研究もしなかったが、鈴から始まる音楽の「ツカミ」の良さに魅了され,また元気溌剌な曲想が気に入りヘビロテしていたので、別に嫌いな曲ではなかった。しかしこの時は初めて2楽章以降も真面目に聴いたわけだが、2楽章の各楽器の音色,3楽章の清純な弦楽器の調べ、そして「天上の調べ」ともいわれるソプラノ独唱が美しい最終楽章と、一気に引き込まれた。中規模ホールの最前列でマーラーを聴いたら、うるさすぎやしないだろうか…そのような心配は杞憂だった。しっかりホールのサイズに合わせた音量バランスで聴かせられることができたのは、指揮者の能力とオーケストラの機能がなせる技だったのだろう。30年の時を経てもなお、その時の響きや光景を鮮明に思い出すことができる。東京に出てきてからもたくさんの演奏会に足を運んだが、それを加えてもこの秋田での体験は忘れ得ぬ体験となり自分の音楽人生において多大な影響を及ぼしている。これから演奏会に足を運ぶ若い人(年齢のみならず、気持ちの若い人も含めて!)も、色々な演奏会に足を運んでもらいたい。きっとその中に、あなたの人生の分岐点になるような指揮者やオーケストラ、また作曲家や作品との出会いが待っているはずだ。

1990年当時大ヒットしたドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌で、「オフコース」のメンバーとしても知られる小田和正の作詞作曲、そして小田の歌による大ヒット作「ラブストーリーは突然に」よろしく、その「ストーリー」はきっとあなたの前に突然訪れるに違いない。

その時が訪れるまで、「あの日、あの時、あの場所」で僕たち音楽家、そして作品たちはあなたを待ち続けていることを、心の底より声を大にして伝えたい。

あの日のヴァイオリン奏者の男性は、今もオーケストラで演奏しているだろうか?もし再会することができたら1991年、秋田でのことを語り合いたい。

(文・岡田友弘)

🎵演奏会情報🎵

653回定期演奏会

〈サントリーホール・シリーズ〉
〈トリフォニーホール・シリーズ〉

1月19日(金)19:00 サントリーホール大ホール
1月20日(土)14:00 すみだトリフォニーホール 大ホール

生と死― 心の深淵に響く音(こえ)美しき武満&マーラーの世界

プログラム

武満徹:系図 ―若い人たちのための音楽詩―

マーラー:交響曲第4番 ト長調

出演者

指揮:佐渡 裕(音楽監督)
朗読:白鳥 玉季
アコーディオン:御喜 美江
ソプラノ:石橋 栄実

チケット購入、詳細は新日本フィルホームページをご覧ください

執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


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