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スゴいよ!ナオズミさん!

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は今年が生誕90年、没後20年のメモリアルイヤーの「音楽家」であり、新日本フィル創立にも多大な貢献をした山本直純さんのお話です。それにちなんで、ミューザ川崎で開催されたサマーミューザ(サマーミューザのウェブサイトに当公演のプログラムが掲載されております)、すみだトリフォニーホールで開催される、下野竜也プレゼンツ!音楽の魅力発見プロジェクト 第9回 讃・山本直純没後20年「オーケストラがやっと来た」の二つの山本直純特集を新日本フィルの演奏でフィーチャー。派手なタキシードに黒縁メガネの「陽気なおじさん」のイメージが強い「ナオズミ先生」は本当はスゴイ人なんです!著者の思い出と、岩城宏之先生の著作からのエピソードを中心にしてナオズミ先生の「凄さ」に迫ります!

あれは小学5年の一学期末だったと思う。僕はそれまで特に「音楽」で高い評価を受けるような子供ではなかった。ピアノ教室には「女の子しかいない」と今となっては信じられない理由で足が遠のき、4年生の春から半ば強制的に入部させられたオーケストラ部は音楽よりも友達と話している方が断然楽しかった。とはいえ自宅にはピアノやエレクトーンなどの楽器がたくさんあり、ひとり遊びが好きな僕は色々な曲をそれで弾いていた。しかしそれを学校の友だちに披露するような男子ではなく、それを知っている人はいなかった。能ある鷹は爪を隠す…いや、能は平凡だったが爪は隠していた。

幼稚園からの同級生のM君は僕とは違い、教室の足踏みオルガンで休み時間ともなると、その見事な腕前を披露していた。彼の周りでは女子が群がりキャーキャー言っている。正直僕はそれを羨望の眼差しで見ていた。子供ゆえその羨望の気持ちは「苦々しさ」を伴った。

そのような能力を示していた彼は、学芸会ともなると「指揮者」に指名され、華やかな舞台に立っていた。一方僕はというと、ある時期まではそのような場では笛や鍵盤ハーモニカ、合唱隊のひとり、つまり「その他大勢」…特段音楽に愛もなかったので別にそこに劣等感を感じることはなかった。ただ、指揮をしている姿を見て「カッコいいな…」と密かに思っていた。

話を小5の夏に戻す。学期末の音楽のテストは、一人づつ音楽の授業で習った曲を「独唱」するというもの。数曲のなかから一曲を選び歌う。僕もある曲を選択して「独唱」した。

人前で歌うなど恥ずかしい気持ちしかなかったが、テストでは不思議と声も出て、気持ちよく歌えた。好きな曲だったというのもあるだろう。

先生の弾くピアノの譜面台には楽譜のほかに採点表が置かれていた。見る気などなかったが、そこにはほぼ満点に近い点数が書かれていた。他の生徒に比べてもダントツで高得点、ぶっちぎりの「一位」の成績だった。聴いていた同級生たちも、僕の歌に驚愕していた。「アイツこんなに音楽凄いんだ」とこれを境に僕の見方が変わったのを覚えている。その点において、その曲と作曲者は「ボクの人生に影響を与えた人物」なのだ。

この「シュビズビズババ…」という不思議な歌詞が印象的な、僕の運命分岐点ソングは「だれも知らない」という曲。この曲を初めて習う時に先生が「この曲を作った人は、指揮者でもあり、いろんなテレビ番組に出てるスゴい人」だと教えてくれた。

この「だれも知らない」の作曲をした人物こそ、今回取り上げる山本直純だ。ナオズミさんの曲のおかげで僕は音楽に目覚め、どんどん音楽にハマっていった。どんな貴族のような人なんだろう?と思っていたのだが、山本直純の話を親にしたところ、ある日テレビのコマーシャルを見ながら「この人が山本直純」と教えられた。

そのCMは毎日夕方に放送されていたもので、メロディーは一緒だが毎曜日で歌詞が違っていた。「火の用心」と「一日一善」を啓発するもので、そのなかで火消しの纏を派手に振り回している髭面で黒縁メガネが特徴的なオジサンが。自分の想像とのあまりのギャップに驚きはあったが、「だれも知らない」の山本直純の名前と顔が一致した瞬間だった。この頃の僕にとって「指揮者」といえばカラヤンでもバーンスタインでも小澤征爾でもなく「山本直純」ただ一人だった。

時は過ぎ、次に僕の中にナオズミ先生が現れたのは中学校1年生のこと。母が買ってきた「森のうた」という本。著者は岩城宏之先生で、岩城先生とナオズミ先生の藝大時代の面白おかしく、また切ない青春ストーリーで僕はナオズミ先生に再会した。まさかこの2人が同級生で親友であったとは!僕は何度もこの本を繰り返し読んだ。

左・山本直純著「紅いタキシード」、左・岩城宏之著「森のうた」(岡田友弘蔵書より)

この中に出てくるナオズミ先生は一言で言って「破天荒で豪快」な人物。父は指揮者山本直忠、母もピアニストという音楽一家で、幼少から作曲をしたり、山田一雄など著名な音楽人の薫陶を受けたりと岩城先生としたら羨望の的だっただろう。すでに劇音楽や映画音楽などを作曲し収入も得ていた。しかしそれだけでは「並の秀才」だ。数々のエピソードに溢れている。

父、山本直忠

まず、合格間違いなしと思われていた藝大受験に失敗し1年浪人する。不合格の要因とされているのが「音痴」だったという説。絶対音感もあり、能力は申し分ないナオズミ先生は歌うのが下手だったらしい。「歌えバンバン」など作曲しているのに、バンバン歌えなかったのか。とはいえこの失敗により、奥様と出会い、岩城先生と出会ったのだからこれもまた「運命のイタズラ」か。

岩城先生と初めて会ったときのナオズミ先生の自己紹介がまたナオズミ先生らしい。

「直純の直は不正直の直、直純の純は不純の純です」

何という天邪鬼…しかしそれがまたナオズミ先生らしい。岩城先生とナオズミ先生はそれぞれが打楽器科、作曲科であったが指揮の情熱捨てがたく、当時指揮科の教授として赴任した渡邊暁雄先生に副科で指揮を習うべく「試験」を受ける。

その試験とは暁雄先生がデタラメにピアノの鍵盤を叩き、その音の下から何番目の音は?とか、上から何番目の音の何度上の音は?を答えさせる高度な「聴音」の試験。きっと弾いている暁雄先生だってわからないであろう難解な問題を、歌声は「イー!」だの「ヒー」だの変な発音ではあったが、その解答は全て正解。出題者の暁雄先生も驚きながら「すごいね」と舌を巻いたそうだ。

ちなみにその時に試験を受けたのはほかに、岩城先生と大町陽一郎先生。2人とも不正解だったようだが、岩城先生は「違うね」と言われただけ。それに対して大町先生に暁雄先生は「キミは良い目をしているね」と言ったと、岩城先生は著書で寂しげに綴っていた。そんな岩城先生に僕はずっと共感のようなものを抱き続けている。

無事に暁雄先生のクラスに入り指揮を学ぶが、遠足と称して箱根で豪遊したり、暁雄先生のお宅に泊まりに行ったりとヤンチャな行いは数知れず。そんな中で優しい暁雄先生に「ちゃんとスコアを勉強しないで指揮台に上がることは許されない!」と一喝されたり、岩城先生とナオズミ先生の間でブラームスの交響曲のある部分の振り方を巡って大げんかしたりとエピソードに事欠かない。N響や来日した海外オケのコンサートに「モグリ」、つまり裏口などからタダで入り演奏会を鑑賞したり、時に合唱団になりすまして侵入したりと今では考えられない所業の数々。良い時代だったなと思わないでもない。

左・渡邊暁雄、右2人が山本直純と岩城宏之

「フリヨク」(指揮がしたくてたまらない欲、2人は当時そのように命名していた)に溢れる2人は副科の学生であったので大学のオーケストラを振らせてはもらえず、自前でオーケストラを編成すべくメンバーを募る。その誘い文句は「もりそばをタダで食わせる」というものだったが、数十人前のそばの勘定を払えるお金を2人は持っていなかった。そばを出前してもらい、そば屋がお代を…という段になりそば屋から逃げ回り代金を踏み倒す。今なら警察沙汰(当時だって警察沙汰かもしれない)になるような破天荒なエピソードもあるが、一説では暁雄先生が肩代わりしてくれたのではないかという説を岩城先生は著書の中で語っている。

そのようにして集めたオケで演奏したのが、本のタイトルにもなっているショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」。その公演が成功するところで岩城先生の著書は幕を閉じる。最後の最後まで面白いエピソードがあるのだが、是非それは「森のうた」を読んで自分の目で確かめていただきたい。

「森の歌」を演奏した、旧奏楽堂

その後も「男はつらいよ」「武田信玄」など、映画やドラマの音楽や、クレイジーキャッツやドリフの歌、童謡や愛唱歌、CMソングの数々。そして、さだまさしの伝説の名作「親父の一番長い日」の作曲をさださんに命じ、名アレンジをした人として僕の前に現れて、またその才能に驚嘆のため息をつかされた。いつでもナオズミ先生は「スゴい人」だった。

時が過ぎ、またナオズミ先生が現れた。高校の音楽の授業で観たドラマのなかである。

そのドラマは「ボクの音楽武者修行」。小澤征爾先生の同名の著書のドラマ版で、劇中には小澤先生も登場する。小澤征爾役は現在ではギタリストとして名高い野村義男、小澤先生、ナオズミ先生の師である斎藤秀雄先生を山本學、小澤先生の父親を小林桂樹が演ずるという重厚な布陣。そのドラマでナオズミ先生を演じていたのは山口良一さんだった。

小澤征爾

ナオズミ先生は小澤先生が斎藤秀雄先生に入門した際に最初に教えを受けた人物であることはよく知られている。当時は自由学園で斎藤秀雄指揮教室が開講されており、ナオズミ先生は高弟の1人だった。岩城宏之先生も若杉弘先生も教室で学んでいたが、ナオズミ先生は「師範代」のような別格の弟子だったのである。

自由学園、明日館(著者撮影)

派手なタキシードで、派手に指揮をし,時にはコミカルな動きで楽しませてくれるナオズミ先生の指揮だが、オーケストラ奏者やボクのような棒振りから見ると,その印象は全く違う。簡単に言ってしまえば「指揮がチョー上手い」のだ。

もちろん振り方のみならず、楽譜の分析・解釈の能力も優れ、暗譜能力もずば抜けていたそうだ。知人の奏者に聞いた話だが、あるアマチュアオーケストラの指揮台に立ったナオズミ先生、まさかの「曲違い」で前日リハはグダグダ…当日に不安を残して当日のリハ…まるで別人のように曲を掌握し暗譜でガンガン指示を出したという。当然演奏会は大成功、「プロの本気」を見たと語ってくれた。

また、小澤先生の証言によると指揮のレッスンを受けていたナオズミ先生、暗譜で指揮をしていたのでその楽譜を斎藤秀雄先生が見ながら稽古をつけていたときのこと。レッスン終わりに斎藤秀生がナオズミ先生の楽譜を返す際に一言。

「この楽譜の分析、僕もすごく勉強になった。ありがとう。」

と言ったそうだ。「鬼のトーサイ(斎藤秀雄先生のこと)」にそのようなことを言わせたというエピソードひとつ見てもナオズミ先生の凄さがお分かりいただけるだろう。

斎藤秀雄

「大きいことはいいことだ」で有名なチョコレートのCMで気球に乗って指揮をするナオズミ先生の映像を見たことのある人も多いだろう。数千人の人を実際に指揮をして収録したそうだが、ピッタリと揃った合唱だ。ナオズミ先生の指揮法がホンモノであるという逸話のひとつである。実際に指揮法的に見てみると、一見適当に見えるが実は指揮法として卓越した技法を使っている。

ナオズミ先生には幻の「指揮法ビデオ」がある。最近まで国立国会図書館に所蔵があったのだが、現在は検索でヒットしない。

そのビデオを大学時代、学生指揮者となった僕に3つ上の学年の先輩が貸してくれた。すでに指揮法も習っていたし、特に得るものはないかな…と思い視聴した。普段軽妙なナオズミ先生が真剣に本気でレッスンしている。その解説は明快で、見本を示すその指揮法は素晴らしいものだった。前述のエピソードに違わない指揮法の規範であった。

レッスン内にはナオズミ先生の2人の息子さんが生徒として登場する。長男の純ノ介さん(作曲家)、次男の祐ノ介さん(チェリスト、指揮者)だ。ナオズミ先生は2人に厳しくレッスンするのだが、特に長男の純ノ介さんには厳しく指導する姿が今でも印象に残っている。

先日、インターネットの古本屋サイトでその指揮法ビデオを発見した。国会図書館にもないビデオテープだ、迷わず購入した。まだ視聴していないのだが、四半世紀の時を経て再び観られる喜びはひとしおだ。

指揮者として、音楽番組の司会として、またタレントとしても類稀な存在であったナオズミ先生。ボストンポップスオーケストラを指揮したはじめての日本人、N響ほか日本のオーケストラの指揮台に立ち、何より新日本フィル設立の指揮者団の一員だ。「オーケストラがやって来た」という長寿番組の企画、構成、司会、作曲、編曲、そして指揮者もこなすマルチな才能。数々のCMやテレビに登場して音楽の裾野を広げたクラシック音楽の伝道師。「一万人の第九」などクラシック音楽界のお祭り男。そして冒頭の1音で何の曲かわかるという点でジョン・ウィリアムズの「ジョーズ」と並び称される「男はつらいよ」などの映画、ドラマの音楽の作曲家として、ナオズミ先生はこれからも「スゴい人」として語り継がれるだろう。もちろん僕にとっては岩城宏之と山本直純は「永遠のスター」であり、「だれも知らない」で音楽への道に背中を押してくれたナオズミ先生に心から「ありがとう」と伝えたい。

きっと岩城宏之先生はじめ、多くの音楽仲間と指揮したり、作曲したりしながら飲んで騒いでいるのだろうな…。そのようなことを生誕90年、没後20年である今年、そんな妄想に耽る。

(文・岡田友弘)

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執筆者プロフィール


岡田友弘(おかだ・ともひろ)

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努める。

岡田友弘・公式ホームページ
Twitter=@okajan2018new
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