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心が疲れている時程気づけることがあると思う〜生きる術を学ぶ"時"は流れている



人目を避けて
息をひそめ
隠れるように
自分を抑え小さく表現してしまう。

自分を守る為に生きる世界を狭めてしまう方が生きづらいんじゃないかな・・と考えるけれど

その時間が

その環境が

その人に必要な時もある。


だから、焦らせないこと
→周りができるの配慮のひとつかもしれない。(でも、言葉にできない叫びを発していることもあるから無関心ではいられない・・)


いつの頃からか

天真爛漫なあの子は
自分を押し込めてしまうようになった。

あえて “笑い” を演じて
心に蓋をしてしまう。

だけど、それもその人自身の嘘偽りのない心の一コマであることに変わりはない。

あの子だけではない
この子にも 
その子にも
そんな儚げな心の不安定さを感じてしまう。


悲しみや淋しさ
悩み苦悩
消化できないことが積み重なり

何かの拍子で自信を無くしてしまう時があったりする。

いろんな感情に出逢いながら
人は自分自身を守る術を身に付ける。


持ち合わせる心のひとつ部分なのかもしれない。


時には、攻撃的な言動に移す人もいる。その瞬間の “自分を守っているつもり” が

逆に本来持つ優しい己を自分で傷つけていることになって、

又ひとつ自分自身が自分の苦しみを増やしてしまう。

生きる術を学ぶ “時” は流れている。


でも、そんな自分でいることに

“落ち着かなさ” を感じて、

それが

“自分に自信を無くす” 方向へ向かっているのなら

それは 苦しいね。


自身の心の居場所が崩れないように
自身の存在意味を見失うことのないように

何処かで 
何かに気づくこと・・・

多分、困難な時ほど 
サインは送られているのかもしれない。


心を清まして
ぐちゃぐちゃになっている自分の心の感情を整理することを

少しだけ頑張ってみてもいいかも。

ほんの些細な現象に気がつくこと

感じる “心のすき間” を空けることで
何かが 少し変わるかもしれない。

一人で迷い倦ねている今だからこそ

きっと送られているサインはある。


見えなくても
聞こえなくても

見ようとすれば視えることも
耳を塞いでも聴こえてくるものも

周りの些細な事象の中に潜んでいるものなのかもしれない。


見守ってくれている存在に気づけるといいね。


人は心の安定安心を求めているもの


時間は流れている。

今現在は過去の時となる。


手足を自由に伸ばして、ちょっとだけ心を開放できるのなら、身も心も〜軽く楽になるのかもしれない。



諦めないで。






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