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「自己愛を持つと、わがままで自分勝手な人間になるのでは?」と思ってしまうあなたへ

こんにちは。いろさいです。

自分の人生を生きるためには、自己愛は超大事です。

以前の私は、自己愛を持つというのはどこか「わがままで、自分勝手な人間になってしまうのではないか」というようなイメージを持っていました。「控えめで謙虚で居なさいよ」、というメッセージが日本には色濃く根付いていますし、そういった教育を受けてきました。また、大人であればあるほどそれを求められ、女性ならなおさら、それを無意識に強要されるような風潮も残っているかと思います。

なので自分を変える!と思った時、自己愛は大事だと思いながらどこか「自己愛を本当に持っていいのだろうか?自己愛を持って、自分がわがままで自分勝手な人間にならないだろうか?もしそのような人間になってしまったら取り返しがつかないのではないか?」といった疑問や不安がつきまとっていました。

そんな疑惑と困惑の中、「今の自分のままでは嫌だ!絶対変わるぞ」という決意の元、自己愛を取り戻していく中で、自己愛を持つということを体感していきます。そして「自己愛を持つことはわがままや自分勝手ではない」、また、「どうしてそのように思ってしまったのか」というのが理解できるようになったのです。

まず、自己愛を持つというのは「自分をあるがままで認められるようになる」ことを指します。そこには、自分の「こうあるべき」、といった縛りやジャッジがありません。自分に対してそうできるということは、他人に対してもそのように対応できるということです。つまりは他人もあるがままの姿を認めることができるようになる、ということなのです。そして、「自分は世界一素晴らしい人間だ」、「あの人も世界一素晴らしい人間だ」という世界が共存できるようになるのです。なぜなら各々に自分軸の世界があり、各々の世界の中では「自分は世界一素晴らしい人間だ」ということが成り立つからです。世界はその人の分だけあるということ知っておいて下さい。

たまに、自分の自慢をこれ見よがしにアピールしている人を見ますが、これは自己愛を持っている人とは言いません。自己愛が欠け、自己肯定感が低いため他者から、その欠けているものを補おうとしているパターンです。この場合、間違っているのは他者に自己愛の補充を求めてしまっている点です。つまりは他人軸の視点です。自己愛は自分で生み出し与えるしか方法はないのです。自己愛を他者からしか補うことができないと考えてしまうのは、「欠け」視点がベースになっているエンタメから強く影響を受けていることを知って下さい。他者からしか受け取れないという視点は、とてもドラマチックでロマンチックです。その代償として、私達は感情のコントロールを他者に受け渡すのです。自分でコントロールできないものが、ドラマチックでロマンチックになるからです。

また、「自己愛を持つのは、わがままな人間ではないか?」と思ってしまったのは、私の自己愛が欠けていたから、「自己愛を持っている風の人」しか想像できなかったということです。ずっと自己否定で生きてきたので自己愛を持つとか、自分を肯定するという生き方や状態がわからなかったんですね。人間は今の自分のレベルでしか物事を見れないことを知っておいて下さい。重い思考や感情を持つ人は、その重い周波数の世界しかアクセスできません。目に入らないのです。私達は固有の周波数を持っていますし出しています。自己愛を持つのは、周波数を軽くすることを意味します。軽くなると見える世界が変わってきます。

自己愛を持つ本当の姿とは、自分と他者を比べないことなのです。自己愛を持っている人は堂々としていますが、他者を見下して堂々としているわけではないのです。自分は素晴らしい、あなたも素晴らしいという視点です。ジャッジしているように見えてしまうのは、あなたが自分と他人をジャッジしているからです。自己愛を持つとジャッジから解放されます。「自分と他人を比べる暇があったら、私を愛してよ」と心の声が訴えていることに、早く気がついてあげてくださいね。




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