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2023年、死と再生

「2023年を漢字一文字で表すと?」と聞かれたら、私の場合は「死」です。

自分の敬愛するアーティストたち、そして身内も含めると、2023年だけで6回もの別れを経験したことになります。
何度も訃報を受け取るうちに、私はだんだん、悲しみよりも「あの人が逝ってなぜ自分は生きているのだろう」という疑問を感じるようになりました。
ちょうど仕事や生き方のことで追い詰められていたこともあり、私の意識は加速度的に死へ向かい始め、最終的にはニュースで訃報を見るたびに「うらやましい」とさえ思うようになっていました。

実は、こういう希死念慮じたいはもう何年も前からあったのですが、それが本格的に形になったという自覚と諦念を感じたのは、この2023年が初めてです。
手持ちのスカートに付いていたサッシュベルトを使って、クローゼットで首を吊るシミュレーションもしました。
眠る前には「このまま目覚めず死にますように」と祈り、朝が来ると恐怖で起き上がれない。処方された安定剤を何度も飲む。そんな毎日がずっと続いていました。

そして2023年末の今、私は生きています。
メンタルは、ポジティブとまではいきませんが中庸です(常に憂鬱で目の前に死がちらついているのが当たり前で、幸せや喜びに居心地の悪ささえ感じる状態が何年も続いていたのに……と思うと、まるで風邪がケロッと治ったかのようで不思議です)。

浮上できた理由は、少しばかりお金が入ったのと(お金の安心感は凄いものです)、新しい仕事の話が来たから。
そして、「一度死んだ」からだと思います。精神の底の底の底まで沈んでいって、ついに底に手を付いたので、浮かび上がって来られたのではないか、ということです。
よく「落ちるところまで落ちたらあとは上がるだけ」なんていう人生訓を聞きますが、その「落ちるところ」というのは、多少の谷間ではありません。生きながら死を味わうほどの暗闇のことだと思います。人間そこまで落ちないと浮かび上がってこられないというのは、なんというか、残酷のひとことですね。

ともかく、そんな死の底をさまよっている最中、私はノートを書きまくって自分を内観していました。涙があふれ出るのが、「本心からの答え」を掘り当てたサインだといいます。
それで夢中で書いている最中、ふと「迷惑かけてもいいよ」という声を感じたのですが、それが私にとっての答えのひとつだったようです。
自分では認められなかったけれど、私はずっとずっと前から、何よりもそう言ってほしかった……部屋の中で、嗚咽が止まらなかった。
この瞬間が、死んだ私の「再生」だったのかもしれません。
「迷惑かけてもいいよ」という、あの優しい声(音声ではなく、脳に言葉としてポンと入ってくる感覚)は、私をとても自由にしてくれました。

そして、今に至ります。
今でも死の誘惑はちらちらと視界をかすめていますが、2024年はもう少しだけポジティブに生きていけそうな気がしています。
やっぱり、素敵な大人の条件といったら「健康」「ポジティブ」の2点に尽きますからね(笑)。歳を取るほど、目鼻立ちなんかより健康さとポジティブさのほうが大事になってくるものです。

とにかく、人生は長すぎる。人間五十年で十分だった。
しかし、この長すぎる人生を、どうにかこうにか工夫しながら一日ずつ全うしていく。そして施設には入らずに死ぬ、というのが、私の目下の目標です。


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