「達観」なんてしていない。感じたことを言っているだけ

「達観している」

 そう人からよく言われる。前はZOOMで無名人のインタビューをとき、そして最近ではフォロワーさんに。

 私は思ったこと、感じたことをそのまま言っているだけだ。だが、人が私の言っていることを聞いたり読んだりすると、それらしく聞こえるらしい。


   ※


 自分の言っていることを振り返ってみると、そう感じさせる部分が多いなと感じた。「待ち続ける」だとか、「ゆっくり生きていく」だといった具合に。

 待ち続けるのは単に、チャンスは今ではないなと感じているのが大きい。私を見つける誰かがいないからだ。

「じゃあ、行動しろや」

 そう言う人がいるかもしれない。だが、私にはもう、行動する気力も残っていない。自分だけでやっとだ。それに私は、何をやっても人以下だ。小説も写真も何もかも。だから、褒められた記憶は一つもない。何の能力のない人間が行動したところで、つまはじきにされ、もう二度と立ち上がれないくらいにいじめられて終わりだろう。

 おまけに私は、人と上手くやっていけない性分の人間だ。だから、ハリネズミのように、触れるものはみな傷つけてしまう。

 だから、必要とされるそのときを、ずっと待ち続けているのだ。

 待ち続ける時間は、雨宿りほどの短時間かもしれないし、キリスト再誕や弥勒菩薩降臨ぐらいのかなりの長期間かもしれない。

 それでも私は構わない。いつか自分の積み上げてきたものが認められるのならば。

「ゆっくり生きていく」

 これに関しては、単に生きていくことに疲れたからだ。

 今に至るまで、私はいろいろな人間に罵詈雑言を吐かれながら生きてきた。加えて、頑張れ頑張ればかり言われ続ける。そのくせ結果は何一つ褒められずに。反対に歳を重ねるごとに、できなければいけないこと、やるべきことが増えていくのだから、たまったものではない。

 おかげで私は、壊れてしまった。もう独りで歩けないほどに。

 今では昔のように、とても冷たくて強い、時の風に抗えるほどの元気はない。けれど、マイナスになったものを0、そしてプラスにするには、飛ばなければいけない。だから私は、誰かの力を借りながら、傷だらけになった心を、ゆっくり動かしながら生きていきたい。それだけをただ願っているだけだ。

 私の言っていることをまとめると、こんなところだろうか。

 先ほどのことからもわかるように、短い人生の中で私が感じたことを、そのまま口にしたり文字にしたりしているだけだ。それ以外に深い意味はない。

 だが、私と言葉を交わした人が「達観している」と思うのであれば、そうなのだろう。相手は私と違う心を持った人間なので、見方が違って当然だ。

 だから、私のことを「達観している」と思う人もそうでない人も、そのままでいい。自分の見方を大事にしていこう。

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