菅さんにみるPlanned Happenstance Theory
▲令和おじさん
菅官房長官が、総理大臣になりそうな勢いである。
ホットケーキうほうほ食べてたりしてたのもつかの間。
まさかの急展開である。
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サラリーマンなら誰しもが想像したことあるのでは?
この仕事上司が抜けたらどうなるかな。
この仕事俺(私)が抜けたらどうなるのかな。
でも結果はいつも残酷で心配しなくても
君が抜けても、上司が抜けても、誰が抜けたって必ず仕事はまわる。
君をずっと見ていた人、上司をずっと見ていた人がそこに座るだけ。
急遽自分にお鉢がまわってくることも人生生きていたら往々にしてある。
サラリーマンだけでなく。
フリーランスだって穴をあけないために仕事は死守するけど
急遽「声がかかること」だってある。
現にその場に居合わせたこともある(というか私が仕切った)
ただ、もしもの時、急展開の時。それをどうとらえるか。
「私がやる」なのか「私はむり」なのか。
「チャンス」なのか「ピンチ」なのか。
「チャンス」として表舞台に立つのなら普段から努力ができている人だろう。
「ピンチ」と感じるのは普段からの努力が足りないと自己理解しているから?それともただの謙遜?
スポーツ選手だって、女優だって、サラリーマンだって、フリーランスだって、なんだって、「普段から努力している人」で「ひのめをみていない」だけの人に急遽声がかかって「ひのめをみる」
チャンスで結果を出せば、「すごいやん」と次必ず声がかかる。
チャンスを失敗すれば、「あかんなぁ」と次は声はかからない。
急展開をポジティブに捉えれるかどうかは
日々研鑽しているか否かだと私は考える。
キャリアコンサルタントの皆さんが大好きな「プランドハップンスタンス」が今まさに政治界で行われている。
日々自己研鑽な根性論とキャリア理論の組み合わせ。
でも仕事ってそんな風に考える。