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取るべき未来は自由なのか平等なのか?それとも?『欲望の民主主義』(丸山俊一)を読む

#2020年の未来予想図

これは第二次世界大戦後のイデオロギーの話ではない。この一冊を読んで、「自由か平等か」という問いは古くも新しいものなのだと感じた。

ハイエクが唱える新自由主義を推し進めた、1980年代のアメリカとイギリス。その両国に象徴される自由の追求は、2020年を迎える前に「分断」という形でしっぺ返しを食らっている。自由を強力に推し進めた結果、富める者と貧しい者の格差は広がり、トランプのように不安を煽るポピュリズム政治家を生んでしまった。

民主主義はツールだ。時代が必要としたために生まれたツールだとしたら、21世紀も半ばに入ろうとする今、民主主義は錆びついてしまったツールなのか?

民主主義の土台にあるのは、自由だ。社会にあるさまざまな問題は、社会を作り上げる民衆によってしか解決されない。そのためには民衆の自由な活動が必要となる。

それを阻害しているものはなにか?民主主義というツールそのものなのか?それとも自由主義の経済構造なのか?

実を言うとこの丸山俊一さんの文体が苦手だ。ときに根拠があいまいなまま議論が進み、ときに煽るような文体に最後まで戸惑いを隠せない一冊だった。

しかしそれは、あとがきを書いている政治学者の吉田徹さんの文章に救われた。残念ながらこの文章こそが、この本の趣旨だったのかもしれない。

語弊を恐れずにいえば、民主主義はフィクションに近い。(中略)しかし、そのような民主主義というフィクションを信じることができなければ、私たちは私たちの運命を、自分たちの手で自分以外の人たちとともに切り開くという希望を手にすることはできなだろう。(中略)自分とは異なる存在を欲望することで、自らの欲望を実現していくこと、それこそが今衰退しているかにみえる民主主義への信頼を取り戻すために必要なことではないだろうか。