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観劇入門2023~関東と関西の小劇場、どっちも~

関西を拠点とする演劇団体から、こんなご相談をいただきました――

今度、初めて東京公演を予定しているのですが、お客様に知っていただこうにも、お客様にどう知っていただいたらいいのかわからなくて、たいへん困っています。

情報を受け取る側の視点で見てみると、活動拠点が異なる団体は、街で名前を目にする機会はほとんどなく、SNS上で公演情報に出会うことも難しく、まして、口コミで聞くなんていうことは滅多にありません。関東圏に住んでいる方の多くは、関西の演劇シーンのことをほとんど知らないのではないでしょうか。

となると、今回ご相談いただいた団体だけでなく、東京で上演を予定している関西圏の劇団はみな、困っているのではないか……ならばまるっと、関西の演劇界のみなさまにも、お役に立てることはないだろうか? そして観客の皆さんも、関西の演劇シーンを知ることで関東での公演にも足を運びたくなる興味が湧くかもしれない。

というわけで今回は、演劇の地域間をつなぐ活動をされているWさんのお力をお借りして、関西の演劇事情に詳しい演劇評論家の九鬼葉子さんと、東京近郊の動向に詳しい演劇ジャーナリストの徳永京子さんの対談の場をセッティング。

2023年版の『観劇手引き』をご用意させていただきました。

運良くこのページにたどり着いたあなた。
この記事では、関西の演劇シーンや、関西と関東の違いについて、それからコロナ以降の演劇界の状況や、今、注目の劇団まで、分かってしまいます。
ぜひ最後までごゆっくり、お楽しみください!!

対談者のご紹介

徳永京子さん

演劇ジャーナリスト。
小劇場、プロデュース公演、ミュージカル、古典、ダンスと幅広く足を運ぶ。朝日新聞首都圏版に劇評執筆。演劇専門誌act guideに『俳優の中』連載中。ローソンチケットウェブメディア『演劇最強論-ing』企画・監修・執筆。東京芸術劇場企画運営委員。せんがわ劇場外部演劇アドバイザー。読売演劇大賞選考委員。かながわ短編演劇アワード審査員。著書に『「演劇の街」をつくった男─本多一夫と下北沢』、『我らに光を─蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦』、『演劇最強論』(藤原ちから氏と共著)。

九鬼葉子さん

大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科教授
演劇評論家
日本経済新聞、テアトロほかに劇評を連載。兵庫県立尼崎青少年創造劇場運営委員会副委員長、関西現代演劇俳優賞選考委員、「コロナからの復興企画~関西演劇を広める、広げる~」企画発案者、「関西えんげき大賞」呼びかけ人代表、「関西えんげきサイト」編集主幹。著書に『関西小劇場30年の熱闘~演劇は何のためにあるのか~』(晩成書房、2016年)、『阪神大震災は演劇を変えるか』(共著、晩成書房、1995年)、『29歳の女たち』(リヨン社、1996年)。2021年、兵庫県功労者表彰(文化功労)受賞。

関西演劇のこれまでの流れ

――本日はお時間いただきありがとうございます。まずはじめに、関西の演劇の流れを、簡単な歴史などもまじえて教えていただけますか?

九鬼:関西の演劇の歴史は、日本の演劇史の流れとだいたい重なると思います。新劇があり、アングラ演劇ができて、特に関西では野外演劇が発展しました。1980年代からはオレンジルームという小劇場を中心に小劇場演劇ブームが起き、扇町ミュージアムスクエア、近鉄劇場・小劇場、近鉄アート館、アイホールと、劇場が次々とできて、関西演劇は活気を呈しました。
ただ、2000年代初頭から劇場閉鎖が相次ぎ、2011年には、大阪市初の公立劇場・精華小劇場もたった7年でなくなった。お寺さんが協力してくださっていたシアトリカル應典院も劇場利用がなくなり、さらに兵庫県伊丹市立のアイホールの閉鎖問題。アイホールは何とか劇場として残っていますが、自主事業予算の激減で、劇団に対する自主企画がなくなってしまいました。

――劇団が活動を続けていくのに、厳しい環境になっていったんですね。

九鬼:しかし、才能あるアーティストはさらにどんどん出てきています。関西の劇団の数は200をゆうに超えて、数えきれません。関西は演劇が大変盛んであると断言していい。逆風のなか、才能が流出せず、関西に劇団がとどまってくれているのはありがたいことで、だからこそ、アーティストをめぐる環境が厳しいことに忸怩たる思いを感じている関係者は多いと思います。

――何か明るいニュースがあれば、教えてください。

 九鬼:2019年に、THEATRE E9 KYOTOができたことは、関西演劇界にとって非常に朗報。関西の若い俳優を毎週のように見られるようになりました。
また今年から来年にかけて、劇場が3つできます。扇町ミュージアムキューブ、聖天通劇場、SkyシアターMBS。これは間違いなく、関西演劇界にとって明るいニュースです。

THEATRE E9 KYOTO

コロナ後に顕著になってきていることは?

――コロナ禍を経て、今の演劇界がどのような状況になっているのか、教えていただけないでしょうか?

徳永:30代の一部と20代の多くは、集団のありかたや創作物をつくることに対する意識が、先行世代とかなり変わってきている印象があります。
昔は、自分の演劇がオンリーワン、ナンバーワン。どれだけオリジナリティがあるか、オリジナリティを守るかが、小劇場で演劇をすることの醍醐味だった。

――それが、変わってきている?

徳永:若い人たちは寄り添って生きることを選んでいます。
例えば、劇団同士で集まって公演を打ってみたり。コレクティブという言い方で互いの劇団の悩みを共有したり、ワークショップ、ディスカッション、稽古をしたり。鳥公園は、アソシエイトアーティストとして、外部から演出家を3人迎えています。劇団と劇団が重なるような集団のありかたがいくつも生まれてきている。

「私の知らない、あなたの声」作:西尾佳織、演出:和田ながら/駿府城公園/2021年
「昼の街を歩く」作:西尾佳織、演出:蜂巣もも/PARA/2022年(撮影:三浦雨林)
「ヨブ呼んでるよ -Hey God, Job's calling you!-」作:西尾佳織、演出:三浦雨林/いちょうホール/2023年(撮影:金子愛帆、提供:八王子市学園都市文化ふれあい財団)

――どうして、そのような流れになったのでしょうか??

徳永:経済状況がよくないのもあるし、コロナで公演を打つのがハイリスクになったことで、リスク分散のためもあると思います。もともと学生劇団の継続がうすれてきたところに、コロナ禍で「教えてもらう」というつながりが消えた。縦のつながりがなくなって、横でつながることが増えてきたのではないかと思います。

――その他、コロナ以降の特徴があったら教えてください。

徳永:20代半ばの女性演劇作家がつくる劇団が増えてきました。フェミニズムの勃興で、これまでこの立場に立ちにくかった人が表現しやすくなったのかなと思っています。皆さんしなやかな感性でもって演劇をつくっているという印象。これらが小劇場に関して感じている主な動きです。

――関西におけるコロナ後の演劇は、どうでしょうか?

九鬼:キーワードは『対話』。コロナ禍で顕在化した分断社会の問題をのりこえて、どうやって関係性を再構築していくかが主題の作品が印象に残っています。特に空の驛舎は、真摯にこのテーマに取り組み、優れた新作を次々に発表しています。ぎこちなくでも一所懸命言葉を伝える登場人物たちがいて、それを一所懸命に聞く人たちがいてという構図です。

空の驛舎第22回公演「かえりみちの木」より 撮影:高橋とんこ

九鬼:もう一つのキーワードは『不条理演劇および異化効果』。ブレヒト上演が相次ぎました。劇団太陽族の新作で、岩崎正裕さんが不条理演劇を書かれたのも印象的でした。劇団太陽族といえば、大阪弁の対話劇で定評がある劇団なんですが、最新作「群羊」では、対話の不成立を描いていました。

劇団太陽族『群羊』(作・演出:岩崎正裕 会場:アイホール 日程:2023年3月17日~19日)
写真:村上信六(三等フランソワーズ)

――『不条理および異化効果』に関しても、コロナが関係していると思われますか?

九鬼:異化効果の演劇は、第二次世界大戦の際、ドイツ国民がヒトラーに同化せずに、早くから客観的に距離を空けて見ていれば、ホロコーストを防げたんじゃないかという観点から生まれました。また、不条理演劇は、第二次世界大戦後の混乱した世界はリアリズム演劇では捉え切れないということで生まれたわけですけれど、今回、コロナにおける国内情勢が似たようなことがあったということかと思います。勿論、ウクライナへのロシア侵攻など、世界情勢の閉塞感も影響しています。異化効果と不条理演劇は、やはり地続きであることを実感しているところです。

あともうひとつはそれらと別の系譜として、この希望を語れない時代に希望を語る。あえて希望を語る。あるいは不屈の精神を描いた作品。歴史を追うような形で、今は亡き死者たちの不屈の精神を描いたような芝居もよく見たかなぁっていうところです。

関東と関西で大きく違うこと

――九鬼さんから関西演劇の流れを聞いていた際に、劇場の存在は、劇団のみなさまに大きく影響を与えているなあと感じていました。関西では、「劇場ではないところ」での上演に関して、どのような状況なのでしょうか?

九鬼:野外演劇とか、 神社で上演する企画とか。烏丸ストロークロックさんがやられるようなものはありますけれども 、劇場以外でやろうという顕著な動きはないですね。劇場の利用費が高くなったところもありますが、今はむしろ劇場です。

――カフェでの公演のようなものはあまり上演されていない??

九鬼:関西も一時、みんなカフェばっかりでやるよねと言われていた時期はありました。劇場を使ったことのない演劇人が増え、劇場を使いこなせなくなってしまうのは、いかがなものかと不安視されていたことはありましたが、今はそうでもないと思います。
(対談を聞いていたWさんに向けて)どうですか? もちろん若手の本当にデビューしたての劇団はそういう場所での公演もされてますけど、ある程度キャリアのある劇団はどちらかというと劇場でやってることが主流じゃないですかね?

W:たしかに、一時、劇場の人たちが劇場を使ってもらえないって言ってた時期に比べたらずいぶん変わりましたね。

――なにかあったんですか?

W:危機感を持った劇場が、何とか呼び戻そうとする動きがあったんです。ウイングフィールドはキャパ数の割に値段が高かったのを、若手ならこの金額、旅公演ならこの金額、というようにいろんな割引のプランとかを作ったり。インディペンデントシアターが30分の作品を2団体ブッキングするとか。劇場が、劇場をどうやって使ってもらうかという企画を立てているっていうのがすごい。

――若手の方でも劇場を使ってもらえるようにという動き。

W:そうですね……。ただ、京都では劇場が少なくて1年間で劇場を使える週末って50週ぐらいしかないので、劇場を押さえられないこともありますよね。だから、京都の劇団が大阪でやることが増えているという流れもあるかと思います。

――(徳永さんへ)劇場へのこだわりに関しては、きっと、関東と関西の大きな違いですよね?

徳永: はい。私が意識するようになったのは十数年前になりますが、渋谷のギャラリーLE DECO(ルデコ)や、新宿眼科画廊で公演をする人たちが短期間に増えていきました。最初の動機は、劇場の使用料が自分たちにとって高いという理由だったと思いますが、近年は、経済的な理由は依然としてありつつ、もう少し積極的な意識で劇場ではない場所を選んでいる人が増えていると感じます。それはもしかしたら、例えば10年前に新宿眼科画廊でロロを観て豊かな観劇体験をした人が自分で演劇を始める時代になったからかもしれません。とにかくこの5~6年、演劇を上演する場所=劇場という固定観念を持っているつくり手が減り、旗揚げ以来一度も劇場でやったことがない団体は、メンバーが30代でも珍しくない状況です。

新宿眼科画廊
新宿眼科画廊 地下

演劇公演を意識したフリースペースが続けて誕生した流れもありますね。北千住のBUoYは、元々は公衆浴場で、その痕跡がかなり残っていて、劇場としてはかなり使いづらいように思うんですが、いまや“BUoY大喜利”みたいに「この空間をどう使うか」を楽しんで、美術や照明や音響を仕込んでいる団体が多いです。三鷹のSCOOLも、元学習塾のホワイトキューブですが、演劇公演は多いです。祖師ヶ谷大蔵のカフェムリウイは、その2ヵ所とは成り立ちが違いますが、最近は演劇の上演が増えています。ビルの屋上にある小さなお店ですが、壁に窓があるという劇場ではあまり考えられない条件を逆手に取った演出が多い。最初は地の利が悪い、使いづらいと思われたスペースが、知恵と意欲のある演劇団体に使われ、借りる団体、観に行く人が続いて、劇場の顔を持っていくというか。

よく言われますが、かつて東京の小劇場には“劇場すごろく”と呼ばれるものがありました。下北沢のOFF・OFFシアターから駅前劇場、次がザ・スズナリ、そして本多劇場、紀伊國屋ホールといった、集客増大を目指すルートですね。でもそれは、90年代後半まで続いた第三次小劇場ブームの収束、俳優が声を張らないポストドラマの台頭、劇場法成立による公共ホールと若いつくり手の接近、そして経済の停滞などで実態がなくなっていきました。そうした中で、公共ホールとも民間の劇場とも接点を持つに至らなかった団体、あるいは演劇を始めた時から劇場すごろくを知らない世代が台頭してきて、ムリウイやSCOOL、BUoYで研鑽を積む流れが出てきたと思います。

そうした人たちが、腕試しであったり、批評を求めてだったりの目的でコンクールに出場し、そこで初めて劇場と出合う人たちが増えています。私が知っているせんがわ劇場演劇コンクール、かながわ短編演劇アワードはまさにそうで、どちらも若手が対象ということもあり、せんがわで言えば3年前からですかね、ファイナリストに選ばれた団体のすべて、あるいはほとんどが劇場未経験という状況です。

――先日、コンクール事業の方をお招きした座談会で、そのことが話題にあがりました!

徳永:コンクールではありませんが、2017年から19年の3年間、本多劇場が主催した下北ウェーブという企画があったんですね。その発案者の方は現在、かながわ短編演劇アワードに関わっていらっしゃいますが、企画の理由が、劇場を使ったことのない若手団体があまりに多く、そのままでは劇場も困るし、カンパニー自身の成長にも劇場を知っておくことが必要ではと、グループ劇場のひとつである楽園を、照明、音響のスタッフも提供して、とにかく1回劇場を使ってもらおうというものでした。

せんがわ劇場演劇コンクール 缶々の階「だから君はここにいるのか【舞台編】」撮影:青二才晃

――そういった企画を劇場の方が立てるくらい、危機感を持っていた。

徳永:本多劇場グループは民間ですが、公共劇場にも危機感はあります。東京芸術劇場の若手企画である芸劇eyesシリーズはスタートから14年経ち、10年前と同じ条件で進めるのは難しくなっています。小さな場所で公演を続けていると、団体のファンの数がなかなか増えていかない。観客サイドも変化していて、コロナによる外出控え、推し文化の蔓延で、知らない団体に好奇心が向きにくくなっているので、最初の頃のようにシアターイーストで1週間や10日間お願いするという枠組みから再考しています。

ただ、“劇場を使ったことがない若手”の中身が、短期間で大きく変化していると感じます。あくまでも私がせんがわ劇場演劇コンクールを通して感じていることですが、3、4年前は、コンクールについてくださるスタッフが、劇場経験の無さが安全性に対する認識の低さにつながっていると心配するケースが複数あったのですが、最近はあまり聞きません。逆に「こういう演出がしたいが、何をどうすれば実現可能か」という具体的な相談が増えていますし、昨年度のファイナリストの作品には、劇場にゼロから出会っていくような、純粋な好奇心で、劇場で何ができるか、劇場と何ができるかをもとにした演出やストーリーが複数あって、頼もしく感じました。
なので、関西とはかなり状況が違うと知って、今、びっくりしています。

大阪の演劇、京都の演劇

――関西の劇団の特徴って、あるんでしょうか?

九鬼:関西の特徴というよりも、大阪の劇団の特徴と、京都の劇団の特徴とで、それぞれ異なりますね。舞台写真を見るだけでも、大阪の劇団か京都の劇団か言い当てられるぐらい違います。

――ではぜひ、大阪の劇団の特徴から。

九鬼:大阪の劇団の場合は、大阪弁を使う劇団が多いです。

――素朴な疑問なんですが、大阪弁と関西弁って違うのでしょうか?

九鬼:関西弁という言葉を使うと、方言の専門家におそらく叱られます。関西弁という方言は存在しませんからね。関西にもいろんな方言があります。ですが、関西の方々は生活圏が同じですのでね、いつも大阪の人と神戸の人が一緒になって喋ってるわけですから、入り混じって当然で。日常会話はやっぱり関西弁と言っちゃってもいいのではないかと思います。広い意味でね。

――ありがとうございます。関東圏と使っている言語が違うということは、根本的な違いになりますね。

九鬼:大阪弁、関西弁は面白い。何が面白いかと問われると、とにかく芝居がテンポよく進む。自然なはなし言葉のリズムで、そのまま庶民の活力が出てきます。もちろん、関西弁すべてが庶民の言葉ではなく、生活圏の違いも出せます。大阪の豊かな商家のお嬢さんの使う大阪弁は、庶民の使う大阪弁と違いますので、大阪弁を違えることで生活圏の違いも出せるというところで、面白さがあります。

方言の面白いところを言うと、関西弁というのは非常に軽やかに、したたかに社会を皮肉ったり批判できたりする。実は芝居の中で相当なことを言ってる場合があるんですよ。非常にストレートに社会批判してるんですけれど、それができちゃう。標準語でこの意味のことを言ったらちょっとシャレにならないだろう、喧嘩になるだろう、みたいな皮肉も、関西弁でやっちゃうと、しゃーないなぁっていうので、いいのか悪いのかわかんないですが、許せちゃうというのがあって。

例えば清流劇場。古代ギリシア演劇も、あるいはブレヒトも全部大阪弁でやるし、時事ネタもやられるんです。芝居の中で、例えばこの間の国葬のことについても、非常におおらかに大阪弁でもうすごい皮肉言って。標準語で聞くと、もしかしたら冷や汗が出るような皮肉であっても、大阪弁で聞くと、シンプルに笑えてしまう。例えば日常でも、標準語であなたはバカですって言ったらシャレにならんけど、大阪だったらあほやなぁって言う。むしろあほやなぁは、使い方によっては褒め言葉なんですよね。個性的とか、奔放といったニュアンスが入って。だから大阪は現代社会の批判も、とてもストレートに表現した芝居が多いんですけど、大阪弁だからできちゃうっていうところがあります。

清流劇場 写真(撮影):古都栄二

大阪弁には、人を見下げるっていう感覚が薄いんですよね。 例えば大阪の笑いの伝統で松竹新喜劇の藤山寛美さんがあほな丁稚の役を演じましたけれども、お客さんがその丁稚を笑うときに、見下げてるんじゃないんですよ、あの笑いはね。藤山寛美さんがあほなことをやった時、あほやなーって笑うんだけど、見下げてないんですよね。自分と同じようなヘマ、あほが同化して、実は喜劇だけれど距離をとって笑ってるんじゃなくて、ほんわかと同化して笑うっていうのが大阪の喜劇の伝統だと思えるんですよね。だからそんなこともあって、見下げるとかそういう感覚なしに、ものすごくストレートに言いたいことが言えちゃいます。

――京都の劇団の特徴を教えてください。

九鬼:京都といえばダムタイプ。京都市立芸大系など、アート系の集団に魅力があって、影響力も強いところがありますね。そのためか空間造形の非常に美しい集団が多いですね。さっき舞台写真を見ただけで、京都か大阪かがわかるって言ったのは、そこです。美術と音と光と身体性で構築していく。山口茜さんなんか特にそうですけどね。山口さんは、芸大系ではありませんが。京都の芝居は、アート系でかっこいい、空間造形が美しいというイメージが非常に強い。

サファリ・P 第8回公演(『透き間』 イスマイル・カダレ『砕かれた四月』より)(京都府立文化芸術会館、2022)撮影:松本成弘
安住の地 Ⓒ山下裕英

一方で、MONOのような、対話劇もあり、多様性がありますね。

MONO『悪いのは私じゃない』舞台写真【撮影:藤本 彦】

注目している演劇団体

――ありがとうございます。ぜひこの流れで、お二人の注目している団体をいくつか教えていただけないでしょうか。

九鬼:注目してる劇団と言われると、30、40集団、ばーと出てきて、ベテランもいれば若手もいて、その中から少しだけここでお名前を出すのは非常に難しいので……例えば、私も選考委員をしている関西えんげき大賞の優秀作品賞10作とか、あと、テアトロで毎月5個ぐらい劇評を書いてるから……公式発言を見てください!!(笑)

第1回関西えんげき大賞(2022年)優秀作品賞10作 (五十音順)

極東退屈道場「クロスロード」
劇団タルオルム「さいはての鳥たち」
劇団未来「パレードを待ちながら」
神戸アートビレッジセンタープロデュース公演 手話裁判劇「テロ」
サファリ・P 「透き間」
空の驛舎「コクゴのジカン」
ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」
BOH to Z Produce 「続・背くらべ ~ 親ガチャ編」
MONO「悪いのは私じゃない」
ルドルフ「ヒロインの仕事」

関西えんげきサイトより引用

――ありがとうございます。徳永さん、いかがでしょうか?

徳永:間違いなくあとから「あそこの名前を言い忘れた!」と後悔するのは確実なんですが、今ここで思い付く、この3、4年ぐらいの間に観た中で、衝撃を受けたというか、特に将来性を感じている人たちをお伝えしますね。

まず、関田育子というカンパニー。今年のかながわ短編演劇アワードで、グランプリとオーディエンス賞をダブル受賞されました。個人の名前ですけど団体です。

関田育子『micro wave』撮影:小島早貴

特徴は、セリフが無感情で、動作が人形のようにギクシャクしていて……というと、初期のチェルフィッチュと思われるかもですが、言葉と動きがバラバラではなく一致しています。ただ、言葉も動きも細かく分解してスタートする。分解したパーツが少しずつ集まって小さなかたまりになり、やがて、その登場人物がどういう感情で、どういう状況にいるかがわかってくる。具体的には、バラバラの「え」「え」「え」に「えー」と「ん」が続くとその人が泣いていると分かる。そして分かる頃には引き込まれているんですよね。
加えて、対角線を非常に上手く使う。映画の切り返しのように、人物が視線を交わすことなく順番にせりふを言うんですが、Aが正面を向いて話す、次にBが正面を向いて話す、という画期的なシステムを実践しています。なぜ画期的かというと、脳内で編集してしまうんです、観客が。最終的に描かれるストーリーは、手法が複雑な分、シンプルを意識しているのか、小津安二郎映画にあるような懐かしい家族関係だったりするんですけど、ぎりぎり、チープさを感じないんです。

それから、劇団あはひ。大学在学中に、劇場史上最年少で本多劇場で公演をした団体です。能や海外小説に着想を得て、オリジナル作品を創作しているんですけど、共通しているのはおそらく時間の流れを描くことで、哲学や記号論なんかを取り込んだ独自の美学で、時にユーモアを交えながら形にしています。

劇団あはひ『光環(コロナ)』(芸術文化観光専門職大学静思堂シアター、2022)
©️igaki photo studio 提供:豊岡演劇祭実行委員会

頼もしいと思うのは、学生のときから杉山至さんに美術をお願いしていて、杉山さんはもともと若い人の冒険心に乗るのがお好きな方だとは思うんですけれども、昨年、芸劇eyesに参加していただいた作品でも、素晴らしい美術をつくっていらしたんです。そうやって上の世代の著名なプランナーにオファーしたり、エンターテインメント型の作品ではないのに積極的に劇場に飛び込んだり、おもしろい志向を持っているなと思っています。

ムニという、宮崎玲奈さんという女性の方が作・演出をしている劇団も注目しています。2021年のせんがわ劇場演劇コンクールに出場してくださって演出家賞を受賞され、その前からも作品は拝見していて良かったんですが、去年、こまばアゴラ劇場で4時間で前編という大作をつくられて、印象を新たにしました。4時間アゴラの椅子に座っていて全く苦痛でなかったんですよね。

ムニ『ことばにない』前編 ©️上原愛

高校の演劇部で一緒だった4人の女性たちを中心にした話なんですが、すでにそれぞれに生活がある中で、年に1回は趣味で公演を打っていた。それがある日、顧問だった先生の息子さんから、実はその先生がレズビアンだったという告白が書かれているノートを「演劇にしてください」と託される。そこに色んな障害が出てくるわけですけど、障害は外部にも彼女たちの内部にもあるし、その作品をきっかけにさまざまな問題があらわになっていく。参照にされた映画や演劇作品が指摘されていますが、劇場のロビーに、クリエイションに当たって参考にした書籍類が展示されていて、そういう動きが少しずつ小劇場で広がっていますが、すごく良いことですよね。

女性が続きますけど、昨年、芸劇eyes番外編の「弱いい派」にも参加してもらった、いいへんじも。

撮影:月館 森

作・演出の中島梓織さんは今年の岸田國士戯曲賞の最終ノミネートに残りました。原因が明確でも、漠然としたものでも、気がつくとすぐ近くに希死念慮があって、足首を重くつかまれてしまう感覚って多くの人にあると思うんですが、中島さんは、原因を究明するとか強くなるとかしてそれを無くすのでなく、そういう感覚に「死にたみ」という名前をつけて、少し重さを軽くする、黒を薄くする、その一連を演劇にしています。私はそれはとても大切な営みだと思うんですね。

ここまで名前を出した団体は、主宰者、メンバーが全員20代です。年齢を広げてもう少し挙げますね。

細川洋平さんという、昔、猫ニャーで俳優をやっていた方が立ち上げて作・演出を手がけるほろびても公演が楽しみです。楽しみ、という言葉は似つかわしくない、観ていて苦しくなるような、現実に起きたことや起こっていることを、痛みがリアルに想像できる表現を交えて演劇作品にされているんですけど、関心の対象が地域的に広く、歴史的に長い。しかも表現のディテールが絶妙に“見せないけど細かい”んです。

ほろびて『あでな//いある』舞台写真(2023年1月、こまばアゴラ劇場)。
左から鈴木将一朗、中澤陽、生越千晴。撮影:渡邊綾人

観ていて苦しくなる、という点で共通するのが、ゆうめいという劇団です。作・演出の池田亮さんの実人生をモチーフにした作品群──中学時代に受けたいじめや、不仲の両親、特に母親の半生など──で話題を集めてきましたが、先日の新作では、フィクションに挑戦されました。いずれにしても、ひとりの苦しさだけを描かず、すごい俯瞰の感覚を持って人と人の関係を扱っていて、だから時々ユーモアもあり、その感覚が独特です。

ゆうめい『ハートランド』 撮影:佐々木啓太

コトリ会議も好きですね。拠点が兵庫ということもあり、すべての作品を観ることは出来ていないんですが、2016年に初めて「あたたたかな北上」という作品を観た時は、作・演出の山本正典という人がなぜ今まで知られていないのかと、本気で腹を立てました。名もなき町に住む名もなき労働者の、何に対してかは明かされない命がけの逆襲が、SF仕立てかつオフビートで描かれて山のような切なさが残る、と言えばいいでしょうか。

コトリ会議『みはるかす、くもへい線の』(2022年12月)撮影:河西沙織

そしても、たまたまTwitterで見かけた囲碁演劇という単語に惹かれて、ふらりと「点転」という作品を観に出かけて、久野那美という凄い才能が知られていないんだと腹を立てました。山本さんの時と同様、たまたま私が知らなかっただけなんですけど(笑)、それでも、地域を超えて知られてしかるべき才能だと思ったんですよね。

点々の階「点転」 撮影:竹崎博人
※階は、公演ごとに団体名が変わる

――関西の団体が、東京で上演する際に、非常に集客に苦戦すると聞いておりまして。今話題に上がった団体「」が5月末に公演があるので、ぜひもう少しお話を聞かせていただけないでしょうか?

九鬼:セリフがとても詩的で、繊細な劇を作られる。でもちょっと考えると、例えば「だから君がここにいるのか[客席編]」は、芝居の結末に納得のいかない登場人物が出てきて、お客さんに「結末を変えてよ」って言うわけですし、[舞台編]の方はカットされた登場人物が化けて出てくるって話ですから、ものすごいナンセンスなんですよね。設定は爆笑ものです(笑)。繊細さとこのナンセンスのギャップが面白い。最初、京都的な前衛の人かと思っていましたけど、大阪的ナンセンスな笑いのセンスも感じます。

特に心惹かれるのは、不確かな音に耳を澄ましている感じですよね。
「だから君がここにいるのか[客席編]」では、空耳かもしれない音に耳を澄まして、それをつかみ取ろうとしてますよね。誰もいない森で木が倒れた時、その時音はするのかっていう、ある種の命題を提出されて。
その音は、したのかしていないのかわからないような微かなもので、そこに何とか耳を澄ましてつかみ取る感じっていうのは、何なんだろう、何を表すんだろうってね。見る人によっていろいろ考えることができて。つかみたくても本当にあるかどうかわからないつかみ取りたいもの、作家にとっては描きたい作品だし、ある人にとっては愛情だろうし。やっと手探りで つかんだ瞬間にこぼれ落ちてしまうかもしれない、とても儚いものを、耳を澄ましてつかみ取ろうとしている。

あと、こんなに演劇そのものを主題にする人はいるんだろうか。 しかも、できる限り演劇とすごく距離をとって外から演劇というものを観察しようとしていますが、誰よりも演劇を愛してるっていうのが滲んでくる感じですよね。

「だから君はここにいるのか」は、演劇を扱っている話ですが、そこから何を見るかは見る人にとって、あるいは見る時代によって違ってきそうな作品で。
【舞台編】は何か死者の鎮魂の劇でもあるし、生きてる人でも居場所を見失った人に対する再生を祈る話とも見えるし。2022年に見た時は、上演中止になった全ての劇の再生を願う劇に見えました。
【客席編】に関しては、これだけ歪んだ世界、世界がどんどん歪んで未来がどんどん不確実になっていくときに、あのラストシーンは非常に痛切に響きました。

――徳永さんからもぜひ。

徳永:久野さんは、稀に見る俯瞰の視点の持ち主だと思います。演劇って、近いところに観客の意識を引き寄せて、そこから外側に広げていくつくり方と、遠いところから話を始めて、徐々にクローズアップさせていくつくり方があると思うんですけれど、 久野さんは完全に後者で、しかも、始める起点が本当に遠い。それって作家としてはすごく勇気がいることだと思うんです。観客が「ああ、こういう話ね」と把握するまでに時間がかかるし、それはつまり、俳優だって忍耐が要るから。

例えば、大半の観客の理解が得られる地点が地上50メートルだとして、100メートルぐらいのところ から始めれば、オープニングから15分とか20分とかで、良い感じの温まった空気が劇場を満たすとして。
久野さんは100キロぐらい上空から始めるんですよね。あまりにも高いから、枠組みすら見えないし、枠組みの前に細かい情報が入ってきて、観ている側としては、その情報がマクロかミクロかの判断も必要で、結構大変なんです。
ただ、マクロかミクロか分からないけれと、とにかく言葉が美しい。それで付き合っちゃうんです、100キロから50メートルまでの降下の時間を。降下なのか浮遊なのか滞空なのか、感じ方はそれぞれでしょうけど。
それはあまり他ではない経験だし、あまり多くの劇作家は持っていない才能だと思います。

久野さんは演出家としてもたぶん才能があって、最初に拝見した「点転」は、囲碁に似た架空の競技の話だったんですけど、時折、セリフとは別に石を置く音がする。パシパシパシて、きれいな音です。それを聞いた時に、この競技は本当に宇宙空間にまで石が置けるんだと思った。作家が把握している空間が本当に広大なんだと思います。

さっき、九鬼さんが久野さんに関して、演劇のことをすごく愛しているんだろうなっておっしゃってましたけど、自分の書いたものは複雑かもしれないけれど、舞台上で俳優さんが戯曲の言葉を口にしたら、お客さんはきっとキャッチしてくれるという信頼が、俳優さんに対してもお客さんに対しても強くあるんだと思います。……って長々と抽象的な話ばかりしましたけど、伝わりますか?

九鬼:伝わります! 素晴らしい、素晴らしい!!

――今日はたくさんのことを教えていただきありがとうございました!!

対談日:2023年4月13日


終わりに

対談は、お二人の演劇への愛が伝わる非常に充実した時間でした。公演団体が心をこめてつくった作品や、劇場のとりくみを、演劇愛にあふれた人たちが言葉にして、他の誰かに伝えてくださる。それはとても幸せなことだなぁと、お話を聞かせていただいておりました。
いかがでしたでしょうか。現在の演劇界の状況とあわせて、お二人の演劇への愛も、伝わっておりますでしょうか?

今回貴重なお話を聞かせてくださった、徳永さんの企画監修される演劇最強論-ing、九鬼葉子さんが発起人となり立ち上げた関西えんげきサイトの公演情報も頼りに、これからの観劇をお楽しみください。

最後に、冒頭と中盤で名前の出てきたWさんについて、ここで触れさせてください。Wさんというのは、コトリ会議の劇団員・若旦那家康さんです。

「どなたにお話を聞いたら、関西の演劇のことを知ることができるのでしょうか??」というざっくりとした質問から、ご相談に乗っていただいておりました。

『普段は出会わない地域間をつなぐ横軸と、年代をつなぐ縦軸、を意識した活動が一番やりたいこと』という若旦那さん。
この場をお借りして、御礼申し上げます!!

構成・文:成島秀和、臼田菜南、田中莉紗

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