小学校の先生になるまで。 学生時代①
自分の過去を整理したいので、小学校の教員になるまでの経緯を書いていこうかな。
まずは学生の頃から振り返ってみる。
中学生時代
教師になろうと思ったきっかけは、中学生の時だ。中学の先生に「なんで先生をやっているのか」聞いた時があって、
というシンプルな回答が返ってきた。当時の俺は、そんな単純な理由でいいんだと拍子抜けしたのを覚えてる。当時、金八先生がやっていて、人間味があり情熱をもって生徒と向き合っている姿に心を熱くしていたのも覚えている。そんなこともあり教師を目指すことにした。
高校生時代
高校卒業が間近になり、ようやく自分の進路が現実味を帯びてきた。その当時、高校生活が楽しかったので高校の英語の先生になろうと思った。
しかし、英語科の高校教諭の倍率を調べていると倍率が高いということに気付いた。英語で外国の人とコミュニケーションが取りたいだけで、英語を学問として教えたいとは思っていなかったので、そこまで頑張れる気がしなかった。
さらに調べていくと、小学校教諭の方が中高の教諭より倍率が低いことが分かった。また、英語科の教諭は国際系の学部や英文科など色々な学部や大学で教員免許を取得できるので、その分目指す人の母数が多い。
その点、小学校教諭は教育学部でしか教員免許を取れない。教育学部に入った方がライバルが少ないから先生になれる可能性が高い方がいいと思った。そこで、先生になれるなら小学校でもいいかなと思ったので小学校教諭の免許の取れる大学を探した。
大学生時代
浪人生活を経て、教育学部のある大学に入学した。大学2年生の時に、小学校でのインターンシップを始めた。活動内容は、主に先生の補助や子どもと遊ぶことだ。
自分が小学生だった時以来に、小学校の中に入った。職員室にいる大人は子供の時に描いていた先生ではなく、職業として働いているゴリゴリの大人だった。せんせぇ〜みたいなノリでなく、距離感のある大人の世界だったのが印象的だった。とても印象深い。
担当してくれていた先生の仕事を見ていると、丸つけに追われ、定時後も当たり前のように残業していて大変そうだった。その中でも衝撃的だったのは、板書計画という予め黒板に何を書いてどう進めていくのか書かれたものを見た時だ。黒板に、ただ字を書いているものだと思ってた。それに字がとてもキレイだった。字が汚い私にとってハードルが高かった。
先生の仕事の裏側を見て、子どもの時に見ていた先生の姿とは違い、ただ楽しい理想の部分だけではなく職業としての教師の姿を見て現実を垣間見た。あんな多くの仕事を自分にできるのかどうか分からなくなり、急に自信を失くして大学の授業にも実が入らなかった。
周りの熱量との差に焦りを感じていた時に、先輩から旅に出たらと言われた。小さい頃からインディージョーンズをよく観ていて、未開の地を冒険するということへの強い憧れをもっていた。しかし、そんな気持ちはあったけど、お金がない、バイトが忙しい、危ない、とか色々な理由をつけては遠ざけていた。どうせ勉強に身が入らないならなら旅に出ようと思った。
目的地は、関西弁を聞きたいから関西方面という漠然なことだけを決めた。善は急げ。
バイクに寝袋を積んで、出発した。
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