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雑記:なぜTwitterなのか

いまのTwitterは最悪だ。ディストピアである。

エルデンリングで盾を二枚持ちするような底抜けのアホによってこのプラットフォームは私物化され、粗悪化され、メタクソ化されている。今日できていたことが明日もできるとは限らない。無料だったものは有料化されていく。サービスの"改善"が進むたび、ユーザーエクスペリエンスは劣化の一途をたどる。

ある意味で、これは能力主義的な世界観に対するもっとも強烈なカウンターといえるだろう。能力の高さと得られる金がイコールになるはずの世界で、億万長者がこんな乱痴気騒ぎを引き起こして全世界の顰蹙を買うわけがないのだから。いや、世界規模の乱痴気騒ぎを引き起こせる時点でそれは能力の高さなのだと言い張れるかもしれないが……。

この惨状を前にして、いやこの惨状を前にしているからこそ、ここで俺は言っておきたい。Twitterは、あらゆるSNSでもっともその定義に合致するSNSであると。現状からはまったく想像もつかないが、Twitterは"もっともソーシャルに発達したネットワークのサービス"であると胸を張って言いたいのだ。よりリッチにしようとする強迫観念とくだらない市場競争さえなければ、Twitterは純粋にコミュニケーションに奉仕するインフラとして機能するはずだった。必要なのは、適切なサーバー増強とそれに携わるエンジニアへのふさわしい待遇だった。

しかし、そうはならなかった。

イーロン・マスク以前からTwitterは酷かった?ああ、それはそうかもしれない。創業者のジャック・ドーシーがいたころからTwitterは完全無欠のプラットフォームというわけではなかった(2010年代初頭のTwitterサーバーの不安定さを覚えている人はどれだけいるだろう?)し、ドーシーが去ったあとはさらに迷走した。競合サービスに煽られて、猿真似を生み出しては埋葬してきた。モーメント、フリート、そして埋葬予定のTwitter Blue……死にかけのサービスにいったい誰が金を出そうと思うんだ?

パクって成功した唯一の例として挙げられるのは、音声通話ができるスペース機能だ。とはいえ、これは競合のClubhouseがあまりにも閉じたサービスであり、ほとんど勝手に自滅していったためでもある。招待客のみが使えるというClubhouseのセレブくさった仕様は、しかし、拡散バズ結合クラスタを妨げるという意味で絶望的に不利だったのだ。その点でTwitterは圧倒的に勝っている。フォローしている誰かがスペースを聞いていればそれが知らされ、直接のフォロー関係になくとも会話へドロップインできるという点が、Twitterのゆるさとは抜群に相性が良かった。

画面の共有もできず、音声ミキサーもなく、ブラウザからの利用すらままならないスペース機能は粗末すぎて、個人的には気に入らない。餅は餅屋であり、音声通話をするならDiscord一択だと思っている。早口オタクがBGMもなしにボソボソと松本人志気取りをしているのはぶっちゃけ聞いていられない。だが、それでもなお、Twitterという流動的でオープンな空間にスペース機能がうってつけであることは請け合おう。

もちろん、優良なサービスであればあるほどメタクソ化される可能性は高まるのだけれど……明日起きたらスペースが有料化されていてもまったく不思議ではない。

自らの棲み処の急速な崩壊を目の前にして、Twitterユーザーの多くは移住先を求めている。いまのところ、統一見解はなさそうだ。Facebookはリアルに卑近すぎるし、インスタもTikTokも水が合わない。Mastodon、Misskey、Bluesky、Discord、あるいは……note?Threadsはたしかに有力だが、メタクソ化のトップランカーであるザッカーバーグのやることにはハナから期待できない。

候補はいくらでもあるけれど、どれもTwitterのかわりにはならない。下位互換にすらならない。もしプラットフォーマーへの法規制が現実よりずっとうまくいっていて、ユーザーの離脱権が保証され、フォロー/フォロワーをまるごと引っ越せたとしても、この移住がうまくいくことはないだろう。

俺がそう思う理由はおおむね以下のnoteの通りだ。Twitterの特異な長所について、これは惚れ惚れするほどよく書かれている。

Twitterで形成される関係性は分散型SNSより曖昧で、抽象的で、ボーダーレスだ。インスタやTikTok、Youtubeは特定のメディアに特化し依存するため、ユーザーの内面を記述しきれない。いまあなたが読んでいるnoteにも"つぶやき"という機能は存在し、画像や音声を投稿することもできるが、それが通常の投稿とは異なるフォーマットで受け取られる以上、コミュニケーションはぎこちなく破断する。

Twitterはほとんどのメディアを扱えるが、それをツイートとタイムラインという形式に統合したことでこの問題を回避している。Twitterは他サービスとの連携も容易で、自分では扱えないメディアへの窓口の役割をもうまく果たしている。おかげで、いまやRSSフィードは化石のような存在になった。悪名高いまとめサイトですら相当に下火になったのは、Twitter自体がまとめサイトとしての機能を持ち合わせているからだ。これは俺の推測だが、ある時期を境にWebブラウザの利用時間はかなり低下しているのではないだろうか?

Twitterという単一の世界に放流された無数のユーザーは、互いの趣味嗜好を引力としてゆるく繋がりあう。誰かのリツイートが時に自分の知らない世界を見せ、セレンディピティを生む。だからこそ、シャドウバンやフィルターバブルは誰かが──時にはユーザー自身が──恣意的に世界を狭め改竄しているという点で、吐き気を催す邪悪なのだ。

上記noteに記されているとおり、Twitterは"文化"という概念により近しい。別の言い方をすればそれは"営為"であり、"空気"であり、"水"であり、"インフラ"である。それに比べると他のSNSは特定の用途に作られた"公園"であったり、時々立ち寄る"広場"や"居酒屋"に近い。それはそれで楽しいところかもしれないが、Twitterのクソデカさには遠く及ばない。そして、居酒屋を取り壊すのに比べて、文化や営為やインフラを破壊するのは途方もなく大きな被害をもたらす。

いま考えれば、Twitterほど高次世界メタバースという言葉にふさわしいプラットフォームはなかった。クソデカく、ゆるく、流動的で、ユーザーがもっとも自由に自らを記述し、発見が生まれる包摂的空間。ジャック・ドーシーが最初からそんなものを期待してこのプラットフォームを作ったのか知らないが、なんにせよ、俺はTwitterを愛している。

これが「愛していた」にならなければいいのだけれど。

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