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おまえは今すぐ『ブレット・トレイン』でエンタメ超特急に乗れ

よくきたな。おれはNeverAwakeManだ。おれは毎日すごい時間ゲームをしたり映画を観たりしているが、特に自慢にはならない。月初めは映画が安いのでなんでもいいから観なければ損だと思ったおれは、ラインナップの中で一番タイトルがイカしているというだけの理由で『ブレット・トレイン』を観ることにした。

・・・鑑賞後、おれはガタガタ震えていた。純粋にエンタメとして完成された映画を観たことによる、深い感動と衝撃が生んだ震えだ。そして、この感動と衝撃をいつまでもおれの中にとどめていると共振で肉体が爆発四散してしまうので、急いでこの記事を書き始めたとゆう寸法だ。

先に言っておくが、おれはネタバレを一切考慮しない。おまえがこれを読むのは完全に自己責任だ。もしおまえがブレットトレインのネタバレを少しでも恐れるなら今すぐ映画館へ向かい、俺が味わったのと同じ感動と衝撃で震え上がるがいい。わかったか。

群像劇は真の男のジャンル

まずおまえが心得ておくべきなのは、これは日本の作家、伊坂幸太郎の書いた小説『マリアビートル』をもとにした群像劇アクション映画だということだ。それ以上知る必要はないし、それ以上知りたいなら映画館へ行け。

群像劇と聞いたおまえは腰が引けているかもしれない。「キャラが多くてプロットがしっちゃかめっちゃかになる」とか「だれが主人公なのかわからない」とか「どうせパルプでフィクションなんでしょう」と勝手に決めつけて、ブレットトレインから逃げ出そうとする・・・・・・・こういうやつは完全に腰抜けであり、それは統計的にも証明されている。いつからおまえはそんなしょうもなくなってしまった?おまえの中の真の男はたわけたスポイラーとフェイクであふれたS・N・Sによって殺されてしまったのか?・・・・・・だが、仮にそうだとしても、おまえはよみがえる。このブレット・トレインに宿った、底知れないエンタメの力を浴びせられることで。

おまえが恐れるのも一理ある。群像劇は真の男のためのジャンルであり、観る側も真の男として試されるからだ。登場人物は入れ代わり立ち代わりやってきてややこしいし、そいつらの名前をすべて覚えるのには相当の知能指数が必要だ。だから、ブレット・トレインではほとんど全てのキャラクターの名前が1語でまとめられている。シンプルだ。

レディバグ

ブラッド・ピットが演じる主人公、レディバグてんとうむし。ブラッド・ピットは悠久の時を生きる吸血鬼だが、時々趣味で映画に出て、うまそうにメシを食ったりカジノ泥棒したり殴り合いしたりする多芸多才な男だ。おまえは過去のイメージにとらわれて「どうせスカしたハンサムなんでしょう」とか「どうせスナッチするんでしょう」とか決めつけて通ぶるかもしれないが、それも今日で終わりだ。

レディバグは腕の立つアウトローだが、不運なやつだ。こいつが仕事をすると、望むと望まざるとに関わらず人が死ぬ。若い頃はタフガイぶってなんとかなるが、年を取ってくるとそういうストレスがボディブローのように効いてくる。そして、心の平穏──PEACE OF MIND──が必要になる。だからレディバグはしばらく裏稼業を休業していたし、セラピストにも通った。心が暴力的になってよくないので、銃を使うのもやめにした。

セクシーな男オブザイヤーに選ばれていた頃のブラピに比べると、レディバグはずいぶん老けてくたびれて見える。それはレディバグが実際老けてくたびれた男だからであり、その役作りは100%正しい。つけくわえておくと、ブラピは昔から演技のために躊躇なく歯を折ったりするやつであり、仕事に一切手を抜かない。つまり、真の男だ。

休業していたレディバグが復帰して一発目の仕事は、新幹線ゆかり号の車内にあるブリーフケースを盗むことだった。お使いレベルの簡単な仕事のはずだったが、こいつはやっぱり、根源的にツイてない。運命の糸が哀れなレディバグを絡め取り、新幹線はカオスの坩堝と化していく。

みかんとレモン

イギリス訛りで口汚くまくし立てる短気な男、みかん。きかんしゃトーマスで人生のすべてを学び、人の心を読む男、レモン。みかんとレモンの二人は兄弟で、凄腕の殺し屋で、サイコパスだ。日本のヤクザの大親分”ホワイト・デス”のドラ息子が誘拐されたので、依頼を受けたみかんとレモンは築地で監禁されていたドラ息子を救出した。身代金の入ったブリーフケースも回収して、二人はドラ息子と一緒に帰りの新幹線に乗っているというわけだ。

みかんとレモンはこの映画の第二の主人公といってもいい。何度もレディバグと衝突し、そのたびに存在感を見せつけてくる。特に、きかんしゃトーマスであらゆる物事を捉えるレモンのインパクトはすごい。レモンが口を開くたびにやたら面白いパワートーマスワードが飛び出し、みかんがFワードを連発しながらツッコミを入れる。こいつらの漫才が最高に面白いおかげで、長い説明台詞がまったく苦にならない。一生聞いていてもいい。

みかんとレモンは情け容赦のない殺し屋だが、一本筋が通っているところがある。静かな車内でケンカするときは他の客に迷惑にならないように静かにケンカするし、殴り合いしている最中に駅員がやってきたら巻き込まないように戦いを止める。野蛮だが、野蛮なりに殺し屋の作法をわきまえた連中だ。そのおかげで、死ぬまで殴り合うだけになりがちなアクションシーンにシュールな緩急がついてくる。くたびれ気味のレディバグとは対照的にエネルギッシュで暴力的な二人組として、みかんとレモンは物語を大いに盛り上げてくれる愉快な連中だ。

真田広之

ブレット・トレインは群像劇なのでレディバグ、みかん、レモン以外にも色々キャラがいるが、中でも別格の雰囲気を漂わせているのが、真田広之の演じる長老エルダーだ。

真田広之は現代に生きる最後の侍であり、復讐に燃えるスコーピオンであり、時々趣味で映画に出てフェイタリティしている。こいつはアクション映画における切り札なので、ブレットトレインでは終盤までほとんど姿を見せない。モータルコンバットと同じで、真田広之が出てくるその瞬間をじっと待つことそのものが映画の魅力になっているとゆうわけだ。

真田広之はアクションスターなので、こいつが出てくるとアクションシーンがケタ違いにヤバくなる。それまでは一人死ぬたびにその死に様をしっかり時間をかけて撮っていたのに、真田広之が現れるともうそんなことをしている余裕はない。真田広之はズバズバ斬るし、チンピラはバンバン撃つし、ブラピは爆発でふっとばされる。

また、アクションとは広義における演技なので、アクションができる俳優はだいたい演技もうまい。真田広之は人を殺すのも上手だが、仙人めいたアフォリズムをさせても一級品だ。目を動かすだけで画面に厳かな緊張が走る。そんな真田広之が最初から新幹線に乗っていたら?・・・・・・並外れた演技力とスター性で他のキャラを軒並み食ってしまって、群像劇が成り立たなくなるだろう。だから、エルダーの登場をギリギリまで引き延ばしたのは実に合理的な選択といえる。

この映画はチェーホフの銃そのもの

誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない。

アントン・チェーホフ

脚本作りのテクニック、あるいはルールとして、チェーホフの銃はしばしば引き合いに出される。うらなり野郎が知ったような顔で「この作品はねえ!伏線をちゃんと回収できていないのでねえ!!駄作!!!」とか腑抜けたことをくっちゃべるために持ち出されるのもチェーホフの銃だ。おれは個人的な信条に基づき、こういううらなり野郎を見つけ次第フェイタリティしている。

とはいえ、チェーホフの銃という概念自体は大事だ。伏線回収には確かなカタルシスがあるのだからやっておくべきだし、回収できない伏線はそもそも張るべきではない・・・・・・。チェーホフの銃は、脚本のエンタメ性にまつわる一つの教訓だ。

だが、ブレット・トレインにそんな心配はいらない。この映画は因果応報と運命、そしてゆかりを巡る物語であり、いわばチェーホフの銃そのものだからだ。台詞一つ、小道具一つに至るまで役割を持ち、最後までしっかりと機能する。レディバグが放り込まれた弾丸列車は意味不明なほど大勢の殺し屋であふれかえっているが、それはただの不条理ではない。すべての運命は繋がり、巡り、帰結する。もつれた因果が解けていくにつれ、観客の脳にはアハ体験が起こり・・・ドーパミンが吹き出し・・・・・・すごく気持ちよくなる。そして、この映画のすごさに身体がガタガタと震えだす。

真の男はやりすぎない

BULLET TRAIN・・・・・・この映画は決して”やりすぎない”。アクションするけれど、一生殴り合ったりしない。長台詞もあるけれど、ダラダラ話し続けない。グロいところもあるけれど、えげつないスプラッタにはならない。どの要素も過不足なく、悪目立ちせず、小粋にまとめられているおかげで、伏線回収というキモにしっかりとスポットライトが当たる。監督のデヴィッド・リーチも脚本のザック・オルケヴィッチも、すさまじいバランス感覚を持った真の男だ。

このバランス感覚は、画的にも活かされている。ブレット・トレインで描かれる東京はネオンサインでビカビカで、米原駅は濃い霧に包まれた幽世のような場所だ。ヤクザの手下は面頬を着けていて恐ろしさと雑魚っぽさを両立しているし、大親分のホワイト・デスは袖でリボルバーのシリンダを回し、刀を振るう。これらの描写を「ハリウッドにありがちなトンチキ日本ね」とかゆって雑に片付けようとする腰抜けはすでにおれがフェイタリティしておいたので安心しろ。

エンタメ映画である以上それはフィクションであり、フィクションである以上それはハッタリだ。そして、ハッタリに説得力を持たせるには、やりすぎないギリギリのラインを攻める覚悟と技量が必要だ。現実と同じ東京駅にすると色合いが地味すぎてつまらないし、かといってホログラムとかを出すとブレードランナーになってしまう。それが日本の首都だと誰の目にも分からせるためにこのギラついたネオンサインはちょうどよく、光り輝く大東京から離れて遠くまで来た──物語が佳境に来た──ことを示すために濃霧の米原はちょうどいいのだ。ヤクザの面頬とホワイト・デスのリボルバーも同じで、悪役の悪役らしさを示すケレン味として必要十分に機能している。もしこれがやりすぎると、ヤクザが甲冑と兜でやってきてギャグになっただろう。でもそうはならなかった。決してやりすぎない奥ゆかしいバランス感覚のおかげだ。

さっさと観ろ

ブレット・トレインはエンタメとして純粋に完成された映画だ。だから、こうやっておれがいくら言葉で説明したところで、ネタバレ以上のものにはならない。では、ここまで読んだおまえが今やるべきなのはなにか?・・・・・・決まっている。さっさと仕事を切り上げ、中央の席を予約し、映画館へ駆け込むことだ。そうすれば、時速350キロの新幹線がおまえをエンタメの極致へと連れて行ってくれる。

おれが言いたいことは以上だ。

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